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2015年2月15日 (日)

人に自然に優しい・思いやりの心

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故郷とは…生まれ育った場所です。

人それぞれに、育った故郷の思い出を持っています。お父さん、お母さん、兄弟などの家族…友達…、山や川、海などの環境…です。泣いたり、笑ったり、苦しんだり、楽しんだりしながら育ったところです。

第二、第三の故郷と言う人もいることでしょう。人には事情があって、同じ場所には、いられないことが多いものです。人生は日々新です。一分一秒とも同じ環境ではありません。動き続けて→生きているといえるのです。生きていくためには、多くの人・自然環境に、関わり合って生きていけるのです。

いま、過去を振り返って思うこと…

あの童謡の「ふるさと」の「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川」が象徴する農山村風景をもつ育ちの地でしょうか…友達や仲間との共有体験でしょうか…

私には、水泳・川遊びやお祭りなどの楽しい思い出があります。私という人間が、其処の持つ歴史や文化に囲まれて成長していったところであるのです。そして、先祖伝来の田畑や山々、そしてお墓があり、自分の原点を意識させられるのです。

また、その土地特有の食べ物や狭い地域社会での強いネットワークに包まれた思い出があります。また、これらは故郷に対する個人的感傷だと決めつけることもできますが、多くの人には、最も心のやすらぐ思い出の地であることも間違いないでしょう。

さらに、故郷の持つ連続性と連帯感です。同じ土地、同じ水、同じ空気、同じ学校、同じ地域、同じ体験、同じ慣行、同じ食べ物、同じ風景などから作られる共通感覚の共有です。この共通感覚は、先輩後輩を問いません。

つまり、過去から現在、そして未来へと時間軸に沿っても意識されます。またこの共通感覚は、一定の広がりを持つ人々に共有されます。

このような故郷は、何も農山村に限ったことではありません。大都会でも、都市部でも、街中でも、十分故郷足りうるのではないでしょうか。故郷は誰にでもある育ちの地といえのです。

忘れられる故郷

このような大方の人が持つ故郷ですが、もし故郷の良さや故郷の魅力を感じられない人がいたらどうしよう。単にそこで育ったという認識だってあり得るのです。

たとえば、外の世界に飛躍するための準備の地や時期にすぎないと決めつけることもできるでしょう。この場合、故郷は懐かしい心の原点ではなく、単なる今をつくるための過程にすぎなくなります。

私は、このことを懸念しています。故郷の山や川の名前も知らない、故郷の歴史や文化も知らない、故郷の祭りや行事にも参加していないなど、故郷を共有していない場合には、故郷の共通感覚が持てないのではないでしょうか…育てられないのではないでしょうか…

故郷を愛するには

故郷を愛する人をどのように育てていけば…地域の自然に触れ、地域の歴史を学ぶことだと思います。人びと交流の機会に積極的に参加し、人々の協力を得ながら自然観察や動植物の栽培飼育などを実践することです。

自然を守るということは、人に優しい・思いやりの心が培われていくのだと思います。私たちの町には、ふるさとの歌の詩にあるように、山にはウサギ、川にはコブナ、ドジョウとホタルなどと、カエルなど・そして、カブトムシ・セミなど多くの昆虫いました。

それらの生き物を呼び戻そう…環境を守ろうと…町の道路・公園・広場などの「ゴミ拾い」を行っています。一人でも多くの「ふるさとを守る」意識を持って欲しいと思っています。

そして、人に自然に優しい・思いやりを持った「人間づくり」に多くの人が関心を持つことを期待しています。

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