最後まで気を緩めるな
過ちはたやすいところでおこる 高名の木登りの名人といひし男、人をおきて、高き木にのぼせて、梢を切らせしに、いと危うきに見えしほどはいふ事もなくて、おりるときに、軒たけばかりになりて、
「あやまちすな。心しておりよ」と、言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降りなん。如何にかくいふぞ」と申しはべらしかば、
「その事に候ふ。目くるめき、枝あやふきほどは、おのれがおそれ侍れば、申さず。あやまちは、たやすき所になりて、必ず仕る事に候ふ」といふ。
怪しきげろうなれども、聖人のいましめにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出してのち、たやすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
現代語訳
木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。
「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。
蹴鞠でも、危うくおちてしまいそうな難しい状況を脱してから、これは簡単だなと、思ったりするときに落としてしまうものだ。
だから何も言う必要はありません。「事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。人間は気が張っているときには、緊張して注意を怠らないが、気をゆるめると、失敗をする場合が多い。
交通量が多くて、一見危なそうな道では、事故は少ない。逆に、めったに車が通らなくて、のんびりしたようにみえる道路で、事故がおこりがちでです。運転手側も歩行者側も、つい油断してしまうものです。
定年退職をした男性が 趣味ももたず、生きる目的をなくしてしまうと、早く死ぬと聞きます。健康管理がおろそかになるのでしょう。その点家庭の主婦を続けてきた女性は、年齢によって、環境が激変することは少ないので、男性よりも長生きする原因の一つかも・・・
仕事して一区切りついて、ほっとすることも心を癒す必要な瞬間だが、最後の締めを怠らないように、心がけていかねばならない。こんな風に考えてみると、いつも適度の緊張感をもって生きていくように努力するのが良い人生につながるのかもしれない。
ある程度の緊張感を持って生きることは、長生きの秘訣かもしれない。
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