« 春の鯉 | トップページ | 人を過信せず、また過疑せず »

2015年3月20日 (金)

地下鉄サリン事件とチュニジア襲撃事件

Desert

オウムと過激派組織IS=イスラミックステートの事件のニュスを観て感じたことです。

決して人ごとではない…もしかすると身内にも、迷い込んでしまう若者もいそうで仕方がありません。

オウムの地下鉄サリン事件は今から20年前の出来ごとでした。無差別に人を殺す恐ろしい行為で、人を殺す理由さえ分からない教団で、日本中を震撼させられた事件でした。

今も尚、その後遺症で悩んでいる人がいる中で、オウムから、名前を変えて集まる若者がいるとのことです。人殺し教団はあるようです。若い人が生きるということに疑問を感じたり、迷ったりして、刹那的に溺惑してしまうのでしょう。

北アフリカのチュニジアで、過激派組織ISにより日本人3人を含む観光客23人の犠牲者を出す痛ましい事件がありました。イスラム原理主義は宗教の皮をかぶっているが、人殺し集団で恐ろしい宗教?…イスラム教の創始者は、人殺教団を目指すことである筈はない。

人は幸福を求めることが真理であります。1人個人では、真理を追究できません、多くの人の関わりを持って、得られるものです。

朝日新聞の社説の中の中から…

事件の根が深いのは、信徒たちが犯罪をするため教団に入ったわけではなく、生きる意味に悩んだり、社会に矛盾を感じたりしていたことだ。だれにでもある感情である。

それでも、救いを求めた先が、思考することを許さず、人心を支配し、服従させる集団だったとき、あんな事件は起こりうる。そう考えた方がいい。

身勝手な主張で人命も顧みない過激派組織「イスラム国(IS)」にひかれる若者がいる現代にもつながる問題である。

宗教や自己啓発をうたうカルトの誘惑は絶えていない。集団名を言わず友達として近づくなど、手段も巧妙になっている。

教団の事件の被告たちを心理鑑定した西田公昭・立正大教授は「人生の悩みはそう簡単に解決しない。すぐに答えを出そうとして『カリスマ』に依存する危険を意識すべきだ」と話す。

社会になじめない人を孤立に追い込んではいないか。多様さも、異質さも受け入れ、包みこむ社会は、一人ひとりが意識することなしにはつくれない。

今日の新聞各紙の社説 

朝日・・・「地下鉄サリン20年―今も問い続ける社会の姿」

読売・・・「チュニジア襲撃 「民主化モデル」を脅かすテロ」

毎日・・・「チュニジア乱射 「春」への凶弾を許すな」

日経・・・「テロ拡散阻止へ連携深めよ」

産経・・・「チュニスの襲撃 決して遠い事件ではない」

 

 

« 春の鯉 | トップページ | 人を過信せず、また過疑せず »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 地下鉄サリン事件とチュニジア襲撃事件:

« 春の鯉 | トップページ | 人を過信せず、また過疑せず »