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2013年7月25日 (木)

「おこじゅう」から思い出す

106 「おこじゅう」というお団子を食べて思い出しました。

「そろそろ、おこじゅうにすんべえよー」・・・

田畑の仕事や山仕事をする人(夫)に、姉傘かぶりの妻が、赤ん坊背負い、子ども手を引いて、火ジロ(囲炉裏)で、ホーロク(厚めフライパン)、たらし焼き(小麦粉・水・味噌・シソの葉など・ねぎ・調味料を油で炒める)・・・重箱に入れて、鉄瓶で沸かした、お茶を持って行く、風景を思い出されます。

農作業の一日は、朝から田畑に出かけ、10時のお茶には近くを通る横浜線・・・1908年(明治41年)に「横浜鉄道」という私鉄として開業したのが横浜線の始まりであり、当時は八王子や信州で生産されていた生糸を横浜へと運搬することを目的としていましたそうです。

その後、1917年(大正6年)に国有化されましたが、近くに片倉信号所が昭和17年11月に開設され、(単線であったので、すれ違いができる)になり電車や汽車が止まるようになった(人は乗り降りできない)〈汽車・・・デコイチ(D-51)の汽笛で分かった〉・・・時計代わりにしていたのです。・・・昭和32年12月片倉駅が開業しました。

信号所のポイントの切り替え所と、輪の交換なんだろうと思っていましたが、これは、表板のですが「タブレット(通標)」です。実は重要なのは輪形状のものではなく、その下の鞄の中に入っている通標です。

1閉塞区間(単線の路線で、列車を交換できる駅と列車を交換できる駅の間が1閉塞です)に1つだけ発行され、これがないとその区間に列車は入れません。

電子的に閉塞を管理できるようになるまでは結構使われていました。最近はとんと見なくなりました。

草葺屋根・縁側・庭・風呂小屋・雪隠小屋・つるべ井戸と広い庭で、脱穀・米麦のむしろ干し・ぼうち(〈クルリ棒〉と呼ばれる道具で、麦や大豆、蕎麦(そば)などを脱穀(だっこく)する作業)〉などが懐かしく思い出されます。天秤棒に肥え樽・・・親父が担いていたなぁー

そして、藁仕事(むしろ織りや縄ないと俵やカマス)・夜なべ仕事などと、ヘッツイ・テッキ(ひじろに置き餅などを焼く道具)があったっけ・・・

朝昼晩の食事と午前10時ごろのお茶と、午後3時頃の「おこじゅう」には、家族みんな集まって食べていたのが印象的です。家族という意識が強かったと思います。

そうそう近所の人を呼ぶときには、同姓が多かったので、屋号で呼ぶことが多かったです。出店・西村屋・隠居・新家・窪田・下・向居・上の向居などがありました。

これはごくごく限られたエリア(南多摩郡由井村片倉字川久保)20世帯ぐらい?の昭和24年ぐらいまでの暮らしの中からの思い出です。

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