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2015年3月 3日 (火)

無心とボランティアのこと

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05sikotuko31

幼子を見ていると、ただ「無心」に生きていると感じます。

人は全心身で活動しているときには知らずに無心になっているもので余分な雑念はありません。また、好きなことに熱中しているときは自然と無私の状態になるものです。しかし、あくまで意識はハッキリ澄んでいる状態なのです。

無心とは理念で解決するようなものではありません。ひたすらに忘れようと頑張る行為は意に反してそのことにとらわれてしまうのです。

たとえば、不眠症で、眠ろう眠ろうとしすぎるから眠れなくなる。「早く寝なければ」と思うと、寝ようということよりも寝られないかもしれないという妄念にとらわれてしまうのです。

ボランティアでゴミ拾いをしていながら、考えたことがあります。あれこれ理屈をこねてすべきではない。ただ…“汚いから拾うんだ”当然「人から褒められたい」・「使命感」を持って行っていません。

「自然を守り・安心・安全できれいな町にしたい」ということのみです。何より思うのは、自分が健康だから出来ることで、ボランティアできる境遇に感謝しています。そして生き甲斐すら覚えます。

その心は「無心」になっているような気がします。「子供たちにお父さん止めて恥ずかしいから」と言われたことがありますが、一向に止める気がしない…のです。

また、人に「よくやるねー」と言われることがありますが、「暇だから…」「元気だから…」と笑って答えています。

これは「無心」と言えるかどうか分かりませんが、ふと、今自分は何をしているのだろう?今もっと大事なことしなければいけないことがあるのでは…と思ったことがあります。いいんだ、ゴミ拾いができることは幸せで、健康だからできるのだ…感謝しなければいけないことなのだと思うのです。

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