« 人の噂も、喉元すぎれば・・・ | トップページ | 梅の実の季節に思う »

2012年6月 6日 (水)

生命力と価値について

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Shirakaba_b1 生命力と価値について考えた。近くの湯殿川の河川改修工事でミニ公園が出来た。広さは50坪ぐらいで芝が植えられた。芝が根付いたと思ったら、雑草も一緒に根付いたのだ。

芝の中の雑草取りをしながら考えた。3月に植えられた芝が根付いたようだが、その中に雑草の種が付いていて、その種も一緒に芽吹いて伸びて花が咲いてきた。雑草の生命力には驚いてしまう。

芝の中でしぶとく、そのチャンスを狙っていたかのように、芝が人の手で植えられるのを待っていましたと、言わんばかりである。その雑草を取らないと、芝は雑草に負けて、消えてしまうのだ。

その雑草は2週間日前に、ニ日かけて処分したのだ、が、数日経って再び生えてきた、根が残っていたのだ。そこで、根ごと抜かなければと思い手で抜くことにしたが、これが大変で指・腕・肩が痛くなり、少しづつ毎日雑草とりをしているのだが・・・考えた・・・

草も木も花も、生命あるものは、与えられた環境で、その命を精一杯発揮し、生きようとしている。生存競争に戦って子孫を残す・・・生き物が、与えられた命を精一杯発揮して、熾烈な戦いをしている。今ある世の生き物は、生存競争に勝ち残った戦勝者なのだ。

個々の生き物が、精一杯生きて死ぬことだけでも価値はある。しかし、それを次に続くもの(子孫)につなげるとか、一緒に生きるものの生命を充実させるのに役立つなら、より一層価値があることになる。

もちろん、それでは「何のため生きるのか?」、「なぜ精一杯生きるのか?」という問題があるが、それは、遠い先祖から受けついたDNAの本能であろう。哺乳動物は生まれて、誰に教わらず母親の母乳を吸うことと同じで、古代の蓮の種が、環境を整られて花が咲いた大賀蓮なども同じで、生命力は人間にも想像できていないこともある。

生命の長い歴史は進化し続けている。しかし、人間は価値をコントロールする技術を覚え、遺伝子を組みかえて、人間の都合の良いものを作り出すことを覚えた。だが、それにより都合の良いものばかりではない遺伝子組み換えた食料品などは人の体に害をもたらさないか?また、生態系に害はないのか?など問題がでてきているのも事実だ。

« 人の噂も、喉元すぎれば・・・ | トップページ | 梅の実の季節に思う »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生命力と価値について:

« 人の噂も、喉元すぎれば・・・ | トップページ | 梅の実の季節に思う »