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2011年6月 7日 (火)

我が分限を知る

07akitakoma_sumire11 「分限」とは、物事の程度や分量、物事を行う能力や限度、あるいは身分の程度や分際(身分)をいう。「ぶげん」とも読み、分限者などと使う。

また、その置かれた立場のようすや経済状態もいい、とくに江戸時代には、財産・資産の程度をいい、その財産や資産を多く有している人、すなわち富豪や資産家をさしていうことばとして用いられる。さらにこの上をゆく富豪を長者と称してこれを区別している。(yahoo!百科事典)法律上で分限とは公務員の地位をさす。

仏教の教えに、我が分限をわきまえば、それ程もがき苦しむことはなくて生きて行ける。現代では日本人が、飢えて死んで行く人は少ないが、美味しい物ばかり食べていて病気になる人沢山いる。これがすなわち分限を忘れた姿であるという。

人間分限を知るということは大切なことである。衣食住生活、金のために使われる金がほしい。好きなものも食べたい。立派なものを身につけ贅沢な生活、衣食のために追い回されることは分限以外に手を出している。

実業家でありながら、金を粗末にしたり、学者でありながら利益問題に走り過ぎることは、いずれも我が分限を忘れていると言うことだ。分限を忘れては円満な人生を渡ることは出来ない。

世の中、思想・信条の自由で、発言の自由でもある。団体組織には分限があって統制されていて一つの目標に向けていくためには必要である。指令は最高権力者からトップダウンで末端まで、如何に徹底されるかで評価される。

最近、家族・会社・公務員などで、個人的に意に反するからと言って悩み苦しんでいる人が多い。そういう人は、辞めて他に生きる道を探していけばいい。幾ら自由の世の中だと言って分限をわきまえて、言動をしないと苦しみの道から逃れられない。

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