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2012年6月10日 (日)

片倉城址(住吉神社)のこと

Katakurajoseki051 私は生まれも育ちも今住んでいるところも同じ八王子片倉である。片倉といえば「片倉城」である。今は片倉城址公園として、八王子市が公園として管理し市民の憩いの場として、整備維持管理をしている。

その歴史は鎌倉時にさかのぼり、家紋・・・城主家紋, 【一文字に三つ星】である。ということは、大江備中守広元を祖にもつ師親が長門国・住吉神社を勧請したものであると言われているが確証はない。

神社の説明板の由緒をみると「鎌倉管領片倉城主、長井大膳大夫道広が、応安5(1372)城の鎮守の守として、摂津国住吉大社を勧請したものである」とある。

家紋は「一文字に三つ星」・・・毛利 元就は、室町時代後期から戦国時代にかけての安芸(現在の広島県西部)の国人領主・戦国大名。本姓は大江氏。家系は大江広元の四男 毛利季光を祖とする毛利氏の血筋である。(ウキペディア)

川幡一郎氏の著書から・・・「住吉神社」・・・鎮守様と氏神様とは同じもののように思われるが、その祭祀は違う思う。

住吉神社の祭りの旗には鎮守住吉大明神とある。そしてこの神ののぼり旗は、日向と川窪の講中で奉納したもので、安政二年に納められたもので、布地と旗棹は現存している。

氏神とはその氏族の祖先の霊または祖先が祀った氏族の神様であって、住む土地の産土(うぶすな)神である。

鎮守は鎮主で、兵士を駐在させてその他の土地を守る神または社である。(鎮守府も同義か)鎮守社は仏寺のために建てた神社、地主の神、一国、王城、土地、寺院、邸宅、氏などを鎮護する神として祭った総称である。

例えば、武蔵国の鎮守は、埼玉県大宮市高倉の氷川大明神、祭神は素盛鳴尊。相模国の総鎮守は寒川大明神(祭神は応神天皇)。長門国総鎮守は豊浦郡住吉大明神(祭神は住吉三神)である。

現在の八王子市片倉町も、その前は由井村片倉で、明治の村制以前は片倉村で、字は谷戸七字であった。呼称は、字川久保とか日向とかで、字内のつきあいは講中づきあいといったので字ごとに氏神さまをお祀りした。

川久保の山王様、釜貫の白山様、車石の大六天、台の浅間様、時田の弁天様、只沼の延命地蔵などである。

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