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2011年6月19日 (日)

平常心に繋がる

10ichige_akitakoma11 「平常心」・・・人は、心の迷いをいつも感じることがある。また、恐れを感じることも多い。失敗しないか、これでいいのか、間違っていないのか、なかなか、平常心ではいられないものである。平常心でいられることは、一生かかっても完遂は難しい。修行では煩悩は払拭できないからだ。

しかし、修行で、ある程度は、近づけることは出来ると思う。それは、心を無にすることができ、我慢することでもなく、ありのままの自分、自分の中にある能力、経験、記憶、感性、などを、普通に生活するなかで見出す。しかし、簡単なようで、難しい。

日々の積み重ねが、人生であり、それは平常なことの繰り返し、でも、それも人生である。世の中には、理不尽なこと、自分では、どうしようもないことが沢山ある。一般社会でも、普段の生活においても、理解できないこと、理解してもらえないこと、分かってくれない人、分からない人、仕事でもプライベートでも、きっと多くのそんなことがある。

何があっても受け入れる心の中にスペースを広げて置く余裕を持てるよう努力すことが出来き、その広さで、平常心、つまり、いつも余裕の心でいられることだと思う。ありのままの心、ありのままの姿を認め受け入れるとき、そこに自らが否定し排除しようとした自分の心がなくなり、障りとする緊張感はなく平常の平常心あるのみとなる。

憎しみより哀れみを、誇りより謙虚さを、怒りより微笑みを、許しのこころ、慈愛のこころ、仁のこころ、それが、平常心に繋がるのかも知れない。

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