私にもこんな時代が…
宮ケ瀬ダム
昭和10年代生まれの私は、子供ながら身分制度を感じていました。隣組合という言葉と「親分」と言う言葉を両親が使っていたことを記憶にあります。私の家は、田畑を借りていた小作農で「年貢米」を地主に納めていたのです。
…地主から土地を借りて耕作をしている農民のことを小作といい、その農家のことを小作農家といいました。小作農家では、地主に年貢米を出して、肥料などの費用を払うと、収入として残る米はほんのわずかでした。
そんな世の中であっても、地主の子どもと小作農の子どもは、一緒に遊びました。何故か、身分の違いなどはあまり感じてはいませんでした。
しかし、小作農家の人はどんなに努力をしても、地主にはなれない…身分制度があることは子供ながら知っていました。
そして終戦、農地改革…今まで地主から借りて耕作していた土地を、実質的にタダ同然で譲渡された小作人に与えられれました。そして年貢米も、供出(戦争で国に米麦を治めた)もなくなりました。
戦前の政府の指導?「産めよ増やせよ」の掛け声で、子供は5~7人家族は普通で長男・次男が兵隊になり、命を亡くした人も多くいました。残った子供たちは、収入を得るために『勤め人」なったり、農家の後取りも?冬の農閑期には出稼ぎ出で現金収入を得たのです。
地方から東京・大阪などに職求めて就職列車に乗って都会に出てきたのです。故郷を後にしてきた人は多かった。そう言う時代に巡り合わせたのです。
そして私は現在、生まれた土地を一度の離れることなく、で暮らしています。
「故郷」と言えば、魯迅の短編小説があります。(中学の国語教科書にも)
封建的は社会の背景で、故郷に対する思い出と、郷愁という感情と格差社会を是正しなければならないという、心情を訴えたかったのだと思います。
現在日本では「格差」が問題となっています。小説の最後に、主人公は、故郷を出発し、自分の子どもたちの生き方について考えます。
「私のように、無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活をともにすることは願わない。またルントーのように、打ちひしがれて心が麻痺する生活をともにすることも願わない。また他の人のように、やけを起こして野放図に走る生活をともにすることも願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。」
…心に響きます。
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好訳)