苦の娑婆・・・
はるかに遠いイメージがあった「古希」その古希を過ぎて、最近、生きることって大変辛いことだと感じる事が多くなった。
心身ともに弱くなったと言うことだろう。自分の生活イメージと人間社会の流れが隔たりが大きくなったのかも知れない。
そもそも、そんなことを考えること事態なんだろう?極力、日常生活に変化に気をつけて焦らず、慌てず、余裕を持つように心がけているのだが・・・
毎日を生きているこの現実社会は、どこへ行ってもガマンすることばかりである。自分の思いのままになるところなど一つもないということか・・・
小林一茶の苦を思い出す。大無量寿経に「田が有れば田に憂い、宅が有れば宅で憂う」と説かれている言葉の意味と全く同一の心境だろう。
「苦の娑婆や桜が咲けば咲いたとて」
一茶の人生は暗い。まま母にいじめられ、十四歳ででっち奉公に出され、弟と財産相続で争い、五十を過ぎて妻をめとり、生まれた子供はつぎつぎと死に、妻にも先立たれ、家は焼け、中風を患い、後添えとは離婚し、三度目の妻は妊娠したが、その児の誕生を待たずに自らも帰らぬ人となった。
門人・西原文虎は「一声の念仏を期として大乗妙典のうてなに隠る」と「一茶翁終焉記」の中で記している。一茶が「苦の娑婆や」というとき、本当に実感のこもった響きをもって聞こえてくる。
ところが人間というものは愚かなもので、花鳥風月の楽しみまでも苦の種にしているという嘆息が「桜が咲けば咲いたとて」という表現になったのだろう。
人間の世界における幸福や不幸は、結局のところ自分の主観の感情がつくりだしたもので、幸とか不幸という実態があるものではないのだから、楽しみまでも苦の種にしないようこころがけたいものだ。http://www.butudan.co.jp/houwa/index.php?FrontPage ・・・より
ウキペディア・・・娑婆(しゃば)は、サンスクリット語(梵語)sahāの音訳で、我々が住む仏国土(三千大千世界)の名前。sahāには「大地」という意味がある。漢訳では「堪忍」という訳語が充てられることから、この世は、生老病死(しょうろうびょうし)や人間関係、さまざまな欲望など、煩悩に耐えていかなければならない世界であるという解釈もある。そうしたことから娑婆と名付けられ、また、「忍土」ともいう。
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