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2015年3月 1日 (日)

心の平安とは、心が無事で穏やかなこと

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心の平安とは、心が無事で穏やかなことです。

確かに、私たちの暮らしで、物事が自分の願い通りに無事に運んでいるときは、心は満足し心は穏やかになり幸せを感じます。

しかし、私たちの毎日の生活には、多くの問題が発生します。そして、私たちの暮らしは一寸先が、どんな問題が起きるか予測できません。そのために、私たちの心は揺れ動き、心は不安に陥り、私たちは心の平安を失ってしまいます。夜の睡眠も十分に取れなくなるのです。

私たちが、日常の暮らしにおいて心が平安であるためには、問題が山積していても、心は平安でなければならないのです。それが本当の平安というものです。

人が、健康で生きるためには、十分な睡眠をとり、適当な運動を継続し、バランスのよい食事を摂る…心の平安に必要不可欠だと言われています。心が平安である人は、心身共に健全であり、その人は幸せな生涯・平安な生涯を過ごすことができることになります。

問題のない状態の中で生きている人は、一人もいないのです。私たちの社会生活は、問題が常に発生します。さまざまな問題が起きている中でも、心は平安でなければならないのです。

心が平安であれば、問題に遭遇しても、その問題から逃げることなく、全力を集中して、その問題を解決していくことで成長し、有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にも、人は魅力を増してくるのです。

その問題を乗り越えて進んでいけば、必ず平安な生活を築くことが可能であることを確信し、夢と希望を持ち続けることができ、心も平安で満ちあふれます。

問題から、不安と恐れによって逃げるのではなく、その中で耐えて、そこから多くの知識と知恵を学び、次への飛躍の機会に備えるのです。そのような心の平安は、私たちの人間の創造者への信頼から与えられるものです。

信頼こそ、平安の土台であると言えます。私たちは、問題が多く、生きる夢も希望もそう簡単には持てない混沌とした社会、明日の見えない不安な社会の中で生活しています。

今は、心の時代とよく言われますが、そのことは、人々がどうすれば心の平安を取り戻すことができるのか、という心からの叫びでもあります。心の平安こそ健康で幸せな生活を築く土台であると思います。

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