心というもの・・・
「心」とは・・・(ウキペディア)非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。
私達は普通、心という固定したもの(概念)があって、それが絶え間なく周りの世界を認識するのだと考えています。しかし、そうではない・・・心そのものは本来、鏡のように無心であって、そこには、喜怒哀楽などの感情はないのです。
ただ目の前に現われたものが、その都度その都度の「心」を創り出していく・・・そう思うと心というものは、何と奥深いなものであろうかと思うのです。
何も無いからかえって何にでもなるという奥深さです。有るようで無く、無いようで有るというのが心の本性ですから、「幽玄」だと言えるでしょう。
心というものは固定したものではなく、良いことに出会うと喜び、悲しい場面に出会うと憂鬱になるというように、コロコロと動くので“こころ”と言うのだという人も・・・
心の本性を、そのように流れのままに掴むことを、「無心」というのです。無心と言っても何も思わないことではありません。ただ喜びや悲しみの情に執着しないだけです。
私達はそういう自由な心の流れを、「執着」によってせき止め、喜びとか悲しみとかいう心として、固着させてしまうのです。鏡の表面はもともと綺麗に透き通っていますから、鏡そのものさえ存在しないように見えます。私達の心もそうでなければいけません。
ところが私達の心は無心どころか、あれは好き、これは嫌いというように分別し、それにこだわります。これが煩悩というものの煩わしさで、せっかくの綺麗な心も、煩悩の垢でドロドロになってしまっているのです。
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