自他一如
世の中の道理…自然の有り様…自己中心的に生きようとしても、生きていけないということは、人は理解していますが…知らず知らずのうちに自分を中心にして、自と他、生と死、愛と憎など、言葉に独立した実体が存在するかのように考え、分け隔てをしてしまいます。
けれども、自己中心の生き方しかできないのが、私たちです。本来は自他一如であるはずだと、頭では理解できても、実際の生き方としては難しいことです。人権やプライバシーにかかわる問題が多いのも、このためでしょう。
しかし、すべてのものは互いに因となり縁となり、生じては滅していきます。他のものと分け隔てられ、それ自体で独立自存できるような実体的な、ものは何一つありません。
この私の存在も、他の一切を私の成立根拠として宿しており、私の中に他人が、他人の中に私が宿っています。他人と切り離した自分というものは、分け隔ての心のはたらきによる抽象的な自分の影に過ぎません。
あらゆる分け隔てを超えた世界では、自と他、生と死、愛と憎といったものは一如であり、そのまま安らかな世界なのです。
この世では、すべてのものが個々に存在しているように見えますが、すべてのものはどこかで何らかの形でつながっています。人とどこかで、社会とどこかで、自然とどこかでつながっています。
だから、どこまでが自分で、どこからが他なのか、本当のところはよく分からない、本来は自他の区別がなく、自他一如の世界なのかもしれません。
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