何処に行って同じ・・・
人はそれぞれなんらかの悩み苦しみごとを、一つや二つは持っているものである。老後のこと、病気のこと、経済的なこと、人間関係や、家族のことなどさまざまである。
夏至が近いというのに半袖では寒い、天気予報では5月の気温とか?歳をとると骨身に感じ、朝などは暖房が欲しいと思えるほどである。一体どうすれば、暑さ寒さから逃れる方法はないものか考えてしまう。
暑い時には寒い所に行き寒い時には暑い所に行けばいいだろう思うが、それが本当に出来るかと考えたたら、出来る筈がない。暑い時には暑さになりきり、寒い時には寒さになりきる。そこが暑さ寒さの無い所だと言うことだ。
人間関係で、あの人は嫌な人と思えば、何事もうまくいかない。けれども自分を含めて人は皆、長所と欠点があるのだから、その人の欠点ばかりを拾い出すのでなく、長所を見いだすようにすれば、その人と関係改善がはかれることがある。
これは自分に合わないとか、嫌な仕事だとか思っていたけれども、世の中には、そう簡単に役に立たぬものなどない。工夫・改善によって、気づかなかった面白や楽しさを発見することがある。
相対としてとらえずに、目線を同じくしたり、自分のこととしてとらまえたり、世の中のお役に立ちたいという気持を強く持つこと、すなはちすべて発想の転換が大切ということだ。
老いを嘆くより人生経験豊かなことに誇りと自信をもって自己を生かすべきだ。病に負けることなく、生かされている命を どんなかたちででも輝かせる。心配ごとや悩み苦しみごとと、上手につきあうことである。
心配ごと悩み苦しみごとがあるのは、今、生きている証拠である。『心配ごとや、悩み苦しみごとの中に、喜びや楽しみ、また生きる希望の種が、芽がある。』そう思えばこの世は楽しくもあり、希望に満ちあふれている。この種をうまく育てて、花を咲かせることが、悩み苦しみから逃れる方法であると思う。
カール・ブッセ『山のあなた』を思い出す・・・
山のあなたの空遠く、
幸い住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、
幸い人の住むといふ。
そして、この「山のあなた」の詩に続きがあるのなら、『青い鳥』のようであればいいなと思う。幸せを求め続けて、とても大きな幸せを手に入れられれば、こんな素敵な人生はないのだが・・・何処に行っても同じだということだ。
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