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2015年6月21日 (日)

環境を考える

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八王子市片倉町の兵衛川と湯殿川の合流地点

人間はより高度な生活を追い求め続けています。

 そのことにより、限られた地球の資源を貪り尽くす勢いです。まだ、残念ながら、自我の欲のため、生命の危機が迫っていることに、気付いていない人がいるようです。

そして今、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題が発生しいます。そして、核まで考えた戦争まで考えている国さえあるのです。

ESDとは、持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)これらの現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む…(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すことが大事になってくるのです。

そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動です。子供だけでなく大人にとっても、新たな発見があり地球の未来を考え、行動するためのヒントを与えてくれるのです。

地球の明日のため、自ら考え行動を起こして欲しいのです。

人のゴミを拾う所までモチベーションは上げなくても最低限自分のゴミは何とかしよう。時々、個人的にゴミ拾いをしていて思うこと気づくことがあります。

ゴミが放置されると、当たり前のことですが、もっと汚されます。有名な話で割れ窓理論(ブロークンウインドウ)があります。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」…ということです。

ここで、言いたいのはゴミを放置しておくと無意識に、ここは汚しても大丈夫なところという感覚が生まれる…ということです。自分の出したゴミを適切な場所に片付ける意識を持ち、行動するだけで街は必要以上に汚れないのです。

面倒?…数十メートル先にゴミ箱があるのに…↘(捨てる)

人が見ていないから隠す?…道路の植え込みやベンチの↓(捨てる)

それらの行動真理は、少しの罪悪感があるからです。しかしそれが常習化することで、恐ろしいことになるのです。植え込みは枯れ、下水は詰まって汚水が溢れてしまう…という結果になのです。

私は毎日ゴミ拾いが出来ているわけではありませんが、気付いたら拾うようにしています。勿論、自分が出したゴミは持ち帰るなり、きちんと処分することを実践しています。

一人の人が一個のゴミを、100人が捨てれば100個になります。それが一週間で恐ろしい結果になるのです。私はそのまま放置したら、生きることさえおぼつかなくなると…と思います。

気がついた遅かった!…環境取り戻すには、大変な時間と労力が必要となってきます。町がきれいであるということは、生きることは素晴らしい!と感じる筈です。

『ゴミを拾う」みんなやった方がいいとは言いません。「ゴミはキチンと処理する」ことは、現代人にとって、とても大事なことだと言う事です。

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