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2011年6月13日 (月)

敢えていう「原子力発電は必要」

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035571 あちこちの工事現場に「安全第一」という大きな看板を目にすることがある。「絶対安全」はない。原子力発電所の事故は、震災が原因であるとしても、技術を過信した人間の行動が引き起こした人災といえる。

低コストで、環境にも悪影響がない夢のエネルギーだというふれこみで原発が国策ですすめられたが、自然界には存在しない不必要な物質を人為的に生み出し、それが死の灰となって環境を破壊し生命に甚大な悪影響を与えている。原発とは要不要の諸刃の剣のようなもので、壊れやすい危ういものである。

原発はほんとうに必要とされるモノでしょうか。人間の技術力の蓄積において作られたモノであるから、技術力を高めていけば弊害はすべて克服できるという考え方もあるようだ。

「それが危険である。根本的に間違った土台に人間の知識能力でものごとを構築しようとしても、いつかは壊れてしまう。また技術力で立て直して改良して技術で問題をクリアすれば、よりすぐれた成果を得ることができるという幻想に陥ってしまうのも、人間の浅はかな性というほかない。」という意見もある。

一方今までの発達した社会構造に必要不可欠な「電気」の存在はますます需要が増してきている。今まで化石燃料で賄ってきたが、資源は有限である。自然エネルギーの利用は、もっと考えるべきと思うがコストから難しい。発達し続ける人間の暮らしには限りがない。とするならば、原子力は、電気を必要とすることは環境・進化し続ける人間の生活上から避けられない。

日本では、原子力発電は3割を賄っている。電気の需要はこれからも、産業経済の発展からも、増すことは予想される。代替で太陽光のエネルギーで屋根に1000万戸をパネル取り付けるとの菅直人首相が表明したが・・・5月25日午後に経済開発協力機構(OECD)での席で行ったが・・・ 問題も多い。

ドイツは原子力発電は行わないとの国に政策を変換した。世界から今後のエネルギー政策が注目されてきた。

私は、人類の進化を考えるならば、環境・資源から総合判断で原子力発電は必要と思う。これからも日本は、地球の歴史からも地震は起こるだろう。それが、何時・何処で・どの位に規模が今の科学では分からない。東海・東南海・南海と30年以内に震度6以上の地震は87パーセントの確率で起こるという予想もある。

夏の消費電力が心配はあるが、計画停電で、町の道路の信号が使えないで事故が多発したり、病院などの緊急対応しなければならないところでは、大変な苦労があったという。

また、電気の代わるエネルギーは人々の暮らしに密接な関係している。そのことから生活レベルを全世界の人類が原子力発電以前に戻すことは不可能である。

 

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