« 木の芽どきに思う | トップページ | 童謡は日本人の心 »

2015年3月25日 (水)

ふるさと…とは

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

55eb1803d82b34f155628866526c3d391

「ふるさとの山に向いて 
言うことなし ふるさとの  山はあ~ ありがたきかな」 石川啄木

いにしえからの美しい自然と、文化の中で、私たちはその営みは、日々の暮らしの中で、自分が生まれ育った場所を「ふるさと」と認識してきました。「ふるさと」…という認識を持つことで、私たちに安心感をもたらしてきたのです。

「ふるさと」は、いわば心の拠りどころでした。そして、その「ふるさと」の原風景には、青き山、清き川、風や空、祭りなど、世代を超えての一定の原型があるように思われます。

しかし、現在は、実際には途絶えてはならない原風景が失われつつあるなど、現実と「ふるさと」の原型に隔たりが生じてきているように思えます。

また、大都市に人口が集中している現状においては、自分が生まれ育った場所が「ふるさと」であるという認識を持たない人も増えています。

このような状況を踏まえると、私たちの活力の源であり、誇りである「ふるさと」の価値を再認識し、「ふるさと」を愛おしく、大切さを後世に伝えていくことが大事ではないでしょうか…そして、そのために「ふるさとづくり」をどのように進めていくかを、今、考えてみるべきではないでしょうか…

「ふるさと」は心の中にあるものであり、自分自身が最終的に帰属する精神的な拠りどころになる場所です。生まれ育った場所を「ふるさと」と思う人が多いが、「ふるさと」は必ずしも生まれ育った場所に限定されるものではありません。

たとえば、両親や祖父母の出身地、学生時代を過ごした場所、勤務で赴任した場所、旅行で訪れた場所等、何かのきっかけで愛着を感じ、何らかの形でかかわった様々な場所が「ふるさと」になり得ます。

また、生まれ育ったことはもちろん様々なかかわりがあれば、地方に限らず、東京や大阪などの都市部も、その人にとっての「ふるさと」です。

ひとり一人にとっての「ふるさと」は、落ち着き、穏やかさ、安らぎの基であるとともに、明日に向かって生きていこうという原動力となりうるものとしても人生の基礎となるものであり、「ふるさと」に対する誇りは、自分自身に対する誇りともつながるものです。

「ふるさと」は、自分自身の支えとなる場所であり、そして、安心と癒やしを感じる場所です。また、生活の営みの場としての「ふるさと」は、日本人の原像風景としての自然環境が残された場所、誇りある生活の場として自律的な経済活動が営まれる場所、人々の絆やつながり、交流が築かれている場所です。

「こころの拠りどころ」としてのふるさとに、こころをよせる(精神的態度)ことにより、「ふるさと」に対する愛着が生まれます。そして、こころをよせるだけでなく、「生活の営みの場」としての「ふるさと」に、何らかの形でかかわる(実践的態度)ことにより、さらに「ふるさと」を思う気持ちが強くなっていきます。

ある場所に「かかわる」ことにより、また、その場所へ「こころをよせる」ことが促進されていき、また、より深く「かかわる」ようになっていく。このくり返しによって、新しい「ふるさと」がつくられていきます。

愛着のある場所との「かかわり」によって、失われつつある「ふるさと」への誇りと価値をふたたびつくりだすことによって、新しい「ふるさと」は、100年先の子どもたちまで受け継がれるものになっていきます。

 

« 木の芽どきに思う | トップページ | 童謡は日本人の心 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふるさと…とは:

« 木の芽どきに思う | トップページ | 童謡は日本人の心 »