人の痛みを分かる心構え・・・
戦国時代の武将の直江兼続は「愛」と「義」に生きたとして語り伝えられている。戦乱の世には多くの人々を失い直江兼続は、慈愛の心をもって民をいたわることを第一義として国を治めるべきであると説いた。愛とは、男女の恋愛の情のみならず、おおらかな心をもって、他を思いやる気持ちである。
とかく人は自分中心にものごとをとらえてしまい、自分の思い通りにならないことがあれば、たちまちそれが悩みとなる。自分勝手なものの見方でなく、ものごとを客観的に見ようと思う気持ちがあれば、愛する人との別れの苦しみを越えて、生きる喜びが見いだせるだろう。人は一人では生きられない、だから家庭生活や社会生活をしている。
憎しみあいながら同じ屋根の下で暮らすとなれば、これは悲劇である。また地域や学校、職場で、しっくりいかない人間関係があって、お互いに気まずい思いをしながら、それでも共に生きていかねばならないが、とても辛いことである。
別れたくとも別れられない、離れたくとも離れられない、ままにならないことが多いのも世の常である。顔も見たくない、まして言葉を交わすことも苦痛であり、怨み、憎しみの気持ちが増すばかり、そういう事情のもとで日暮らしをしなければならないとなると、 これはすごいストレスであり、日々が苦しみの連続である。
最近の事件のニュースの背景には、最愛の家族が、いがみあい、憎しみあうようになると、家族の不和や家庭に亀裂が生じてしまう。子や孫の行動に腹を立て、可愛さ余って憎さ百倍に豹変する親や祖父母の姿がある。
大切な人や愛した人が憎しみの人に変わることも、尊敬していた人に裏切られることもある。怨み、憎しみのあまり、冷静な判断ができなっかったり、一線を越えてしまうと、不幸な悲劇さえまねいてしまうことがある。
つらい思いをすることは自分自身の向上につながる。今苦しい思いをしていることは、自分が磨かれ慈悲の心が育まれていく修行をさせていただいていると思えばよいのだろう。苦しい目にあった人は、他人の苦しみも理解できる。心の痛みがわかる人は、何ごとにつけても広い心で接しようとする。なぜならば、怨み、憎しみあって生きるよりずっと楽しいから・・・。
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