戦争と震災
東日本大震災から3ヶ月が経ち瀬戸内寂聴さんが被災地を訪問したニュースを見た。多くの友や家族を失った野田小学校で198人の子供達に「支えあい思いやる気持ちを大事に」と語りかける。
瀬戸内さんは「去年足を悪くして、やっと歩けるようになった。みんなの元気な顔を見て安心した」と声を掛け、紙芝居を読み聞かせるなど約1時間交流した。
同校では、児童約20人が仮設住宅から通っている。瀬戸内さんは「家は必ずまた建つ。みんなが元気に育つことが、町の再興の力になる」と激励。「自分が好きなことを勉強するのがいい。好きなことを一生懸命したら大人になったら幸せになれる」と呼び掛けた。
瀬戸内さんに小学生の女の子が「戦争を見たことがあるのですか」と聞いた。瀬戸内さんは「なぜ聞くのか」と問い返したところ、被災地はテレビでみた戦争に似ているからと答えたので、瀬戸内さんは「あなた偉いのね」と語った。
ある子供の思わぬ発言に胸を撃たれ「震災の現実を戦後の焼け野原と重ね合わせた若い子供達に未来を感じた」という瀬戸内さん。素直な眼には地震津波災害が爆撃と同じ恐怖と捉えられているのだ。
98歳となった瀬戸内さん荒涼とした海岸を、たくさんの思いを抱いてしっかりと歩く。彼女の後ろ姿が印象的だった。
戦争と震災で、敗戦と同じようなもの、一瞬の間に何もかも爆撃で無くなってしまったのと同じである。励ましあって生き延びることに、声を掛け合い、助け合い、分かち合いは終戦当時を思い出す。集団生活・食料・生活必需品の配給、伝染病からの恐怖・消毒の匂い、先の見えない生活・・・
その上、放射能との戦いである。放射能といえば昨日、東京電力福島第一発電所に働く関連会社の作業員は、放射能の心配や、家族や、同僚のことも、気がかりであるが、使命感というものではなく、今までの原発で働いてきた何かが、身体を動かしている、また、他の人もそうだと思うと、テレビのインタビューで話していた。そしてこれからも逃げ出さず最後まで仕事は続けると・・・
戦争中、百姓の親父が戦闘帽・脚絆姿で、空襲警報が鳴り響く村じゅうを、防空壕を出て見回りに出て行った姿と同じだ思ってしまった。
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