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一般の用法では「無縁」というと、「縁のないこと、関係がないこと」という用い方がまず思い浮かびますが・・・
無縁社会とは、(ウキペディア)単身世帯が増え、人と人との関係が希薄となりつつある日本の社会の一面を言いあらわしたもの。NHKにより2010年に制作・放送されたテレビ番組による造語である。
日本では少子高齢化、女性の社会進出によるかつての結婚に対する若者の意識の変化、地縁血縁社会の崩壊、個人情報保護法によるプライバシー保護の厳格化、家族や社会とのコミュニケーションが希薄化しネットによる交流が主となっている若者、また終身雇用制度の崩壊をはじめ、長引く不況において団塊の世代の退職・雇用減少といった要因が重なり合い、単身者はますます孤立しやすい社会へと急速に移行している。
2030年以降の生涯未婚率は30%を超えるであろうと予測されている。さらにニートやフリーター、派遣社員の増加が著しく30代、40代ですでに社会から孤立する者が急速に増えている。これらは日本に限らず先進国一般の風潮であり社会問題化している。
日本は、自殺率が先進国の中でも非常に高い一方、年間で3万人以上が孤独死している。死因は病気、自殺など原因はさまざまだが、誰にも気づかれずに亡くなり、身元すら判明しないまま火葬され、無縁墓地に送られることもある。
亡くなってまで一人は寂しいと考え、財産や所持品、さらには自分自身の死後の処理をNPOと生前契約するものも少なくない。全国の自治体の調査によれば、近年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上では分類されない「新たな死」が急増していることが判明した。
NHK の「無縁社会」では、「死者を弔う縁者のないこと」という意味に重きを置いています。人間は本来死ぬ時は家族や親しい人に見守られて逝くべきなのに、誰にも看取られず1人寂しくあの世へ旅立った哀れな人という意味合いを込めていると思います。
日本人の心の底には、お互いさまとか「情けは人のためならず」といった、困っている他人を思いやるやさしさが脈々と流れています。そんな優しさが、慌しい日常生活の陰に追いやられています。
したがってこれからは非常時だけではなく、日常生活においても血縁や地縁を超え、他人を思いやる優しさを根本に備えた選択縁の人間関係を広めることが、無縁社会を防ぐ方策となると思います。
東京都で、今までの「先祖代々の墓」のイメージを壊した、「樹林墓地」の人気があります。募集の10倍とのことです。このことは死んでも、家族などに迷惑かけない(管理費や維持費が安い)理由からだと思います。
私は超高齢化時代になり、社会保障政策や、医療・介護・埋葬や墓など、社会構造の変化で、避けて通れない問題と考えています。
今、老夫婦の二人で住んでいる家から、高専賃(高齢者専用賃貸住宅)・サ高専賃(サービス付き高齢者向け住宅 )などへ移住する?元気なうちに・・・また、墓選びに真剣に考えざるを得ません。
無縁・・・地縁・血縁
誰でも若いときはそうだった思いますが・・・「既存の縁」、血縁とか地縁とかが、うっとうしく感じてしまうもので、「今の場所から離れてどこか遠くへ」という指向を持ちがちでした。いわゆる「成長過程での社会性の発達」の流れのなかで、必然とも思います。
でも、歳を重ねてくると、一人で生きていくことの「限界」みたいなものも分かってくることもあってか、「縁」へ戻る回帰のようなものを考えてしまいます。「縁の固定化」というか、「一度脱してしまった縁との結び直しの難しさ」を感じるこの頃です。
2006年の甲子園で、早稲田実業の斉藤祐樹投手と苫小牧高校の田中将大投手戦は記憶に新しい。(延長15回1-1の引き分け、翌日再試合で早稲田実業が4-3で勝ち優勝)
高校卒業後、田中投手はプロ野球の楽天へ入団、斉藤投手は早稲田大学に入学しその後日本ハムに入団した。
同期入社で、ほとんど互角のライバル同士だったのに、気がつけば実力も肩書きも大差がついている-サラリーマンの世界ではよく目にする光景だが、特にスポーツの世界では、明暗が「成績」という形でハッキリと表われる。
「ハンカチ王子」と、いわれて一躍、斎藤佑樹の名を馳せた。方や野村監督に「マー君」の愛称で呼ばれた楽天の田中将大投手・・・甲子園では、引き分け再試合を戦い抜き、最後は斎藤が田中を三振に仕留めて優勝・・・ライバル対決は斎藤に軍配が上がった。
しかし、それから7年・・・早稲田大のエースを経て、日本ハムに入団した斎藤は故障もあって二軍でくすぶり、楽天の田中は22連勝の日本記録を打ち立てるなど“最強エース”の名をほしいままにしている。
一方、ゴルフ界で、17歳で華々しくデビュー石川遼選手(21)は、ゴルフ・ファンならずともその名を知らしめた。石川選手は2007年、高校1年だった15歳の時にプロツアー初優勝を飾り、史上最年少優勝を更新。翌2008年に16歳でプロに転向するや、2009年には史上最年少で賞金王に輝いた。一時は石川の長き黄金時代が到来するとまでいわれたが、ここに来て戦績は低迷が続いている。
かたや、アマチュア時代に石川選手に水をあけられていた松山英樹選手(東北福祉大学)は、今年4月にプロデビューし、2戦目で初優勝を飾った。その後も、全米オープン10位、全英オープン6位と、いずれも日本人最高順位を記録。ランキングでも一気に石川を引き離している。
淀みの水は腐るが、流れ続ける水は腐らない。
仕事や勉学に励んでいれば生き生きとして進歩できるということ、仕事も止まっていること、常に同じ繰り返しでは人は成長しません。
同じことでそれ以上のことを考えなければ衰退していきます。活気がなければ職場の空気は澱んでいきます。
上記で言う「勉学」とは勉強だけではなく、常に今の自分よりもっと高い志をもっていくこと。武士道で表現すれば『徳』を積む生き方を学ぶことです。
「徳」とは、人としてあるべき姿、理想像、素敵だ、と思う人間になるためにどういう心構えで、どのような言動して、どう生きていくのか、そういう高みを目指して精進することです。
日常では、仕事で売り上げを上げる、人間関係のコミュニケーションを学ぶ、スキルアップの資格を取得する、そういった自分が向上していけることに取り組んでいくということです。
これこそが「流れる水」です。腐らず、濁らず澄み切った、綺麗、そんな人生を目指したいです。
「鉄は熱いうち打て」
鉄は熱してやわらかいうちには、打っていろいろな形にできることからいう。人間も、純粋な心を失わず、若く柔軟性のあるうちに心身を鍛えることが大事です。
また物事を、なすときにも、熱意が盛り上がっているうちに実行することが大事であるということです。何時も考え行動をし続けること「チャレンジ」することだと思います。後悔しないように、死ぬまで向上心を持ち続けることです。
今現在どのように生きているのかが人生の一番大切な一大事なのです。だから人生は生きているその一日一日が勝負なのです。
いづれ、遅かれ早かれ人間は死ぬのです。あっと、いう間に人生は終わるのです。年齢には関係なく、生きているその一日がかけがえのない人生の真剣勝負の場なのです。
この歳になってやっとこんな当たり前のことに気付きました。
人間は、その日その日で体調が良かったり、悪かったりの「波」を感じることがあります。
朝目が覚めて・・・アレ・・・体調が何か変だ!なんてことがあります。「バイオリズム」というものがあるという。現役時代に会社の研修で教わったことがあります。
「バイオリズム」とは・・・「生命」を意味する 「バイオ」と規則的な運動を意味するリズムの合成語で、生命体の生理状態、感情、知性などは周期的パターンに沿って変化するという仮説、およびそれを図示したグラフである。
人間の場合は、身体(Physical)、感情(EmotionalまたはSensitivity)、知性(Intellectual)の3種類の波を用いて説明されることが多く、頭文字 P, S (E), I と表記される。各リズムは、誕生日を基準とする同じ振幅の正弦波として表され、身体リズムは23日、感情リズムは28日、知性リズムは33日の周期をもつ。
これらのリズムは、一定の周期でくり返されるため、未来の自分の身体や精神の状態を前もって知ることができるとされ、その時の波形の高低で高調期、低調期などと区別されるが、高調期と低調期の切り替り点は体調が変動しやすいとされ、注意が必要な日とされる。・・・ウキペディア
茶道に「和敬静寂」という言葉がありますが、仲良く、尊敬し合い、清らかな心で、どんなことがあっても動じない・・・というものだと思います。
目に見えるだけの清らかさではなく、心の内より綺麗にする、心の中が清らかであるいうことを意味するそうです。心の汚れはなかなか簡単には取れません。そして自分自身が気付くということは更に難しいものです。
常日頃から自分自身で清めるという心を持っていることが大切だと思います。誰にも私たちの未来を予測することは出来ませんが・・・どんな事態になっても動じないだけの心を持ちたいものです。
心身とも健康でありたいと思います。心と体は、自分ではコントロールは難しく、好不調の波はあるもので「バイオリズム」があるのです。
スランプを出来るだけ短い時間に(短時間・短期間)回復させる“コツ”を、習得することが大切だと思います。
「イプシロンロケット」・・・何か飲み薬?みたいな名前?のロケットが12年ぶり開発され惑星分光観測衛星(SPRINT-A)を搭載した試験機は、昨日(27日)13:45分・・・・鹿児島県内之浦空間観測所/肝付町の発射基地から打ち上げのTVの実況中継をみていました。
高性能維持・従来の3分の1の低価格で約38億円だそです。そして、ロケットの打ち上げをもっと手軽なものにし、宇宙への敷居を下げよう…それがイプシロンロケットの最大の目的という。
昨日の雨もあがり、晴天となり気象的には何の問題はない。3キロ離れた場所から多くのメディアのテレビ実況中継と地元の人・観光客の人、期待して打ち上げ瞬間を見ようと集まっていました。カウントダウン・・・3・2・1・・・アレアレどうしたのだろう?上がらない。
JAXSロケットの自動カウントダウンシーケンス中に姿勢異常を検知し、打ち上げ約19秒前に緊急停止しました。8月27日の打ち上げは中止になりました。
読売新聞・・・ロケットの姿勢がわずかにずれていると地上側のコンピューターが誤検知し、点火前に自動停止した。
JAXAは別の方法で確かめたが、ロケットに異常はなく、機体のコンピューターから地上のコンピューターにデータが送られる際に異常があった可能性があるとみて調べている。
イプシロン開発責任者の森田泰弘・JAXA教授は、原因究明と対策、検証で最低2日はかかるとの見通しを示した。
日本の新型ロケットとしては、2001年の「H2A」以来、12年ぶりになる打ち上げだった。JAXAは作業を中断し、原因の究明にあたっている。
イプシロンは、全長24・4メートル、重さ91トン。開発費は約205億円で、最大1・2トンの衛星を打ち上げることができる。
高性能化が主眼だったロケット開発のあり方を見直し、部品の簡素化や管制システムの改善でコストを抑え、使い勝手の良さを追求した。今回は、木星や金星などの惑星の大気、磁気圏の状態を観測する衛星「スプリントA」を搭載している。
8月25日投開票された横浜市長選は、現職の林文子氏が再選を果たしました。投票率は、なんと、29.05%でした。衆院選と同日に行われた前回が68.76%だったのに比べて大幅にダウン。過去最低の投票率だったのです。
横浜市選管の担当者は、「7月の参院選から、わずか1カ月後ということもあり選挙疲れが出たのではないか。また、告示日がお盆と重なったり、猛暑の日が続いたため候補者の選挙活動が十分に浸透しなかった上、投票日に雨が降ったことなどが響いた」と話しているそうですが・・・
あまりの低投票率に、驚きで、これで民意と言えるんだろうか・・・???いくら結果が見えていた選挙とはいえ、本当に無責任だと思います。
日本経済新聞社説・・・「投票したくなる選挙にしよう 」
選挙への関心の低下が著しい。25日の横浜市長選の投票率は過去最低の29.05%。この10年の政令指定都市の市長選では最低だった2005年の名古屋市長選(27.50%)並みの水準だった。
民主主義は選挙を通じて民意を束ねる仕組みだ。投票は権利であると同時に主権者たる国民が担う役割でもある。面倒くさい、暑くて出歩く気がしない、などの理由で棄権するのは無責任だ。
最近の選挙が選択肢に乏しいのは否めない。国政では与野党として対峙する自民・公明と民主が地方選では相乗りすることが多く、有力候補の信任投票になりがちだ。今年は山形と秋田の知事選で現職に挑む対抗馬が現れず、無投票で当選が決まった。
優れた指導者も競い合いがないと惰性に流されるものだ。公職に任期があるのは仕事に緊張感を保つための知恵でもある。
横浜市長選では投票所設置などで約10億円の税金が費やされた。無投票でよいではないか、そのカネでもっと保育所をつくれ、という声も耳にした。無投票当選ばかりになれば権力への監視の目が行き届かなくなる。選挙経費は未来のよい政治への先行投資だ。
投票率上昇には選挙運動を活発にすることが大事だ。ネット選挙は候補者への成りすましなどが心配されたが、参院選をみる限りさほど支障はなかった。まだ禁止されている有権者個人のメールによる投票呼びかけは解禁してよい。
公職選挙法は買収・供応が横行した時代の産物であり、あれも禁止、これも禁止になっている。ビラの配布枚数は制限され、戸別訪問は禁じられ、街頭活動は午後8時まで。原則自由に転換すれば選挙をもっと身近にできるはずだ。
深夜に街宣車で住宅地を騒がす候補が出ると懸念する向きもあろう。有権者の歓心を買うことが目的の選挙において周囲を不快にする活動は必ず淘汰される。今度の選挙はなんか面白そうだ、投票に行くか。そう思わせるような選挙を少しずつでも増やしたい。
あまりにも歳をとりすぎました。平均年齢78歳では、前向きな考えが浮かびません。
昨日、10世帯で利用している全長70メートルの私道(砂利道)の舗装を、開発業社の説明会を開きました。具体的な舗装の方法は、市・業者で、設計・予算見積もりなどして、具体的に示されました。
雨水の排水処置で最善方法で、浸透マス(直径2メートル深さ3メートル)を4個、掘るという設計です。工事予算見積もりは650万円で市の補助は予算の80パーセントの300万円で、残りの350万円居住者負担というものです。
また、各戸の負担の割合と、工事終了後のメンテナンスは、居住者負担となるということです。その上、1時間60ミリの大雨の場合に一部個人の敷地内流入の恐れなど想定されるということです。
私道は一部個人の所有となっている部分もあって、市に買い取っていただき、市道として管理して欲しいとの意見があり・・・無理であることから、現状からこの提案に反対の人がいました。
具体的な意見・・・残り少ない人生で、財政負担に見合う事業は、話に乗れない、舗装し住みやすい居住地になることは、良いことだが、86歳もうそのパワーエネルギーがないというのです。息子(独身)はこの地・家に今後、居住するか分からないという。
戦後68年の家族制度・社会構造の変化と 、この地で世代交代という、シナリオは考えられないということだと思います。自分の今後の生活確保の不安と、次世代につなげるため経済的負担割合・・・計りきれないのだと思います。
農地を住宅地に整備し50年近く、住み続けています。この地の住民は、それぞれの考え持ってはいるものの、助けあい、協力し合って来ました。ごく狭い(昔は隣組)は、今も健在です。
しかし、核家族化が進み、地域社会で共通している、家を引き継ぐ(今まで住んでいた家)後継者がいないという悩みは、他の地域と共有していると思います。
この地に子や孫達が生活できる環境にするためには、大型規模の再開発で、街づくり考えなければと思いました。また、子供達に将来について、私達の考えを話し伝えなければと思いました。
人は、日々の生活の中で喜び、悲しみ、苦しみ、楽しんで・・・時を送っています。人は感情の流れの中に生きていると言ってもいいのかも知れません。
病気、身近な人の不幸、突然の大震災で家族を失い、生きて行く基盤を喪失したとき、夢や希望を失うような場面に、人は悲嘆にくれ我を失います。
そんな時、人は苦しみ、悲しみにあるとき信仰心が、なくても神仏を頼りにすることが多いと思います。宗教という心の支えで、安寧を求めいるのだと思います。
しかし、神仏を信じられない人々は何を頼ればよいのでしょうか・・・何を生きていくことを考える上での原点にしたらよいのでしょうか・・・すべての人に共通することで、唯一の答えは「自分が生きていること」です。
人は未来に夢を託して生きています。過去の栄光に生きるなどということもありますがが、生きているのは、現在、それも今のこの瞬間にしか過ぎません。
そして、人生で一番大切なことは、どれほど真実と向き合うことができたか?すなわち、どれほど本当の自分「真実」を知り得たかなのです。
多くの人は、物やお金や地位や名誉を得るために命を削っています。地位や名誉や財産よりも、もっともっと大切なものがあります・・・それは真実を知ることなのです。
私達が求めるべきものは真実です。すなわち、「本当の自分を知ること」です。これ以外人生の目的はありません。成功者とは、真実に少しでも近付けた人のことをいうのです。
自分というこの存在は、自分の力で生きているのではなく、自然界の恵みを得で、生かされて生きていたのだと・・・それも頭で、知識として知るのではなく、肉体を通して、体当たりの経験として知ることです。
運命環境で不遇を経験したりすることは、当たり前に生かされていることへの感謝を出来ない心が、そうした本当の自分を知るための、最大のチャンスを得たと言えるでしょう。
宇宙の運行のすべてが調和を求め、より大いなる調和に向かって進んでいます。それは、原子、素粒子の世界においても同しです。
人間生命の奥底には、すべてを存在させる大いなる宇宙の法則で生きています。その法則に逆らえば逆らうほど、この世における苦悩も増してくるのです。
逆に、その法則にすべてをゆだね、その大いなる意思に沿って生きると、すべてにおいて摩擦がなくなります。
自分の力で生きていたのではなかった、見えない力に生かされていたのだと知った時、私たちは初めて、生きることの本当の意味を知るのだと思います。
いま、まさに老いようとしている自分は、老いたくなくても老いてしまう、病気をしたくなくても病気になってしまう、死にたくなくても死んでしまう・・・
このように思い通りにならないことや、自分の力ではどうすることも出来ないことが多すぎるため、苦しみ・悲しみ・怒り・恐れ・哀れみ・情けなさを改めて感じる今日この頃です。
さらに、いま社会はグローバル化は、ますます進化している時代といわれています。その副作用として無縁社会という新語がでるようになり、独善的な思考が強く感じられる世の中となってきたと思います。
老後を考えたとき、堪らない不安を覚えるにです。実際には社会環境・構造の問題で自己努力だけではどうにもならないものがあるのに、その結果を「自己責任」にされてしまうことです。
これが今の社会風潮であって、それに対し、最早 悲観・自虐・諦めてしまっている人が多いのではないでしょうか・・・
昔の形へ保守回帰すればいいのかというとそれも違うと思います。血縁・封建社会から脱却しようした結果・経過として今があるのであって、また そこへ逆戻りする事が、この事態を進展させるとは思えません。
無縁化時代、無縁化社会の老後今老後の問題となるとついの棲家をどこにするのか、どうしたらいいのかと問題です。墓もそうで、最後に行き着く場所が墓ですが、それも跡継ぎがいない・・・
介護にしても一旦病気になったりしたら助けになるのは近くの人です。つくづく病気とか介護になると、老後は近くが大事になと考えています。しかし・・・
世界の果てまでグロ-バル化した行き着く先は一番身近な世界が頼りになるというのも皮肉です。グロ-バル化した無縁化社会でも老後になると非常に狭い世界が頼りになってしまうのです。
その矛盾が現代の無縁化社会となって現れています。 会社から退職して切り離されたら会社の縁から無縁化する、では、地域の縁があるかと言ったら都会では余計ありません、
そういう縁を作ることはまた容易ではありません、お手伝いさんとか、ヘルパ-に来てもらうにしても誰か分からない人だと、その人に頼りだまされ殺人まで起きています。簡単に家族の中に他人を入れることは難しいのです。
無縁化社会というと、金が頼りになるというのも無縁化社会を象徴でもあります。でも金だけを頼りにするとき介護などでは解決しえない問題が起きてきます。
介護などは日頃からの信頼関係が大事です。他にも困ったときはどうしても日頃からの関係が大事になります。
困ったときは「遠くの親戚より近くの他人 」になるのは変わっていません、地球の裏側と経済的に結びついても困ったからと地球の裏側から助けがくるけではないのです。
もちろん物質的なものは送られるかも知れませんが、介護とかなると人力でありモノだけ送られてきても助けにならないことになります。
老後の問題は最後のアイディンティティを土地にも求められません、家族に求められません、皮肉なのは、共同墓地は老後になってはじめて知り合った人たちが作った墓地だったりします。
そのことが現代の無縁化社会を象徴しています。土地にも家族にもアイディンティティが求められず、最後は見知らぬ他人同士が共同せねばならぬという皮肉です。これは個人個人の問題ではなくグロ-バル化経済も、影響した結果だったかも知れません。
アメリカのニューヨークヤンキースのイチロウ選手が、日米あわせて4000本安打を打った。過去には、元巨人の張本選手の3085本が最高でした。「アッパレ」です。
日本では、2000本で、名球会入りの資格は、2013年現在の入会資格は、投手として通算200勝利以上、または通算250セーブ以上・打者として通算2000安打以上です。イチロウ選手は、1973・10月生まれの39歳ですが、この記録はまだまだ伸びるでしょう。
私は、貫くプロ意識、故障避ける努力と、常に最高のプレーを見せるため、徹底した自己管理と節制は当たり前・・・そんなプロ意識がイチローを支えてきたのだと思います。
レッドソックスの上原浩治投手は、「日本と米国でけがをしないでプレーし続けていることが超一流」とコメントしいますが、その通りだと思います。
昨日記者会見で(NHK)・・・ヒットを積み重ねられた要因については、「4000本のヒットを打つために、8000回以上の悔しい思いをしてきている。その中で、常に自分なりに向き合ってきたという事実はある。誇れるとしたらそこではないかと思う」と話しました。
今後の選手生活について「うまくいったことではなく、うまくいかなかったことの方が強く記憶に残り、その中で瞬間的に喜びが訪れる、それがプロの世界のだいご味でもあると思う。これからも失敗をいっぱい重ねていって、たまにうまくいってという繰り返しだと思います。うまくいかないことと向き合うことはしんどいですが、これからもそれを続けていきます」と話しました。
信念のある人と思う・・・「信念」とは・・・
「世の中の人はなんとも言わば言え。わが為すことは我のみぞ知る」・・・坂本竜馬名言です。(世間の人は何とでも好きなように言えばよい。自分のすることは自分だけが分かっている)
疑いの心から出発しなければ深く根ざした信念は得られません。軽々しくよく考えもしないで信じる人は大した信念を持っていません。何ものにも揺るがない信念を持っている人は、血と汗を流した結果それを勝ち得たのです。刺だらけのやぶを通り抜けて広々とした世界へ到達し、疑いの世界から真実の世界へ達したのです。
今朝の産経新聞主張・・・『イチロー4000本 さらに精進し「次」目指せ』
高校野球野球は群馬の前橋育英が熱戦の末に優勝しました。今年は例年になく暑かった夏も、秋の気配を感じるようになりました。
第95回の全国高校野球大会は終ったが、また来年・再来年と・・・五年後100回の記念すべき大会となります。
ひたむきに、一日一日前進して行くことです。結果はどうであれ、目標に向って努力することに価値があるのです。
今年は、記録的暑さと、今まで経験したことがない豪雨が関西・東北にありました。
秋の訪れは、朝夕の風で感じられるようになってきました。近くの田んぼの稲も穂が出て、栗、梨、葡萄などの果物など、太陽のエネルギーうけて大きくなってきました。
季節は秋に移ろうとしています。人間の感情など推し量ることもなく巡っています。最近、季節感が薄らいてしまい、野菜なども「旬」が分からないで、食べ物に季節感がなくなったと思います。
それでも野山に咲く花は確実に季節を捉えています。人間も自然と生き、自然の営みにあわせて、自然の力を享受出来ることに喜びを感じ、感謝できることは、この上ない幸せと思います。
そして、一日一日を大事に生きて生きたいと思います。
猫じゃらし 風になびいて 秋を呼ぶ
庭に生える雑草を見ていると、成長するのが早い。2~3日前に完全に除草したのですが、小ささな草が生えてきます、多分風で種が飛ばされて来たものだと思います。
アッという間に芽が出て伸びてきます、そうして花を咲かせ、実を付けるのです、必死に子孫を残そうとしているのです。石の割れ目でも、ちょっとの土と水があれば成長します。
近くの湯殿川の河川管理通路に猫じゃらし(えころぐさ)が沢山生えていて、秋風を呼んでいるようでした。
まだまだ暑い日が続きますが、ようやっと、朝夕は、秋を感じるようになりました。
修行が足りない 町の汚れを嘆き、ゴミ拾いのボランティアをしても心が晴れない。ボランティアの取り組む心に迷いがあります。
ボランティア活動をするときの取り組む姿勢で、必要なことは何だろうか? 私は町に住む人間が、『「安心・安全・気持ちよく過ごせる町」であるよう感じ、住んで良かったと思える町に・・・と』また、自分自身の修行だとの思っています。
しかし、毎日行っているゴミ拾いで、捨てられているゴミの量は、一向に減らないのです。注意看板を取り付けて、マナー向上を訴えていますが、思うように成果は出ません。
町をきれいにするには、一人ひとりの心がけだと思います。一人の人が一個のゴミを捨てても100人で百個のゴミになるのです。
人間は、環境に馴染む、町が汚れていても、時間が経つと慣れて、気にならなくなるものです。「これが普通」と思い込んでしまうのでしょう。異常=普通=通常と認識してしまうでしょう。
例えば横断信号などの交差点では、そこにタバコの吸い殻を捨てることは当たり前?と無意識に捨てる人達がいます。また一つのゴミを捨ててあるところにまた誰かが捨てるどんどん捨てて、ゴミ溜め化してしまうのです。
また、交通渋滞箇所などで植え込みに捨てて行く、ドライバーが多いのには嘆かずにはいられません。(監視カメラを取り付けて取り締まる?)
ボランティア活動に取組む姿勢で必要なことはひとことで言うと裏方に徹すると言うことだと心がけていますが、私がゴミ拾いをしている前に捨てていく人がいます。
その時にかける声は、感情的なってしまうことに反省していますが、『やってあげている』的なふるまいをしてしまうのです。
何の為にボランティアをやっているのか?自己満足のためなのか?考えてしまうことあるのです。しかし、私の行為を誰かが見ています。そしてその行為に「ありがとうございます・ご苦労さま」と声をかけてくれるひとがいることです。
昨日、町の人に声をかけられました。「あなたは、よくゴミ拾いをしている姿を見かけますが、ボランティアで、ゴミ拾いしているのですか?」・・・と。「ハイそうです。自主的にしていて、市などから、から委託されて行っていません」と返事いたしました。
「ゴミを捨てない、ゴミがあったら拾う」心がけが大事なのです。子どもの情操豊かで、人に優しい人間が育つ環境が大切といわれます。いま自己中心的な大人が多くなったと言われています。大人の一人ひとりが、環境意識をもう一度見直して欲しいと思っています。
終戦当時8歳の私でありましたが、艦砲射撃・敵機襲来・空襲警報・防空頭巾・灯火管制・召集令状・出征兵士・原子爆弾・機銃照射・焼夷弾・配給制度・大本営発表などの(四文字熟語多い)を覚えています。
竹槍訓練・消火訓練・バケツリレー・東京空襲・・・集団自決・戦争孤児・栄養失調・浮浪児・傷痍軍人などなど・・・
戦争とは・・・子どもの頃は「国と国」の戦いであり「人と人の殺し合い」というイメージがありました。そして、どんな理由であろうと、「戦争は絶対起してはならない」と思う一人です。
最近の子どもは、戦争の怖さを体験できません。戦争とは・・・色々な情報(本やビデオ・映画と実際に現在中東などの紛争でニュースで知るぐらいで、想像でしか分からないでしょう。
いま問題となっている、中沢啓治さんによる、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」が戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれています。
中沢さんの主観で書かれていますが、その「むごたしさ」リアルすぎるということで、松江市教育委員会は12年12月、作品中の暴力描写が「子どもの発達上悪影響を及ぼす」との理由で、市内の小中学校に閲覧制限と貸し出しをやめるよう要請しました。今月になって要請が明らかになり議論を呼んでいます。
昨日の朝日・毎日の社説でとりあげています。
朝日・・・「はだしのゲン 閲覧制限はすぐ撤回を」
広島での被爆を主題にした漫画「はだしのゲン」を、松江市教委が小・中学校の図書館で自由に読めなくするよう指示していたことがわかり、全国から批判が相次いでいる。
それでも、「ゲン」が高い評価を得たのは、自身が目の当たりにした戦争の残酷さを力いっぱい描くことで、「二度と戦争を起こしてはならない」と伝えようとした中沢さんの思いに子どもたちが共感したからだ。
毎日・・・「はだしのゲン 戦争知る貴重な作品だ」
原爆や戦争を教育現場で学び、その悲惨さを知る機会を子供たちから奪うことになるのではないか。
作品に残酷な描写があるのは、戦争や原爆そのものが残酷であり、それを表現しているからだ。行き過ぎた規制は表現の自由を侵す恐れがあるだけでなく、子供たちが考える機会を奪うことにもなる。今回のような規制が前例となってはならない。
中沢さんは生前、「戦争や原爆というテーマは奥が深い。ゲンを入り口にいろいろと読んで成長してくれれば作者冥利に尽きる」と話している。被爆者が高齢化する一方、戦争を知らない世代が増え、戦争や原爆被害の体験を語り継ぐことがますます重要な時代を迎えている。こうした継承を封じてはならない。
昨日(17日1泊)、子ども達夫婦2組と、孫4人と私達夫婦の2人の計10人で伊豆熱川に1泊旅行に行ってきました。
ホテル伊東園グループとは(ウキペディア)
それまで東京都でパチンコ店、サウナ、キャバレーなどが入居する複合施設を運営するなどしていた在日韓国人の実業家、李支宗(りししゅう)が、倒産して競売にかけられていた「伊東園ホテル」(静岡県伊東市)を2001年に買収したのが始まりである。李は当初、これを自社社員用の研修所とする目的で購入したものだったが、「いける」と考え直し、改装のうえ一般向けのホテルとして同年12月に再開業させた。
李はその後、倒産や経営不振に陥った宿泊施設を次々に買収、格安ホテルとして再生させていった。この手法を用いることによって、2012年9月現在、伊豆(静岡県)を中心に、北海道から滋賀県まで、計43館の温泉旅館・ホテルが、「伊東園ホテルグループ」として運営されるに至っている。
そのグループの一つのホテルに1泊したのでした。印象は安い・施設は修理・改修が必要と従業員の対応の不備で、館内の施設内用の説明とサービスが問題と思われました。(地震などの非常時の対応など)安いということだけで、宿泊者多かったと思いますが、不安さえ覚えました。
食事は夜・朝、バイキングで、飲み放題・食べ放題でした。食堂のテーブルには並んで席を取るお客さんで、満員状況でした。
お客の食事のとり方にも問題があると思いました。並んでとる好きな食べ物をとって席に運ぶのですが、食べられる分だけとって容器に載せればいいのですが、多くとって食べ終わった席を見ますと、食べ残しが多いのです。
「もったいない」・・・ちょっと見ただけで1~2割ぐらい残されていると思いました。物あまりの日本ですが、これはいけない!むかし親から「一粒のゴハンでも残してはいけない。お百姓さんが八十八の手間をかけてご飯になるのだ」・・・と言われたものです。
昨日の朝日新聞の社説で「食品ロス―消費者から変わろう」が載っていました。
「人間が食べるために生産される食料は世界で年間ざっと13億トンで、うち3分の1が失われている。国連食糧農業機関(FAO)がそう推計している。
消費段階で捨てられるものを「廃棄(ウェイスト)」、生産から小売りまでの間を「ロス」と区別している。 日本ではロスが500万~800万トンともいわれ、コメの収穫量に匹敵する。」・・・ということです。
「もったいない」・・・環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんを思い出しました。2005年の来日の際に感銘を受けたのが、「もったいない」という日本語でした。
環境 3R+Respect=「もったいない」Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉、「もったいない」です。
日本人の危機意識の薄さに悲しい思いがいたしました。
1945年終戦し、「復員」・「物物交換」・「配給」・「進駐軍」・「傷痍軍人」・「買出し」・「パンパン」・「浮浪児」・「闇市」・「朝鮮動乱」・「金偏景気」・・・子どもだった私でも覚えています。
「サッカリン」・「ズルチン」の甘味料・「カルメ焼き」・「アイスキャンデイ」・「イモゴハン」・・・食べるものがない・・・「野イチゴ」・「桑の実」・「タンポポ」や「のびる」などの野草などをたべた。
「タニシ」・「川魚」は唯一の蛋白源でした。「野ウサギ」や「蛇」や「蛙」なども食べた。「イナゴ」や「てっぽう虫」・・・クワガタ虫の幼虫?美味しかった。
「DDT」・「セキリ」・「セキリ」・・・「シラミ」・「ダニ」・「ノミ」・「ダニ」学校でDDT頭にかけて貰い毛シラミをとったのです。
栄養失調の上、衛生が悪く、ハエやシラミなどで、デキモノが出来、膿んでしまう子どもが多かった。そして、セキリやエキリで死んでいった友達もいました。
紙芝居をみて。ベッコウ飴を食べ、そしてラジオで、「鐘のなる丘」・「君の名は」・・・を聞きました。小松崎茂の本を昭和23年に母親に初めて、買ってもらいました。他に、「黄金バット」大事にして何度も読んだのですが、残念ですが、本は片付けられてしまいました。
太陽の陽射しと 流れる風同じなれど 変わってしまったのは、風景と人情だと思います。普通は「絆」きずなと読みますが、もう一つ漢字があります。
世の中は人と人が糸で結びあって人間であるということでしょう。糸と世で、「紲」(きずな)と読むのですが、人は、一人では生きていけません。多くの人に関わり合って生きられるのです。
自己中心主義・利己主義とも思われる人も多くなっているようです。昔の親の「しつけ」・「道徳」が全く疑うような行為、(ゴミを平気で捨てる・困っているいる人がいてもみてみぬ振りをしてしまう)や優しさや、思いやりなどが指摘したいのです。
環境問題でも、これ以上地球を汚し続けることは、自滅することなのです。人は、数多くの植物・生物の中で生きられるのです。豊かな自然を残すことで人の未来はあるのです。
エネルギー問題でも化石燃料は有限です。何とか自然のエネルギーを利用していかねばなりません。なんと言っても効率のよい、供給と需要のバランスを考えていきたいものです。
3・11東日本大震災を経験しています。貴重な経験を生かし、人の「紲」とはをもう一度、危機意識をもって、襟を但し正座して考えるべきだと思います。
今日8月15日は「終戦の日」です。毎年、靖国神社へ参拝が中国・韓国から大きな関心事となっています。
新藤義孝 総務大臣 ・ 古屋圭司 国家公安委員長 ・ 稲田朋美 行政改革担当の三人が参拝を検討しているという。安倍総理は、中国や韓国に配慮して靖国参拝は見送り、代わりに「玉串料」を奉納することにしているという。
靖国参拝で閣僚の参拝でNHKの世論調査で、閣僚が靖国神社に参拝することについては、「賛成」が37%、反対が24%「集団的自衛権の行使を出来るようにすべきだと思うかどうかに」に対しては、「思う」29%、「思わない」が22%だったという。
靖国問題とは、(ウキペディア)
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や歴史認識、近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。終戦の日である8月15日の参拝は太平洋戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。
日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった。 他方、戦争被害を受けたと主張する中国、韓国、北朝鮮の3カ国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に反発している。
もっとも、1978年にA級戦犯の合祀がされた後も、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に参拝をしているが、1985年における中曽根康弘の参拝までは、なんらの抗議も懸念も表明されたようなことはなかった。 1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日付で、朝日新聞記事により『靖国問題』として特集が組まれると、その一週間後の8月14日、中国政府が、史上初めて、公式に靖国神社の参拝への懸念を表明するに至った。
今日の新聞各紙の社説
朝日・・・「戦後68年と近隣外交―内向き思考を抜け出そう」
読売・・・「終戦の日 中韓の「反日」傾斜を憂える」
毎日・・・「8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ」
日経・・・「戦争と平和を考え続ける覚悟を持とう」
産経・・・「終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った」
阿倍晋三首相は、憲法改正、集団的自衛権の行使などを推し進めていく考えのようです。そのことに、同盟国であるアメリカでも怪訝な目で見ている人もいるようです。今日のニュースでエジプトの内乱で多くの犠牲者がでたという。シリア・イラク・アフガニスタン・パキスタンなどは、国内紛争が続いています。今日の終戦の日に、「戦争と平和」を考える一日したいものです。
太平洋戦争は、昭和20年(1945年)8月15日68年前の今日。日本は負けたのです。
よく晴れて朝から陽射しが強く照っていた。子どもの私は、何時も警戒警報のサイレンが鳴らないので、「あれどうしたのだろう」と思っていました。(毎日のように大本営発表の敵機襲来、警戒警報発令・空襲警報発令、敵機B29の編隊は・・・の放送で防空壕に入った)
10時ごろに、母親が何か重大にユースがあると、ラジオで放送があったという。(そのころ、小作農で貧しいと思っていた我が家だったが、何故かラジオがあったのです。)
12時ちょうどに、父と母・兄弟4人と近所かた3~4人が棚にあるラジオの前に集まった。「あれ隣りの清ちゃんがいない、誰か呼んできてくれと」親父言った。(親父は消防隊長だった)
兄が探しに行っていたら、直ぐ近くの兵衛川の川久保橋の左の土手に防空壕を掘っていたいう。泥だらけのシャツと顔だった。
12時。帽子・姉さんかぶりを脱ぎ並んだ。親父がおもむろにラジオのスイッチを入れた。ガーガーとノイズが凄いが何とか聞き取れた。天皇陛下の玉音放送です。
私は何のために集まったのか、玉音放送とは、天皇陛下の声はと、疑心暗鬼な不思議な雰囲気だったことが記憶にあります。
暑かった。放送を聞いて、みんな肩を落していたが、防空豪を掘っていた清ちゃんは、直の事がっかりした様子でした。「さーてどうなるのだろう」みんな、不安気な顔を見つめあっていました。
近所の年上の友達は、「男は牛の鼻環をつけられて、強制労働だ」と口にした。本当なのかもしれないと思った。「女はと」聞いたら、答えはなかった・・・暑く、蝉の声がいやに大きく聞こえていたことが印象的に覚えています。
何故か分からないがその後の記憶は残っていません。私は8歳、小学校2年生でした。
私は生まれも育ちも、いま住んでいるところ東京の郊外の八王子市片倉町です。子どもの頃のむかし、ホタルを捕まえて、蚊帳の中に放した思い出があります。
産湯に浸かったとは、申しませんが、湯殿川のなじみの魚、山にはうさぎやきつねと一緒に育った?のです。湯殿川で洗濯・野菜洗いなどし、生活と密接な関わりがあったのです。
開発が進んで、すっかりむかしの面影が失せてしまった片倉町ですが、半世紀前に、ほうきでホタルを追っていた昔を懐かしい。魚や、うさぎはどこへ行ってしまったのでしょう。土手や藪がなくなり、コンクリートの川岸となって、魚や昆虫など棲めない環境になってしまいました。
これらの生き物を知っていますか・・・川エビ・タニシ・シジミ・カワニナ・メダカ・イモリ・ドジョウ・フナ・クチホソ・ウナギ・八つ目ウナギ・カジカ・ギバチ・ナマズ・オババがいました。そしてイナゴ・キリギリス・バッタ、そして、多くの種類のカエル・ヘビなどと蝉など沢山いました。
子供たちは、湯殿川で川遊び(泳ぎや、魚獲り)をして遊んだのです。そういう自然豊かな地で育つと、心が豊かになるといわれています。
現代人は、心の豊かさとは・・・知らないのかも知れません。私は、少しでも、むかしいた生き物達を呼び戻したいと思っています。
携帯電話に緊急地震速報がなって・・・身構えた人は多かったと思いますが、甲子園の高校野球は続行したのです。・・・もし本当に震度7の地震が起きていたら・・・この反応に驚いた人も多いと思います。
8月8日午後4時55分ごろ「南海トラフ」?緊張が走った。東京にいる私の携帯電話にも、緊急地震速報(出先で)アラーム鳴った。関西の奈良県との震度7程度ということだったが気象庁の誤報と分かった。
近畿を含む広い範囲に出された緊急地震速報。全国高校野球選手権大会初日の甲子園球場では観客席の携帯電話のアラーム音が鳴り、津波被害が予測されている和歌山県には緊張が走った。
甲子園球場は日川高(山梨)―箕島高(和歌山)の試合中。スタンドのあちこちで速報を伝える携帯電話のアラーム音が鳴り響いたが試合は続行、混乱はなかったという。
「災害は忘れたころにやってくる」地震は、夜昼関係なくやってくるのです。
新幹線・都内の鉄道機関などは緊急停車などの処置が自動的にとられたそうです。何万人もの人を集めた野球・サッカー・陸上競技場、劇場など、交通機関など、対応が問題です。当然、管理・主催者は、想定していなければならないことだと思います。
日本高校野球連盟などでつくる夏の全国高校野球大会の大会本部は12日、甲子園球場(兵庫県西宮市)に影響の恐れがある緊急地震速報が発表された場合、すぐに試合を中断する、と発表したという。
当然と思います。むしろ遅いくらいです。だから日本で、20年オリンピック招致が決定したら、地震対応を検討していると思いますが、シュミレーションで、混乱を最小限に抑える処置をとるなど公表すべきと思います。
いろいろな因縁により生まれてきたのです。だから自分自身で生きていると思っていても、本当はは生かされているのです。
心臓の鼓動は意識しても止められません。そして酸素を吸って二酸化炭素吐き出す、呼吸は自分では、意識せず行っています。生かされているから、呼吸するという自覚がともなわないのです。
生かされている身の上ですから、自然なこととして生あれば死あり、やがて死をむかえることになります。人間はこの世では生・老・病・死の苦しみから逃れることは出来ません、辛く苦しいことにも堪え忍ばねばならないのです。
苦の娑婆です。・・・娑婆とは、人が生きる世界を指し、世界四苦八苦の苦しみに耐える自由のない世界としています。それで、この世、俗世間のことを娑婆というようになったそうです。
人はだれもが求められて、この娑婆に生まれてきたのですから、どんなにつらく苦しくても、すべっても、ころんでも、歯をくいしばって、堪え忍んで生きぬかねばならない、これが娑婆の生き方です。
「日々是好日」・・・降っても照っても、悲しくても楽しくても、今日が一番いい日です。私の一生の大事な一日なのだから・・・という意味です。
自分のいる場所に、環境に逆らわずに、その中で、出来ることを考えられることを、まっすぐに見ることが、出来ればどんなに生きてることが、楽しいだろうと思います。これからも、ずっとそう思って 歳を重ねたいと思います。
高校野球を観ていましたが、炎天下の暑さでのプレーは、高校野球の代名詞でもあります。真黒に日に焼けた顔は、素晴らしい思い出になることでしょう。
7月2日、気象庁と福岡管区気象台は、「これまでに経験したことのないような大雨になっている」という初めての表現で警戒を呼びかけました。
7月28日に山口・島根、そして、8月9日秋田県の能代山本地域と北秋鹿角地域では、これまでに経験したことのないような大雨となっている所があります。そして岩手県で9日、内陸部を中心に、盛岡地域と花北地域でも使われたのです。
中国では、7月の上海は気温35度以上の猛暑日が25日間に上った。これは少なくとも140年ぶりの記録だという。
地球上で、何か異変が起きているのでしょうか、また、今まで経験のしたことがない異常気象が起きる前触れ?なのでしょうか、不安になります。
日本列島平均に雨が降ってくれればいいのに・・・と思うのですが・・・取水制限が・・・東京の水がめの8月7日から、利根川水系の取水制限は継続 しています。
また、四国の香川県などの主な水源となっている早明浦ダムの貯水率が半分以下にまで下がったため、香川県と徳島県向けの水の供給をさらに減らす第2次取水制限が11日から始まりました。
一昨日、神奈川県の水がめ、宮が瀬にダムに行きましたが、今まで見たことがないくらい水の少なさに驚かされました。
暑いといえば、昨日(2013年8月11日)の「東京都心は丸1日30℃超 観測史上初」
ウェザーマップ・・・ 8月12日(月)0時4分配信によると、8月11日の東京都心の気温の推移。観測史上初めて30℃を上回る1日になった。東京都心は、11日の最低気温が30.4℃となり、観測史上初めて最低気温が30℃以上となった。
高い最低気温の記録としては、全国歴代でも2位の記録。歴代1位は1990年8月22日に新潟県糸魚川市で観測した30.8℃。
都心では10日の夜から気温の高い状態が続いていて、11日朝の段階でも最低気温が30.9℃と、暑い朝を迎えていた。日中は強い日差しも加わり、午後1時44分には38.3℃を観測。9年ぶりに38℃を超え、都心では史上5番目の暑さとなった。
夕方には都心でもにわか雨があり、午後4時には30.5℃まで下がったが、その後も気温の高い状態が続き、午後11時49分に11日の最低気温30.4℃を観測。12日午前0時でも30.5℃となっていて、観測史上初めて30℃を下回ることがない一日となった。
気温の高い状態は今週いっぱい続く見込みで、気象庁では熱中症などに警戒するよう呼びかけている。
「善悪を教えることが子育ての基本」
親が子供に善悪を教えることが子育ての基本です。最近感じられることがあるのですが、若者の間で、善悪でものの判断をしないで、みんながしているから、善いことであるという判断です。
文部科学省がまとめた体罰調査の最終報告で、昨年度、全国の国公私立の小中高校などの1割にあたる4152校で、6721件の体罰が確認されたという。被害にあった児童生徒数は1万4208人に上っているのです。
たとえ悪行であっても、みんながしているとそれは悪行ではないという判断してしまうのです。それは、親が子供に善悪をきちんと教えていないと、その子が成長して大人になっても、善悪を教えられる親にはなれなません。
親の身勝手なふるまいのために、子供の心が寂しくすさんでいき、善悪の判断ができないままに、さまざまな事件を引き起こしてしまう子供も多くなったのです。
人は善悪をわきまえずに自我欲望のおもむくままに行動していると、自分さえも見失ない、気がついたら奈落の底に転落してしまっているのです。
また、お金に目がくらんでしまうと、本来のお金が異質のもの、マネーに変身して、人は価値観まで変わってしまい、善悪の判断ができなくなります。
世の中の大人の生きざまを子供達は見ています、大人の行動が成長していく子供達の社会生活における善悪の判断に影響します。親の後ろ姿を見て子は育つと言いますが、日常の親の姿から子も自然と善悪の道理を学んでいくことでしょう。
古来、日本人は自国の文化に育まれた道徳性や技術、勤勉性を持ち合わせています。親が事の善悪をきちんと教え、判断力を養うことこそ、正しい教育だと思います。
広場は不特定多数の人間が気軽に立ち寄れるところです。ですから二十四時間オープンです。管理はその地の町会や自冶会となっています。いま、その管理が問題となっています。
広場の利用はモラルの問題と思いますが、飲食をして片付けないでそのまま立ち去る。犬の散歩で、広場の砂に糞尿をさせる。タバコの吸い殻を捨てる。など日常的にあります。
広場が汚れていたり、荒れていれば、その町のイメージダウンにつながります。広場の管理はその自冶体が行っていると思いますが・・・
私は広場がその町の「顔」で、何時もきれいで快適な場所をあることが大事なことだと考えています。
「公園と広場の違い」
「街づくりの一環として都市公園を考える」・・・ソース ・・・http://www.hokukei.or.jp/yaku/201201_kotani/yaku1201a.htm
国土交通省の「都市計画運用指針」・・・
公園を「主として自然的環境の中で、休息、鑑賞、散歩、遊戯、運動等のレクリエーション及び大震火災等の災害時の避難等の用に供することを目的とする公共空地である」としている。
一方、広場は「主として歩行者等の休息、鑑賞、交流等の用に供することを目的とする公共空地である」としている。定義上は両者に大きな違いはない。
したがって、イベントのない時の広場は観光客や地元民が訪れる価値は低い。一方、公園は「歴史・景観を楽しむ」「庭を楽しむ」「水辺を楽しむ」など、お膳立てされているため、訪れる価値のある場となるのである。
また、広場に1人で訪れても、楽しみを見つけるのは困難であろう。楽しむためには、少なくとも見ず知らずの人でも良いのでもう一人必要となる。
一方、公園には、1人で訪れる価値はあろう。憩うためには、自分一人で十分かもしれないし、楽しむためには何人も必要な時があったりする。
ただ、広場には人という装置が必要ではあるが、公園、広場はともに、風景としては、人の背景としては、人々の生活に必要なものであろう。
しかしながら、機能上に決定的な違いがある。たとえば、富山市まちなか賑わい広「GRAND PLAZA」や金沢駅「もてなしドームイベント広場」は公共空地ではある。訪れたことがある人はわかるであろうが、イベントがない時はガランとしている。
両者とも広場であって、公園と呼ぶ人はいない。広場はただの場であって、基本的には何もない場所であって、人だけが装置となりうる。一方、公園は砂場や遊具、樹木、花時計、ベンチ、東屋など装置がある場所と言える。
国の借金がとうとう1000兆円を超えた。国民一人当たり792万円
NHKwebニュース・・・国債や短期の借り入れなどを合わせた国の借金の総額は、ことし6月末の時点で1008兆円余りとなり、初めて1000兆円を超えたことが財務省のまとめで分かりました。
財務省は、国債や短期の借り入れなどを合わせた国の借金の総額を3か月ごとに発表しています。それによりますと、ことし6月末の時点の国の借金の総額は、昨年度末から3か月間でおよそ17兆円増えて、1008兆6281億円となり、初めて1000兆円を超えました。
借金の総額が増えたのは、財源不足を補うため今年度、合わせて42兆円余りの国債を新たに発行することなどによるものです。この総額を日本の人口で単純に割りますと、国民1人当たり、およそ792万円の借金を抱えている計算になります。
国の財政を家に例えたら・・・「どうしてここまで放置して置いたの?」収入も無いくせに、家のローンで、かなり家計は苦しい状況にあるのに、古い車でも我慢すれば乗れたものを、新車を貯金を下ろして買ってしまう・・・ローンを払いきれい内にまた、家の改築をする・・・無計画なお金の使い方をして、その付けを子供達に肩代わりさせることに・・・
家族が丈夫で、働けば何とかなるだろうと、安直に考えていたが、まさかの大雨で修繕費が必要と、また銀行へ頭を下げて借りる生活態度を世間では、「実収入に見合った生活をしたら・・・」と言われているのが日本であると思います。
景気や良くなれば、税収も増える、消費税増税などで、基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を2020年度までに黒字化するとの財政健全化目標を掲げ、目標の達成に向けた取組を進めているというのですが、無駄と思われる事業にお金をつぎ込んでいることも事実です。
毎日新聞社説・・・「中期財政計画 歳出削減の道筋見えぬ」(8/10)
日本経済新聞社説・・・「消費増税を固め歳810出削減にも踏み込め」(8/9)
私は消費税増税は、無駄な費出を精査したその結果を国民に説明すれば、やもう得ないと思います。
集団的自衛権の解釈が大きな問題となっています。阿倍政権は、従来の思考から変えていこうとしているようです。政府は8日の閣議で、内閣法制局長官に集団的自衛権の行使容認派の小松一郎駐仏大使を充てる人事を正式決定し、同日付で発令しました。
「集団的自衛権」とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。(ウキペディア)
朝日新聞(8/3)社説・・・同盟国が攻撃されたとき、日本が自らへの攻撃とみなして反撃行動に出ることができる。それが集団的自衛権である。
歴代内閣は、その行使は「認められない」という憲法解釈で一貫してきた。それを支えてきたのが法制局である。憲法9条は、必要最小限度の武力行使しか認めていない。集団的自衛権の行使はその一線を越えている――
法制局は長年そんな立場を崩さず、解釈見直しにブレーキをかけ、政府見解や国会答弁の整合性を保ってきたが・・・
賛否分かれる新聞社説・・・
容認・・・読売・・・「小松法制局長官 集団的自衛権見直しの布石に」(8/9)
産経・・・「集団的自衛権 「不退転」で行使容認急げ 日米安保体制の強化優先を」 (8/9)
慎重・・・朝日・・・「集団的自衛権―まず人事権の行使とは」(8/3)
毎日・・・「集団的自衛権 なし崩しはいけない」(8/9)
東京・・・「なし崩し変更許されぬ 集団的自衛権を考える」(8/9)
元長官の阪田雅裕氏が朝日新聞のインタビューに応じ、平和主義や法治主義の観点から批判した。
新長官の小松一郎・前駐仏大使は、首相の意向を尊重せざるを得ない。だが、歴代首相が国会で表明を重ねた憲法解釈を変えることは、政府が9条の枠内で自衛隊の活動を模索してきた戦後の蓄積を崩しかねない。阪田氏はこうした手法の危うさを指摘した。
「集団的自衛権の問題は日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義に関わる。国会の憲法論議も圧倒的に9条に集中して積み重ねられてきた。そういう蓄積を無視し、今までのは全部間違っていたということが、果たしてあっていいのか」
安倍内閣は憲法の柱である平和主義をめぐる新方針を、国会や国民が関われない解釈変更で実現しようとする。集団的自衛権の行使容認と9条の整合性について、阪田氏は「憲法全体をどうひっくり返しても余地がない」と語った。
なぜ行使が必要で、歯止めはどうするのか。国民への説明は首相と小松氏の連帯責任となった。阪田氏は「法治国家として、9条がもし時代に合わないなら改正するのが筋だ」と主張。「万一憲法解釈を変えるなら、内閣として国民の大方が納得する説明が最低限必要だ。それが政治だ」と語った。
さてさて、日本国民一人ひとりの考えなければならない重大岐路に・・・
昭和24年8月母親は亡くなりました。胃の具合が悪く、家で臥せっていた・・・「雨が降らないかぁー。少しでも雨が降ればいいのになぁー。」と外を眺めて呟いていたが、飲むことが出来なきないで、濡れた布で唇をぬらしてあげたことを、今でも印象に残っています。今年のように暑い日が続いていました。
昭和20年8月6日原爆が広島に落され多くの犠牲者がでましたが、被災者は水が欲しいとう訴えていて、水を飲んで死んだという。そして、水を求めて大田川で多くの人たちが亡くなっていたと言われています。
水がなければ生きられない・・・「水」は生物にとって生きるための絶対条件であると思います。いま、地球上の人口が増えて食糧需給が問題とされていますが、専門家は水も需給も大きな問題と取り上げています。
昨日(8日)午後4時56分ごろ、奈良県と大阪府で、震度6弱から7程度の揺れを予想し、広い範囲に緊急地震速報を出した。
私の携帯に地震予知の音が鳴り響いた。家から、ちょっと離れている所だったので、妻に行き先を黙って出たので、とりあえず帰らねばと思って、家にいる妻に電話を入れる。妻は庭にいるものと思い、庭を探したという。
テレビを見たら、奈良県の方で、震度7ということだ。家に向う途中に中年の奥さんに、大きな地震が起こるという気象庁の緊急地震速報があったが、気がつきましたか?訪ねたところ、「まったく分からない」との事で今「緊急地震速報があったので気をつけて下さい」と話した。「有難うございます、直ぐに家に戻ります」と言っていました。
家に帰り、テレビを見たらNHKは高校野球の実況で全く情報は伝えていなかった。日本テレビを回したら、奈良県・大阪府が震度6弱から7程度の揺れが予想されるとの事で、さては南海トラフ?では・・・東京は遠いので大丈夫だろうと思って、外に出た。
その後のニュースで、新幹線は運転見合わせ・・・朝日新聞
東海道・山陽新幹線は速報の流れた午後4時56分ごろ、小田原(神奈川県)―新岩国(山口県)間ですべての列車が停止。まもなく再開したが、東海道新幹線は上下56本が最大で20分遅れ、約5万6千人に影響が出た。山陽新幹線でも上下39本が最大29分遅れた。
JR東海によると、速報を受信すると自動的に停車するシステムが作動した。同様に、都心の東京メトロ、東急、西武、東武、京急などの私鉄や都営地下鉄も一時運転を見合わせた。
また、気象庁や日本気象協会などのウェブサイトが午後4時57分ごろから、10~15分ほど見られなくなった。アクセスが集中したためとみられる。
京都市の男性会社員(26)はスマートフォンでヤフーや気象協会のサイトにアクセスしたがつながらず、ツイッターで情報を得たという。「震度7の緊急地震速報も、誤報もツイッターで知った。これでは何のための気象情報サイトなのかわからない」と不満げだった。
誤報と分かりホットしたが、これは、「イソップ物語の狼少年」であってはならない。この教訓を生かし、家庭、職場で、そして交通機関で、将来ありうる南海トラフ・首都圏直下地震、東海地震・東南海地震などの不安である。
誤報が教訓となって、防災意識を高めることが大事だと思った。油断は禁物だ。
虫篭や 遠いむかしの 夏休み
昭和20年代の夏休みの宿題で虫の標本作りがありました。今のような虫取りグッズなどありません。竹の棒の先に細い竹を丸くして、くもの巣の糸を巻きつけて・・・ 蝉を取るのです。
蝉をホルマリンでにつけて、ダンボールの箱に標本用の針で刺し並べたのです。種類は、アブラゼミ・ニイニイゼミ・オオゼミ(テイオウゼミ)・ヒグラシなどです。
バッタ・トンボなども獲りました。そうそう夏やすみ終わりごろにクツワムシを山で獲って家の周りに放して、夕方に鳴くのを楽しみにしていたっけ・・・
今では想像もつかない自然の豊かさがあったのです。
正義感・倫理観や思いやりの心など豊かな人間性を育てることがとても大事なことです。子どもたちが身に付けるべき「生きる力」の核となる豊かな人間性とは・・・
□ 美しいものや自然に感動する心などのやわらかな感性。
□ 正義や公正さを重んじる心。
□ 生命を大切にし、人権を尊重する心など基本的な倫理観。
□ 他人を思いやる心や社会貢献の精神。
□ 自立心、自己抑制力、責任感。
□ 他者との共生や異質なものへの寛容。
などの感性や心です。このような感性や心が子どもたちに確かにはぐくまれるようにするため、私たち大人が、大人社会全体、家庭、地域社会、学校の足元を見直し、改めるべきことは改め、様々な工夫と努力をしていくことが大切と思います。
社会全体のモラルの低下を問い直す。
子どもたちに豊かな人間性がはぐくまれるためには、大人社会全体のモラルの低下を問い直す必要があると思います。私たちは、特に、次のような風潮が、子どもたちに大きな影響を及ぼしていると考えられます。
□ 社会全体や他人のことを考えず、専ら個人の利害損得を優先すること。
□ 他者への責任転嫁など、責任感が欠如していること。
□ モノ・カネ等の物質的な価値や快楽を優先すること。
□ 夢や目標の実現に向けて努力、特に社会をよりよくしていこうとする真摯な努力軽視すること。
□ ゆとりの大切さを忘れ、専ら利便性や効率性を重んじること。
このような大人社会全体のモラルの低下を背景に、新しい時代への夢を語り、未来を切り拓く大切さを伝えようとしない大人、子どもに伝えるべき価値に確信を持てない大人達が多いのではないのでしょうか。
“しつけ”への自信を喪失し、努力を避ける大人達、子どもを育てることをわずらわしく感じる大人が増えています。
子どもの心を育てるべき大人社会が、こうした「次世代を育てる心を失う危機」に直面していることこそ、日本の抱えている根本的な問題です。
今日、心の豊かさを求める機運が確実に広がってきています。今後、私達大人が率先してモラルの低下を是正し、よりよい社会を目指したひたむきな努力や勇気を大切にしていくことにより、この危機を乗り越えていかなければいけません。
そして、「自分の存在が誰かの役に立っていて「感謝」され、「幸せ」を感じる人間・社会にしなければと・・・思います。
改革は痛みを伴うものです。社会保障の改革は国民全体の問題であり将来への持続可能なものでなければならない。やみくもに反対だけでは日本の将来はないと思います。
「社会保障・税一体改革」は、私たち国民の生活の未来が変わる瞬間でもあり、将来の社会保障を支える立場の若年世代、現在の社会保障を支えている現役世代、社会保障を受ける高齢世代、それぞれの立場や視点でしっかりと注目し、各施策を吟味するなど、意見を持って議論することが大切だと思います。
「民主の3党協議離脱は無責任だ」民主党が自民、公明両党との3党実務者協議からの離脱を決めたのは、抜本改革に踏み切れなかった政府・与党案の問題点を追及し、反転攻勢につなげたいとの思惑かあるからです。
痛みは「おたがいさま」です。その政策づくりは、国民が納得する説明を充分することにあると考えます。
政府の社会保障国民会議が報告書をまとめた。
報告書の骨子は
1・・社会保障の対象高齢者中心から転換し、次世代育成支援を掲げる。
2・・医療・介護の分野を、中央集権から地方分権へ転換する。
3・・社会保障に対する信頼回復である。
朝日新聞社説・・・「社会保障改革―構造転換への道筋を」
高齢者を含め、所得の多い人への負担増が並ぶ。今月中には、改革の工程表を盛り込んだ法案の骨子を閣議決定する予定だ。実現への道筋を明確にできるか。政権の決意が問われる。
読売新聞社説・・・「社会保障会議 制度維持に全世代の負担必要」
毎日新聞社説・・・「社会保障3党協議 大人げない民主の離脱」・・(8月6日付け)
東京新聞社説・・・「社会保障会議 増税に見合う改革案か」
地域の暮らしは、「安全」「安心」「快適」が第一です。それには一人ひとりが勝手な行動していては「住みよい」街にはなりません。
たとえば、ゴミが落ちていたら拾う。100人が一個のゴミを捨てたら100個になるのです。100人の人が一個のゴミを拾えば町はきれいになるのです。
長い習慣で、町が汚れていても「これが普通だ」という感覚になるものです。街が汚れていると、「犯罪が起こりやすい」と言われています。最近の犯罪で、子どもの被害が多くなったと言われています。また「いじめ」などは学校では一向に減ってはいないようです。
犯罪を起こしやすい街・・・割れ窓理論というものがあります。
「割れ窓理論とは、窓ガラスを割れたままにしておくと、その建物は十分に管理されていないと思われ、ごみが捨てられ、やがて地域の環境が悪化し、凶悪な犯罪が多発するようになる、という犯罪理論。軽犯罪を取り締まることで、犯罪全般を抑止できるとする。米国の心理学者ジョージ=ケリングが提唱した。ブロークンウインドーズ理論」です。
治安が悪化するまでには次のような経過をたどります。
①建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出します。
②ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになります。
③住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなります。それがさらに環境を悪化させます。凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになります。
したがって、街にゴミを捨てさせない環境づくり、「誰かがあなたの行動をみていますよ」・・・日頃の「コミニティ」で「監視」を心がけることです。
学校の夏休みは子どもの犯罪が多くなると言われています。「犯罪から子どもを守る」・・・地域の人・警察です。交通指導・防犯パトロール・ゴミ拾いで犯罪をなくしたいものです。
今日の毎日新聞社説「子供の安全 警察と地域の両輪で」
刑法に違反する事件のうち、13歳未満の子供が被害に遭う割合が近年上昇傾向だ。被害件数の割合が特に高い犯罪には、略取・誘拐、強制わいせつ、強姦(ごうかん)などの凶悪事件や性犯罪が並ぶ。由々しき事態だ。
日本が第二次太平洋戦争に敗れて、今年で68年となります。8月15日を前にして6日の今日広島に9日に長崎に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者がでたのです。そして、太平洋戦争の犠牲者は、400万人という。
戦争とは一体なぜ起きるのか・・・その原因は、戦争が起こる原因(ウキペディア)
その原因は大きく「自然説」と「人為説」に分けられる。
本能説とはつまり人間の本能的な性質などが戦争の原因にあると考える立場である。これはつまりダーウィンの適者生存のために闘争が必要であるという考え方である。
条件説は人間の社会的な条件が戦争の原因だと考える立場である。これには人口移動、宗教対立、軍拡競争、民族独立、領土争奪、国家威信など多彩かつ複雑な条件が挙げられる。また国際関係学では勢力均衡という理論がある。
とありますが、無差別に人の命を奪う(人を殺す)という手段を使ってでも、自分の欲を遂行するということだと思います。
私(6歳)は、昭和20年に(残念ながら日は記憶にない)田植えで、母親と田んぼの真ん中にいた。そのとき東の方面から戦闘機が轟音と共にやってきました。
敵機の面影ははるか上空を飛んでいる機影は見ていましたが、これほど低空を飛んでいる飛行機を見たことがなかったので、その飛行機の大きさには驚いたのです。
なぜ低空を飛んできたのか分かりました。私たち親子を機銃掃射で殺すためだと思ったのです。バリバリと音・ピュンピュンと1メートル目の前をダッダッと50センチぐらいの間隔で、弾打ち込まれたのです。幸い外れていたので助かったのです。
木(確か桑の木)の陰に「オーイ」大丈夫だったか、親父の怒鳴り声があった。「早く逃げろ、また来るぞ!」膝まで田んぼの土の中、そうそう歩けない。必死になって逃げた覚えがあります。
基本的に航空機は、低速の機体であっても地上や海上を移動する物体よりも速いことが多いため、一度狙われたら十分な強度を持つものの陰に隠れるか、高射機関銃砲・高射砲・地対空ミサイルなどの対空火器で返り討ちにする以外に振り切ることは困難である。航空機により機銃掃射は地上銃撃、地上砲撃とも呼称される。(ウキペディア)
「殺される」という人の行為の恐ろしさは、経験したした人では分からないでしょう。もし機銃掃射の弾が一発でも当たっていたなら、今、私は存在しない。そして無抵抗な人の命を狙うという行為を駆りたたせるものは一体何があるのだろう?・・・私が成人になったころ考えたことがありますが、結論は出ません。
いま日本は、中国・韓国との領土問題と、歴史認識の問題〈中国・韓国の言い分)習書記や朴大統領と阿倍首相との首脳会談できません。そして核開発をしている北朝鮮との関係も拉致問題も解決の糸口すら見出せません。
阿倍首相の、憲法改正と原子力エネルギー推奨は、まだまだ国民的議論が必要だと思う。軍事力で、政治を動かすという考えから、何か抜け出し話し合いで、世界平和と戦争のない世界を考えだしていく努力は続けるべきだと思います。
8月7日が誕生日・・・時々、上手に歳を取った高齢者に出会い、私も上手に歳を取りたいなーと思うことがあります。
人は、他人と比較して自分を評価することが多いと思います。不幸な人の話を聞いて、自分は幸せだなと思ったり、反対により幸せな人の話を聞いて不幸だなと思ったりします。
「老い」は否定的に受け止められ勝ちで、その中にあって上手く歳を取るには、それ相応の心構えと努力が必要です。
人に会って、自分より上手く歳を取っているなと感ずるときには、相手の人は自分より何倍も努力をしていることが多いのだと思います。
そして、自分の方が上手く歳を取っていると感ずる時には、努力の程度はほぼ同じだと考えて間違いないのです。
それでは、上手く歳を取るための心構えと努力はどのようにするかというと・・・
まず、心構えとして「老い」を否定的に考えないようにすることで、常に好奇心を持って新しいことに挑戦するチャレンジ精神を持ち前向きに生きることです。
体を動かせるときには体を動かすことが体力維持にも大切です。
これからの習熟度は落ちますが、これまでに獲得した技、知識、経験は高齢になっても、身体が覚えている事って結構あるものです。
高齢を迎えますと、定期的な健康診断で検査値の異常の1つや2つは出てくるもので、むしろ全く異常がないというのが異常かも知れません。
多くの慢性病と上手く付き合っていく努力が大切です。また健康面以外でも、出来るだけ、こだわりを捨て、自分の道を行くことが大切だと思います。
そして精神的、身体的、社会的にも健やかな老後を過ごして生きたいものです。
私の生まれた地は今住んでいる所から、直線で1キロメートルのところで東京都南多摩郡由井村片倉字川久保です。
子どもの頃は15・6世帯の農家部落で南に兵衛川、北に湯殿川が流れて部落の東側にその川が落ち合っています。
部落のイメージは、竹林と大きなけや木などがあって東西に、砂利道のメイン道路は樫の木などで覆いつくされていました。
多分飛行機で見ても道路は見えなかったと思います。よく、道においかぶさる樫の枝に登り道を通る人に物を落しビックリさせるいたずらをしました。
ほとんどの家の囲いに竹を使ったり、しの竹を使っていました、洪水があった時簡単に壊すことが出来ることからと、ずーと後に分かりました。床上浸水も経験しています。
竹が多かったことは、部落が低い箇所が多く、台風など洪水があって、竹の根は土手などの崩れ防止に植えてあったのだと思います。
私の親父は、川に張り出したけや木の根にまたがり、魚をモリで衝き鯉やウグイを獲る名人だと言われていました。
川は、洗濯・野菜・馬や牛をを洗う。そして、夏には泳ぐというイメージがあります。
竹藪が密集している所を水が流れているという風景は、この頃ではあまり見ませんが、私が子供の頃には、まだそういう景色はどこにでもあったと思います。
とにかくきれいな水がさらさら流れていましたが、それを特別のこととは思わなかったのです。今思うとそれはまことに美しき天然の美であったのです。水・空気がきれいせいか、山も空ももっと高く、青々していたように思う。
そのためか、子供のころはごく限られた地域の部落でありました。遊ぶことに、こと欠かすことはなかったのです。
近所は子どもは多くいましたが、川遊び、木登り、鬼ごっこ・かくれんぼ・終戦前などは、母艦水雷・竹馬・おしくら饅頭・馬飛び・縄跳び・宝取りなど道具を使わない遊びで十分過ごせたのです。
今思うと本当に限られた狭い地域だったことで、今住んでいる地区(時田)などは、出かけたことがなかったのです。
八王子市の夏の最大のイベントは「八王子祭り」です。昭和36年8月26日、「 3万人の夕 涼すず み」として行われたのが始まりだそうです。
「八王子まつり」は伝統的な山車とみこしの祭りです。まつりの主役は、19台の『山車』。そのうち11台は、八王子市の有形文化財に指定されています。
特徴は、精巧な彫刻。灯火に浮かぶその美しさは、まさに動く芸術品。また、多賀神社、八幡八雲神社の両宮神輿も渡御し、民踊流しや関東太鼓大合戦・獅子舞などもまつりを盛り上げます。
私は、昨日(4日)に南大沢交通安全協会の交通指導員メンバーです。(八王子市は、八王子・高尾・南大沢の3つ交通安全協会がある)
国道20号・16号など交通規制を行い、来場者の交通安全の確保のため、汗をかきました。来場者は昨年を上回ったそうです。(昨年は70万人)
最近、価値観の多様化で、お祭り事が、「盛り上げが欠けてしまって!」という声を聞きますが、男の担ぐ神輿を女性が担いでいる光景を見ますと、理屈ではなく本当に「お祭りを楽しむ」という姿を見て感動さえ覚えました。
日本人だったら「粋だね~」とか「ぃよっ!粋だね~」一度は言われたいですね。「あらら・・・野暮だね~」とは言われたくないものですね。「いき」とは、江戸における美的観念(美意識)のひとつだったようです。
江戸時代後期に、江戸深川の芸者のことをいったのが始まりとされています。身なりや振る舞いが洗練されていて、格好がよいと感じられること。また、人情にも通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含まれていたようです。
現代の「カッコいい!」とは異なり、もっと奥の深い、人間の気味(きび:心持ち)の問題であったのではないかと思います。「粋」「わび・寂び(さび)」などの日本の美的観念と共通するものがあると思います。
現在の日本人の日常生活からは、「わび・寂び」は遠い昔の言葉のように感じられますが、海外では「わび・寂び」が日本の美学の代表のように捉えられているようです。
しかし、無常などの宗教観念と深く関連している「わび・寂び」は難解とされ、私たち、日本人でも説明するのは簡単ではありません。
それらに対して「いなせ」という言葉があります。『粋でいなせ』といいますが、いったい『粋』とは?『いなせ』とは!?というと【威勢がよくさっぱりとしたきっぷ】のことで、特に【勇み肌の若者】のことをいいます。
八王子祭りの最高の見せ場・・・山車の「ぶっつけ」を見て、八王子っ子の心意気。思いは、理屈なしに熱くなり、私にも日本人の血が流れている幸せを感じました。
阿倍政権の閣僚でナンバー2の麻生太郎副総理・財務相のべらんめぇ調は、良くも悪くも聞く側を引きつける。最近の言い回しを使え ば、「キャラが立っている」とでも言うのか。個性が際だっている。
しかしまぁー立場・地位にあることを忘れて、物をよく言う人だ。靖国神社参拝を拒まない人のようだ。周りがなんと言おうとも、自分の意思を貫きたいキャラである。
靖国神社参拝といえば、同じように失言の多い高市早苗政調会長も15日の終戦記念日に靖国神社に参拝する意向を固めたという。
稲田朋美行革相も参拝する意向で、現職閣僚や政権幹部が参拝すれば、中国や韓国が批判を強めそうだ。
一人宙に浮いてしまうことって結構世の中あると思う。座を引いて辺りを見回し、空気を読む。閣僚たるもの日本の国益や信頼を常に考えて言動すべきだ。
きのう、私たちの町の広場「片倉時田まちの広場」の草取りをしました。むかし農家の人は「夏は草との戦いである」と言っていたことを思い出しました。
二宮尊徳の「上農は 草を見ずして 草を取り。中農は 草を見て 草を取り。下農は 草を見て 草を取らず。」を思い出しました。
夏草は、繁殖力が強い、よく取り除いたたと思っても、3~4日すると、また生えてくる→とっても、とっても生えてくるのです。
その生命力には驚かされます。アスファルトの隙間、屋根のとよ、人に踏みつけられる道の端などちょっとの土と水と日が当たるところであれば生えるのです。
風に種が飛ばされて・・・種が残っていて・・・鳥などに運ばれて・・・人の服にくっ付いて・・・など考えられます。
最近のニュースで、外来種が殖えて、日本古来の草がなくなってしまったということで、外来種もろとも、深さ1メートル?までの土を取り除いたら、日本古来の草が復活したという。種が地中深くにあったものだと説明されていました。
今年の夏の、かってない集中豪雨は、環境破壊と地球温暖化が原因の一つではないでしょうか。
放射の物質の汚染除去は途方もない時間と莫大な費用がかかります。東京電力は放射能物質が、海に流れ出しいることを、参院選が終って認めましたが・・・
昨日は、麻生副総理の憲法改正に関しての「軽佻浮薄」な発言に、呆れてしまった。この人が、日本の政治を任せていいのだろうかと・・・
今、日本はおかしいよ!危機感を持って事に当たらないといけない・・・そんなことを考えながら、ボランティア町内のゴミ拾いを行いました。
犬の糞の始末までしたのですが、一体何を考えているのだろうと思ってしまいました。タバコの吸い殻は公園・歩道に捨てるのは、当たり前、噛んだガムは吐きすてる。酷いのは人間の糞まで草むらにあったのです。
人が見ていないから・・・タバコの吸い殻ぐらい・・・と、言っている人が、原発反対と喧伝しているのです。その真意が疑うざるを得ないのです。
復興予算を他に流用して、当たり前の顔をしている役人が、子どものしつけ・教育論を口にするから、日本の未来は恐ろしいことに・・・
“いじめ”が今問題になっております。自己中心的で、日和見主義・危機感がない日本人が多すると思うのです。最近犯罪が低年齢化しているように思えます。これもらの要因から起きているのではないでしょうか。
ゴミ拾いを終えて、公園の草取りを1時間時行っていましたら、通る人に「ごくろうさん、暑いから身体を壊さないようにね!」と声を掛けていただきました。その一言で、一層やる気がでました。掃除をして気持ちよく使っていただきたいと思います。
阿倍晋三政権の泣きどころ?と言えば、麻生太郎副総裁兼財務大臣の発言であろうと思わざるを得ません。
あいもかわらず、「軽佻浮薄のボクチャン世襲政治家」・・・ 麻生太郎なる人物、吉田茂首相の外孫に当たる政治家で、現在の自民党政権の副首相ですが、つぎのような発言をしていたという。
7月29日、ある会で改憲に触れて、「気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか」・・・
批判が海外に広がり首相官邸は火消しに動いたが、後手に回った感は否めません。菅義偉官房長官は1日の記者会見で「辞任にはあたらない」と強調したが、野党は徹底追及の構えで、安倍政権にとって痛手となったのは、間違いありません。
8月1日、憲法改正に関連しドイツのナチス政権を引き合いに「あの手口、学んだらどうかね」と講演で述べたことについて「誤解を招く結果となった」として撤回しました。
さーて今日から国会は参議院選後、初めての臨時国会の召集されます。野党質問攻めが予想されます。阿倍首相のどう対応すだろうか・・・
今日の新聞社説
朝日新聞・・・「麻生氏の発言―立憲主義への無理解だ」
安倍首相は、「ナチスの手法に学べ」と言わんばかりの今回の発言を、どう整理するのか。前言撤回で幕引きをはかるのではなく、きちんとけじめをつけなければ、まともな憲法論議に進めるとは思えない。
毎日新聞・・・「麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ」
麻生氏はそんな「誰も気づかぬうちに変わった手口」を参考にせよと言っているのだ。そうとしか受け止めようがなく、国際的な常識を著しく欠いた発言というほかない。
今の自分に自信がない人は、自分を「こんなに素晴らしい私」の実現にこだわります。つねに人が自分をどう見ているのかを気になります。だからいつも緊張していなければならないのです。それががストレスの原因です。
「私はこんなに素晴らしい人間だ」と自慢することは、自分がつまらない人間であることを人に隠すための手段にすぎないのです。
自分を素晴らしい人間だと思わせることに執着する人は「どうしても人に自分がくだらない人間だと気づかれたくない」のです。また「私はこんなに素晴らしい人間だ」と自慢することで、漠然とではあるが、世の中や人生に反逆したいのです。
人は自分に自信があれば傷つかないのです。人と親しい付き合いがある人と、ない人では、同じ状況でも親しいつきあいのある人のほうがストレスにうまく対処できます。人に関わり合っている人のほうが、ストレスに対処できると思います。
自信のある人は新しいことにチャレンジできます。こうして生きている人こそ、自分の人生を自分でコントロールしていけるのではないでしょうか・・・
我が家の鉢植えの「茄子」が花が咲き実がつきました。そのナスをみて、思い出した親父がよく言っていた言葉に・・・
「親の小言となすびの花は千に一つの無駄はない」・・・を思い出しました。
「人生訓話あれこれ」・・・2007年1月6日に記したものですが、6年半経って、また読み返してみました。
「恨みは恨みによってやまず、恨みは恨みなきによってやむ」・・・法句経
「健康は最上の利益、満足は最上の財産、信頼は最上の縁者、心の安らぎこそ最上の幸なり」・・・法句経
「境遇を、改めようとするより自分の心を改めよ、人の心は、こだわりを持つと氷のようになり、無心となると水のように流れ出す」
「花を見る人は、花から見られている、仏を拝む人は仏から拝まれている」
「赤子が知恵をつき人となる、人が智慧つき仏となる」
「人生は出会い、人間ふれあい、世界は助け合い、御仏にはめぐりあい、これすべて愛である」
「他人の悪口は嘘でも面白い、自分の悪口は本当に腹が立つ、褒めあう心を忘れるな」
「美しいものを、美しいとと思える、あなたの心が美しい」
「よい子、悪い子と見る心が悪い子を作る」
「我が心、鬼と仏が共存、鬼が負け仏が勝ったら今日も無事」
「死ぬとは、その時まで精一杯生きてから言うこと」
「地獄は地底になく、極楽は西方になし、苦楽は共に自分の足元にある」
「『日々是好日』飾らず、気張らず、私心なき日々で在りたい」
「一本の野の花も、命いのちと一杯生きている、今日一日が自分の命なら、今日一日をどう生きる」
「よく深き人の心と、降る雪は、積もるにつけて道を忘るる」
「今生きてている。これほど確かで有りがたい」
「子供は、「親の言うとおりはしない、親のするようにする」』
「拘らず、人の話を聞く、自分を知るは,真の進歩」
「人間欲ぼけの勝手ぼし、自惚れあって自信なし」
「『価値ある人生』昨日や明日を考えず今日しかない思いでーこの一日を大切に」
「葦(あし)と書いてよしと読む、勝手に決めるな人の善し悪しを」
「世話を焼くより、じっと見守ること、これが親の役目、親と言う字を分解するとこの上に立って見ると書く」
「自分を生かし、他人を生かす、この実践が人間的な生き方」
アメリカ・ハワイ島の標高4200mの山頂にある日本の「すばる望遠鏡」に、高い性能を持った巨大なデジタルカメラが設置され、「アンドロメダ銀河」の全体像を収める鮮明な写真の撮影に世界で初めて成功しました。(NHKwebニュース)
「アンドロメダ銀河」・・・地球から230万光年の距離にあり、約1000億個の星が渦巻き状に集まる銀河で、「銀河鉄道999」などのSFアニメ番組にも、頻繁に登場しています。
今回、すばる望遠鏡の新型カメラで撮影された写真には、この「アンドロメダ銀河」の全体像が、かつてない鮮明さで写し出されています。
「銀河鉄道」というと、宮澤賢治の代表作となるど童話の『銀河鉄道の夜』を思い出します。死後の世界の情景を描いたものです。銀河の中を、列車が天国まで走っていく上り一本の急行列車なんです。それこそまさに賢治のとらえた幸福の原理なんです。
(単なる幻想の物語ではなく、実在の宇宙の内面のありのままの法則を描き出してみせています。)
230万光年離れているアンドロメダ銀河の宇宙人は、いるのだろうか?・・・
まず、230万光年も離れていては、彼ら(宇宙人)は地球に文明があることが判らないでしょう。230万光年離れていると言うことは、人類が電波文明を使い始めてから230万光年経たなければ、彼らの所にその電波が届かないと言うことですからね・・・
仮に光速宇宙船、超光速宇宙船を持っていたとしても、地球にやってくるのは「230万光年ぐらい後」ですよ・・・
2012年にNASAは、「私たちのの銀河と隣のアンドロメダ星雲は今から40億年後間違いなく衝突する」と発表しています。