人を過信せず、また過疑せず
意味は…人の言ったことを信じて、自分の目で見たことは信じない。遠くのことをありがたがって近くのことを軽んじる。
「自分の目で見たものしか信じない」…見なくとも真実はあるだろう…逆に…この目で見たからといって、必ずしもそれが正しいとはかぎらない。
「君子は人を過信せず、また過疑せず」菜根譚(中国の古典)より とも言います。 お人好しに人を信じすぎるのも不幸の元、疑心暗鬼になって人を信じなさ過ぎるのも、不幸の元と言うところなのです。
人の心根を見極める人間性を身に着け、相手を信じる勇気を持てる自分を信じて、心を強く生き抜くことが先人の云わんとしている幸せへの道だと言うことです。
自分の心には自分で責任を持ち、傷つくことを恐れて人を信用できないような臆病な人にはならない…そう決めることが全ての幸せにつながるのではないでしょうか…
「人を騙す」…ということは、最初から、相手から利益を得ようとした目的があって行う行為ですが、そうではなく、相手の立場・利益になると信じて説得行為が、結果が逆で悪い結果になることがあります。
その判断が難しい…
善し悪しの判断の難しい時代になってきていると思います。中東の「過激派組織IS」に走る若者・「オウム真理教」に共鳴する若者が後を絶たないという現状があるからです。
人生の行く道が善と悪はありますが、その分岐点で迷って誤った道に入ったとしても、“気付き”引き換えす…勇気と努力があれば、戻ることは可能です。そして、多くの人が望む「平和かつ幸せ」に迎え入れてくれる人はいる筈です。
私が思うには、人生に迷う…環境「貧困」・「格差」・「飢餓」などと「地球の自然環境」の問題でを真剣に考え具体的な対策を立て、実施しなければ、解決できないものと思います。
ドイツで公表された世論調査で「貧困が原因の危険思想について」…
資本主義が貧困や飢餓問題を引き起こしているとの回答の 割合が3分の1近くに上った。そうした経済システムでは、真の民主主義が実現できないと大半が感じているという…ことです。
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