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2011年6月24日 (金)

行雲流水

15401 ~朝日カルチャー「禅語教室」より~禅語の「行雲流水」を考えてみる。行雲流水とは・・・
雲は悠然として浮かび、しかもとどまることなく、水はまた絶えることなくさらさらとして流れて、また一処にとどまることがない。この無心にして無碍自在のありようが禅の修行にもあい通じることから、この語を禅者は好んで用いた。

「行雲流水」は自然現象である。空を行く雲、川を流れる。水は一時も同じ状態ではない。雲の表情は一瞬一瞬ごとに変わり、湧いては消え、消えてはまた生ずであり、また流れる水も常に変化して様々な表情があるように、この行雲流水の語は世の無常を表わした語でもある。

それはそのままわれわれの人生にも通じることである。雲にはやさしい風ばかりではない。吹きちぎり吹き飛ばす風もある。水の流れにも瀬があり曲がりくねる淵があり一様な流ればかりではない。長い人生もまた然りである。

人生、順風満帆ばかりなんてありえない。どんなに障害があり、喜怒哀楽様々な出来事の連続の中にあっても、常に心はその一処にとどまらず、執着せず、雲の如く無心にして淡々と、さわやかに生きるところにこの「行雲流水」の語が生きる。

雪が降り続く、3月11日東日本大震災は起きた。多くの犠牲者と財産が一瞬のうちに無くしてしまった。それから3ヶ月が経って、落ち着いて考えてみるとこれが、人生なのか、人生楽園ばかりない、自然災害、人は「想定外」という人もいるが、こんな真っ逆さまな坂に遭遇するのも人生などだ。

人の煩悩いわゆる三毒(煩悩)、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)がこの宇宙上にない放射能を作ってその扱いを間違えて多くの人に不安と恐怖に晒している。自然の同化し生きることの基本を忘れては、本当の幸せはない。大きな代償を払わされることになったものだ。

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