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2014年2月15日 (土)

等身大生きる

E6_02xga ショックなニュース、佐村河内守氏の虚飾の生き方で・・・「等身大生きる」かが如何に大事なことだと痛感いたしました。

“等身大”で生きるという事・・・人生は自分にとって、起きるべくことが起きる。その時、本当に、自分は等身大で生きているかが問題になるのです。

ありのままの自分・・・が等身大の自分であるのです。等身大の自分で生きていれば、自分が、ストレスで悩んだり、辛いことも、疲れることもあまり感じず、スムーズに生きられます。

しかし、この等身大の自分・・・ということこそがものすごく難しいのです。この等身大の自分に悟るまでには、たくさんの挫折や、自我を徹底的にうち砕かれるくらいの自我崩壊や、全否定に遭わなければけ、なかなかそこには行き付けられません。

なぜなら、人間はたくさんの思い込みや、そうであって欲しいと委託された自分像や、つまり親の願いや、周囲の期待にそう自己イメージを持って生きているから、簡単に等身大とはいかないのです。

多くの人はそういう膨張した自己イメージを持って生きています。さらにそのイメージが強いほど現実を甘くみてしまいます。

自己膨張してしまう人は、深層心理にはいつも劣等意識があり、子どもの頃に親や周囲の人間に期待されすぎたり、また常に比較をうけたりというありのままの自分を、受けいれてもらえなかった人です。

だからいつも背伸びをし、爪先立ちになって親や周囲の人間がイメージした人間像へと自分の照準を合わせて努力してきた人間です。逆に期待もされず、放っておかれた人間の方が無理をせず自分らしく生きることができるかもしれません。

そして自己拡張(膨張)の自我を持つ人間は、子供や青年の、ローカルな環境では、それがかなり達成できて、それなりの結果を出せたかもしれないが、大きなライフステージに入るとそうはいかない。

更に世の中というのは、子どもや青年時代の才気や才能だけではおよそ歯が立たない世界です。

子供や青年時代にはなかった、さまざまな抵抗や障害物や自分にとっては異質で、異邦人に等しいような人間が、たくさん行く手を阻みその中で自分を突き抜けて、なお自分の世界を実現していくのは並大抵の事ではできません。

ビクともしない壁がある!挫折と言っても少々の挫折では、なかなか等身大の自分へとは辿りつけない。

もう立ち上げれないほど全否定されるくらいの、挫折の中ではじめて、今までの自分が実は自分がいかに、脆弱で小さいものであったかを思い知らされて、立ち上がれなくなるくらい打ちのめされる挫折が必要です。

自分が子供や青年期に積み上げた積み木が全部崩れ、自分の無知や未熟を思い知らされて、またゼロから立ち上げていく・・・という位のときはじめて等身大の自分が見えてきます。

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