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2011年6月23日 (木)

「までい」とはー素敵な言葉

035571 NHKのテレビのリポートで被災地の菅野典雄飯舘村村長のインタビューで、菅野さんは、「までい」という聞き慣れない言葉を説明してくれた。

壁に張られたポスターの中に「までい」と言う文字があり、取材陣も意味が分からない、聞いてみると福島県のこのあたりの方言だそうだ。村長は、「漢字で書くと、『真手い』という字があたるのかなあ」と語る。真心をもって手で大事にくるむような気持ち、くらいの意味だという。私は「素敵な言葉」だと思った。

そして、飯舘村は「までい」な村づくりを合言葉にしてきた。人の絆を大事にし、ゆったりした田舎暮らしを楽しむ村にしようと。しかし、その取り組みが軌道に乗りかけた時、原発事故によって村の暮らしは大きく捻じ曲げられた。

計画的避難区域に指定されたのが4月22日。以後、特別養護老人ホームをはじめ、移転困難な事業所を除き、ほぼ全村民の避難が終了、またはメドがついた。そして6月21日、村は役場の機能を福島市内に移し、飯舘村はこの日をもって、残念ながら自治体ごと流浪の身となった。

この日の夜、番組で菅野村長と中継をつなぎ、話を聞いた。淡々とした表情ながら、端々に悔しさがにじむ。村長の話が最も熱を帯びたのは、散り散りになってしまった村民のきずなを守りたいという願いを語った時だ。

「避難先はバラバラになりますが、新しいコミュニケーションによって、村への思いをつなぐ事業はいっぱい考えていきますよ。敬老会だって協力してくれると言っている。小学6年生を沖縄に派遣するのも続けます。転校しても、また集まってもらってね。夢のある事業を発表していきます」。

アイディア村長として知られた人だ。平成の大合併の時、近隣の市町村といっしょになることを拒み、厳しい財政の中を、独立独歩でやってきた。飯舘牛などの特産品を生み出し、スローライフの勧めに惹かれ、村に遠くから移住する人も少なくなかった。

辞任の土俵際で踏ん張る菅首相の粘り腰に負け、国会は会期という土俵を70日間広げることになった。辞めると言ったはずの首相が居座り、国会は、茶番劇化している。

一方で、自分のふるさとという「土俵」から、不本意ながら追い出され、それでも村の心のつながりを守るのだと踏ん張る人たちがいる。どちらの踏ん張りが尊いか。答えは言うまでもあるまい。(ニュースウォッチ9  http://www.nhk.or.jp/nw9/  )

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