月日の移ろい速さに戸惑う
最近つくづく、自分の体力の衰えを感じる。月日の経つ早さに戸惑う。また季節の移り変わりに、自分の人生を重ね合わせて無常なることにため息がでる。
「光陰は矢よりも迅すみやかなり、身命は露よりも脆(もろ) し」ふと我にかえり、過去りし日々を思い将来を思う。 現代は人間社会の変化の速度が一時代前と比べると加速している感じで、一年の変化が十年に値するようにも思える。
だから、変化に取り残されると、この時代を生き抜くことができないのではという錯覚に、陥ってしまいがちになる。
昨今の社会の情勢は混迷の度をいっそう深め、激動の時代をむかえた。と異口同音に現代人は叫び続けている。しかし、山川草木、万物は静かな生き死にの流れの中にあり、悠々に無常の時を刻んでいる。
大地には小さな花や昆虫が、生命の営みをみせている。生死を憂えることもないから、生老病死の悩みもない。この大地には金も名誉もない、悠久の生命の生死の流れがあるのみである。
人間だけが心身を悩ますいっさいの欲望、すなはち煩悩により、自分の足下すら見えず、歩むべき方向を見失なっている。 現代人の多くが日常的にストレスを感じている。人間社会しか見ない。
四季の移ろいの美しさに感動する心を失なってしまった。人間社会のしがらみにしか生きる空間を持たない心の悩み多き人々が今日も人間の間を堂々巡りしている。
峰の色 谷の響き 鳥の声 風の音 一木一草にいたるまで、すべて生死の流れの風景である。ことごとくが輝きに満ちあふれありのままに生死の流れの風景を露呈している。
生きること、死ぬこと、人とは、幸せとは、環境とは、社会とは、家庭とは、いずれも生死の風景であることにも気づくだろう。生きる喜びとは何か、それは生まれてきたこと、生死の流れの中に生きていることである。
« これでは日本丸が沈没する | トップページ | 芝の中の草取りで思う »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント