どうして人間同士がうまく行かないのかなぁー
どうして、人間同士がうまく行かないのかなぁー人間の業の強さで、争いが絶えない?中東のアラブの春の嵐は終わっていないのではないでしょうか…
完全なる平和はないのか
平和とは…戦争や内乱で国が乱れていないことです。または、国が自国をしっかり抑制出来ている状態の事です。現実的には国家の抑止 力が内外の脅威を抑止している状態です。
人間は他の動物と違いがあるはずですが、民族・宗教によっても、殺人・戦争・暴力…などどうして止められないのでしょうか?理性が失われ、共生(共存共栄)の心が失われてしまったような気がする昨今です。将来は、はたして、カタストロフィー→人類の道好転へのシナリオは実行されるのでしょうか…
世の中は、殺人・いじめ・詐欺・DV・虐待・リンチ・薬物などの犯罪ニュースが後を絶ちません。人間、どうしてこう、うまくいかないことを好む?…また、何故にそう仕組まれるのか?先人の多くも経験したように、人間の歩むところは障害物の山…そう言い切ってもよいのかも知れません。
人は生まれる環境を選べない
与えられた環境で、与えられた能力や性質、さらにその環境や性質によって与えられるものによって性格や能力が作られていきます。
物心が付いて、自分の意志で動いているように見えても、その意志(価値観や判断力)は環境によって作られたもので、決して自分で選んだものではありません。
人は常に自分にとってよりよい方向を選択して生きています。そしてその方向を決める価値観や判断力は自分で選んだものではありません。
つまり、たまたま自分に生まれて、自分がいいと思う方向へひたすら必死に生きているだけなのに、ある人は善人とされ万人に愛され、ある人は悪人として処刑されるのです。
社会が成熟すると格差は拡大する
世の中には所得格差、資産格差、雇用格差、教育格差、地域格差、世代格差、男女格差、健康格差など多数の格差が存在します。
人間社会の中でこのような「違い」ある程度生じることは仕方ないと思います。「格差」という言葉を辞書で調べると『同類のものの間における価格、資格、等級、水準などの違い』です。
社会学では「格差」という用語は基本的に「良い・悪い」といった価値判断を含まない概念ですが、今日では「格差」と聞くと「好ましくないこと」や「不平等」といったニュアンスを強く感じる人も多いようです。
近年「格差」について様々な論議があるのは、これら多様な「違い」が社会の不平等や不公正につながり、健全な社会の発展や持続性、そして個人の幸福の実現に疑問符を呈しているからではないでしょうか…
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