梅雨の思い出
むかし、貧しい百姓だった家に生まれ、大家族で男6人女1人の世間で言う七福神なっていわれ、私は六男である。今では知らないだろうと思うが、お勝手がへっつい・つるべ井戸・囲炉裏で、燃料が薪、木の枝、枯れ葉というものであった。
ガラス戸がほとんどなく、障子で隙間風が当たり前に吹き抜けていた。お勝手からでる煙が草葺屋根の破風から出る光景は目に残っている。
6月といえば「梅雨」である。田植えの時期で、山の栗の花が咲くころが、田んぼに人が出て、田おこしや田植えの準備で忙しい日が続く、牛・馬で代掻きで、鼻を取るということで、子供たちがその任につくのである。
10時のお茶・昼飯・おこじゅ(3時のお茶)で焙烙(ほうろく)で焼い“たらし焼き”(小麦粉を水で溶いて焼いたもの)を食べた。親父が「前の山を見ろ、山の栗の木は花をさかせている今が田植えの瞬だ。」
「2・3日雨がふらないいてくれるといいのだが・・・」と呟いていた。ツバメが、忙しく田んぼで働く人をかいくぐり飛んでいる。「今日は、夕方には雨が降り出す」と言った。何故分かるのかといえば、親父の腰が痛みが強いからだという。
水飲み百姓で、お袋に言われた。一反で10俵採れれば3俵は年貢米を地主に納めるのだという。いわゆる小作農であったのだ。私はそのことが全く理解できなかった。
夕飯は、風呂(風呂小屋)に入って裸電球一つの下で家族が揃って食べた。なんの不満もなかった。
現在、近くの栗林には白い栗の花が咲いている。もう、むかしの山はなくなっている。今日は梅雨の貴重な晴れ間、たまった洗濯物を洗う日となるだろうと天気予報である。九州・四国地方は雨だそうだ。
私は庭の伸びた柚子の木を剪定しながらそんなことを思い出した。
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