母親の涙・・・
私が小学校3年生つまり9歳の時病気で亡くなった。母親の印象に残った言葉は記憶にない。しかし病気療養中、私が少ない小遣いから買った一つの桃で思い出す。昭和24年頃の桃の値段は一個150円位だった。
母親に「母ちゃん桃食べられる?」と聞いた時母親が涙を流していた。その時母親は、なにも食べられなかったのだ。その時が始めて見せた涙だった。9歳の私の行為が嬉しかったのか、食べられないことの悲しかったのか分からなかった。
人間の涙には色々な意味がある。悲しくて流す涙、うれしくて流す涙、くやしくて流す涙、人はさまざまな場面で涙を流す。
人間の涙というのは、水分と少しの塩分?だけだろうか。科学的にいくら分析しても、分析しきれないものが、人間の涙には含まれているのではないだろうか・・・
母親が流す涙、それはいくら科学的に分析したところで、水と塩分に過ぎない。しかしその奥には、愛情という、目には見えないが、尊いものが含まれていた。
愛情の大きさは、計り知れない。よく子供が病気で苦しんでいるのを見て、母親が「できるなら私が身代わりになって上げたい」という。このことは、地球上の生物で人間しかいない。
母親の涙はたった一回しか見ていないが、私の見ていないところで、目が腫れるぐらい泣いたことと思う。人生は、泣いて人間的に成長するといわれるが、多くの涙を流し、涙の数で成長し、新しい未来が拓ける。それは生きるための挑戦している美しい涙となる、そういう涙をこれからも流したいものだ。
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