風原橋の鯉をみて・・・
私に近くに湯殿川に、鯉がいる。特に風原橋下には、沢山いる。ここは魚が好きな人が餌を投げ込むので、何時もかたまっている。その鯉を見て・・・大雨が降ると水かさが増え、水は濁り流れは急になり、流されはしまいかと思う。
そういう時は、鯉はどうしているのだろうと心配するが、やがて、雨は止み、水の流れが治まると、元のように鯉は姿を見せる。鯉は、今を一生懸命生きている。将来のことも、過去のことも考えないで生きている。
「この秋は 雨か嵐か知らねども 今日の務めに田草とるなり」(二宮尊徳)というのがある。
まだきていない秋の天候を心配するより、今日なすべきこと、今なすべきことに全力を尽くしていくことこそ、自分に与えられた今日の務めなのである。
京都の南禅寺の管長をされていた柴山全慶老師の詩に・・・「花は黙って咲き、黙って散って行く。そうして再び杖に帰らない。けれども、その一時一処に、この世のすべてを托している。一輪の花の声であり、一枚の花の真である。限りない生命のよろこびが、悔なくそこに輝いている。」
花は、その美しさを誇示しょうとして咲いているのではない。人間が見ていようと、見ていまいと、一生懸命咲いている。何ものにもとらわれることなく咲いている。そして大輪の花を咲かせるとさっと散っていく。あっさりしたものである。
人は自然の中で生かされているということだ。あれこれ考え過ぎても仕方がない。今生きていることに喜び、感謝することだと思う。