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2013年9月26日 (木)

恥の文化

030 今日ゴミを拾いながら考えました。近年、自分さえ良ければの考えの人が多くなったように思います。人の嫌がるボランティア的なことに積極的に行動をする人が少なくなりました。

人のために、犠牲になることは嫌だ。面倒だ。そういう事は煩わしい。そんな暇はない。自分の事で精一杯だ。そういった考えからだと思いますが、街の歩道や、植え込みに、ゴミを捨て、タバコの吸い殻を捨てて行く人が後を絶たないのです。

むかし、(第二次世界大戦前)日本には修身という、学校に教科として設置されていた道徳教育があった。

○人に迷惑をかけてはいけません。

○人に「後ろ指を指されるようなことをしてはいけません。

○人に笑われる事をしてはいけません。

○自分の事は後回しでいいから、公の事を優先させなさい。

日本では周りの人に迷惑を掛けたり嫌な思いをさせることが、昔から「恥ずかしい行為」とされていました。また、汗を流さず大した苦労もしないでお金を得ることも「恥ずべき行為」とされていたのです。

昨今はこういった行為を恥とは思わず、自分勝手で周りのことを気にせず、法律に触れなければ何をやってもよいと考えている人が多いような気がします。日本人が昔から持っていた「清貧」とか「潔さ」という言葉が消え去ってしまったようです。

自然破壊が問題になっていますが、他人事のように思っているのでしょうか、八王子市では、全市歩行禁煙と条令で決まっていますが、一向に路上・公園などに捨てられています。そして、誰かが捨てているから捨てたとの言い訳です。

大人も違反して捨てているから、子どもも、罪の意識を持たないのは、当然です。明治時代からの日本人の美徳「慎み」が消えたのです。戦後普及した自由、平等、権利を日本人ははき違えた人が多くなったのだと思います。「恥の文化」が無くなったのだと思います。

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