

一日一生 一日生涯
それは「一日生涯の気持で、感謝しつつ、今を悔いなく精一杯に生きること…そして、私にかかわる全ての仲間と、命のある限り生きる喜びを共に分かち合っていくこと」そうした信念を持って生きることです。
一年は一日の集まりです。そして一生も一日の集まりです。つまり、“今日”という一日を後悔なく過ごせたと思える日が多くあったということは、その人は“幸福である”ということです。
朝起きたときは生まれた時で、昼間はその人の人生で、夜寝るときは死の時です。人の一生とは、短く言えば一日で表すことができるということです。元気一杯満足に一日を過ごすと、ぐっすり眠ることができます。逆に、悪いことをしたり心配を明日に残しているとぐっすり眠ることはできません。
“ぐっすり眠る”ために、私たちはどうすればいいのでしょうか?私たちはずっと起き続けることはできませんし、眠り続けることもできません。そして、ずっと生き続けることも、死に続けることも…
不満足な生は不満足な死を招き、不満足な死は不満足な生にしかならないのです。今日の幸せがなければ明日の幸せに繋がらない…この言葉には、そんな意味が含まれているような気がします。
参考:われわれの気分の変わりようは、運の気まぐれ以上に勝手気ままだ(ラ・ロシュフコー)
http://kotoba.ti-da.net/e575816.html
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人の最後に…
看護師が明かす「人が死ぬ間際に最も後悔すること」…あなたは、後悔のない人生を送っていると思いますか?
末期患者のための苦痛緩和治療に長年携わってきたオーストラリアの看護師、ボニー・ウェア(Bronnie Ware)さんが患者たちと接する中で学んだ、死の間際に最も後悔することを教えています。
「人の期待に沿うためでなく自分に正直に生きれば良かった」
最も多い後悔で、人は自分の人生が終わる時に隅々まで振り返り、叶わなかった多くの夢に気付くとのこと。殆どの人が自分が決断した、もしくはしなかったことで夢が半分も叶わなかったことに気付いて死を迎えている、といいます。
「働き過ぎたこと」
ボニーさんが看た全ての男性が持っていた後悔だそうで、子供の成長を見守ったり、配偶者と一緒の時間を持てばよかったと話しています。
「自分の感情を表現する勇気を持てていたらよかった」
対人関係を良好に保つため、多くの人が自分の感情を押し殺すもの。その結果、本当に自分が出来ることをできず、中途半端な存在になってしまったと後悔。また、こうした苦しみや苛立ち、鬱憤などが病気を引き起こした人たちも。
「友達ともっと繋がりを持っていればよかった」
古き良き友人を持っていることの恩恵に気付くのは、死が目前に近づいたとき。多くの人が自分の生活に忙しくて友達との関係に時間を割けず、友達のことを思って寂しく思うのだそうです。
私は、以上のような事を想定して、残りの人生を送りたいと思います。