« 啓蟄 | トップページ | 和顔愛語 »

2015年3月 6日 (金)

真理はひとつ

041

私たちは、生きてるかぎり、どんな人とも争うことのない世界であって生涯、平穏無事に生きたいと願っています。

しかし私たち人類の歴史は、悲しいことに争いの歴史でもありました。

それは自分の生きることを確かなものとするために、自分のところにだけあるものを真理だとして生きてきたからであります。つまり、自分の国とか、自分の民族とか、自分の宗教とかを絶対化することによって生きてきたからです。

しかし、それらは時とともに変化する相対的なものでしかありません。そのように相対的なものを、あたかも真理であり、生きることは、必ず異質なもの、反対するものを排除することでしか成り立たないのです。

したがって、この世に争いは絶えず、そのことによって私たちの生きることも不安定なものになってしまっているのです。

とくに現代は、私たち人間は、自分たちのところにだけ何が真理であるかを知ることのできる力があるかのように思い、その力を使ってひたすら自分たちに都合のよい快適で便利で豊かな生活を実現しようとしてきました。

それは自分たちに都合の悪いものを排除することによって成り立つ生き方でもありました。自然界の多くの動物や植物が姿を消してしまったのは、そのためです。そして、同時に私たち人間も生存の危機を迎えることになったのです。

そういう意味で、現代ほどこのような私たち人間のありようが問われている時代はないとか言えるでしょう。だから、変わることのない、いつ、どこの、だれのところにも例外なく通ずる真理を、追究することが大切だと思います。

« 啓蟄 | トップページ | 和顔愛語 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 真理はひとつ:

« 啓蟄 | トップページ | 和顔愛語 »