救国は過去の人に習え
「絆」が希薄になり、「無縁化時代」と言われてきている昨今。大震災と放射能で、苦しみと不安でおののいている国民は頼るのは政治の力である。その政治が、手をさし伸ばし方が違うといって、お互いに話し合いはまとまらない。
いま歴史を振り返って、国難を生き抜いたリーダーがいる。西郷隆盛もその一人である。西郷南州遺訓がある。現下の日本に、諌める言葉と出会い、 なるほどと思う。多くの人に読んで頂きたいと思う。
己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕慢(きょうまん)の生ずるも、皆な自ら愛するが爲(ため)なれば、決して己れを愛せぬもの也。(西郷南洲遺訓 西郷隆盛 順受の会 解説・松田優山)
「自分さえ良ければ、人はどうでもいいなどと考えることは、人として一番良くないことである。修業ができないのも、事業が成功しないのも、自分の過失を改めることができないのも、自分の功績を自慢し、驕り高ぶるのも、すべて、人のことは考えない自己愛の強さからくるものであって、決して、自分さえ良ければいいなどと考えて行動してはならないものである。」
何でも物事を成就させるためには、自分ひとりではできない。また、自分ひとりでやり遂げたと思っても、その人の周りにいる人たちが協力してくれたから、やり遂げられたということが世の中すべてであるといっていいであろう。
まず、この世に生を受けるということからして、自分でできることではない。そういうことからしても自分がすべてやったなどということは存在しないのである。だから、自分さえ良ければなどということは、元々、通用しないのが人間社会なのである。
このことを理解できないで、自分の私利私欲だけに捉われている人は、どんなことをやっても反省もせず、人の力を借りることもしないので成功もしない。また、少しの自分の功績を大げさに自慢するものであり、傲慢でもある。このような人間になってはいけないと、西郷南洲は言っているのである。
結局、自己愛が強くて、人を信じることができなくて、せっかく持っていたものまですべてを失うということは、最近、よく見受けることであるが、こういう人は、自己愛が強い割には信念が無く、何事も最終的には人に任せることも無く、自分の都合のいい事に強く反応するという傾向がある。そして、そういう自分に自覚が無い場合が多い。
つまり、客観的に自分を見つめることも無ければ、客観的に見て、自分のことを率直に言ってくれるような人物をも遠ざけるからである。こういうようにならないためには、やはり、人間力を磨くことであろう。また、このことは誰でもが持っている要素であるので充分に気を付けねばならないことでもある。
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