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2011年5月24日 (火)

無縁社会とシェア社会

無縁社会を解決出来るかも知れないシェアリング(sharing)という方法がある?昨夜NHKのラジオ深夜便で消費社会研究家、三浦展(あつし)氏の放送で無縁社会からの解決のヒントがある?

シェアリングと呼ばれている・・・ワークシェアリング・カーシェアリング・ホームシェアリングなどがある。シェアリングって?・・・・“分ちあい・共有”という意味だ。最近では日常用語としても「このケーキをシェアーしようよ」といった使われ方がされるので、何度かは耳にしている。

何もかも所有するのではなく、本当に必要なものだけを所有し、そうでないものは、共有や共同利用で済ます。あるいはレンタルしたり、中古品を買って済ませる。そして、それを積極的に楽しむという消費行動であるという。

しかも経済的だとか、合理的だとかという理由でシェアするのではなく、人とシェアすることで、新しいコミュ二ケーションや新しいコミュニティのような価値が生まれることが重要であるという。

戦後の日本は、アメリカをお手本に、国を挙げて「所有するライフスタイル」を推進してきた。その代表が「マイホーム」であり、「マイカー」だった。国家も企業も、広告も、そして消費者も何かを所有することを「豊かさ」「幸福」として突き進んできた。

いい家に住み、高級車に乗って、高級ブランドを身につける生活。一億総中流と言われた時代、それが理想の生活だった。

高齢者を捨て、非正規労働者にリスクを押し付けることで、この20年をサバイバルしてきたのだ。その結果、地縁は失われ、血縁も薄れ、さらに社縁も弱まり、いまや「無縁社会」と言われるまでになってしまった。すべては、商品を「所有する」ために突き進んできたことだった。

ここ数年、若者はクルマに興味を失って来ていると言われている。分譲マンションや戸建住宅が売れにくくなっている。20年におよぶ経済の停滞は、消費し、所有することを好まない「嫌・消費世代」のような層を生み出している。これに対して企業や国が何の施策も打ち出せないのを尻目に、若い世代は、新しい生活のスタイルを生み出し始めている。それが「シェア」だという。

シェアが必要なのは若者だけではない。日本がやがて迎える超高齢化社会では、高齢者をケアするコミュニティが求められる。今後、いわゆる夫婦と子どもからなる世帯は減少していき、若者から高齢者まで単身世帯が増える。

従来、家族が担ってきたケアを、これからは自分自身で行わなければならなくなる。それを支えるのは、ケアをシェアするコミュニティであるという。「私腹から福祉へ」と語呂合わせのような概念を提唱する。

「ケアのシェア」とは福祉のことでもある。老人ホームとかケアハウスを作るばかりがケアではない。高齢者たちが、できるだけ自立できて、しかも相互にケアし合えて、さらに若い世代もケアに参加しやすいコミュニティを作ること。そしてコミュニティとは、場所があって、自然があって、街があるという中で生まれてくるものだという。行政は、都市政策と福祉政策を別のものとして捉えてきたが、街全体のあり方から考え直さないといけないという。

シェアに関心がある人は当然のことながら環境問題への意識も高い。共有、レンタルへの志向は強く、不必要な物は買わないのはもちろん、必要なものでも、少しこわれてもできるだけ修理して使おうとする。また不要になったものでも、フリーマーケットなどのコミュニティがあれば、捨てずに有効活用してもらえる。最近、デパートの中にある高級クリーニング店の売上が伸びているという。洋服のリフォームや靴の修理をする人が増えてきて、新しい雇用が生まれているという。

今回の震災に対して、多くの人々が、組織が、国が、支援のために立ち上がっている。それは、被災者の苦しみや悲しみをみんなで共有しようとする思いから始まったのだと思う。喜びを分け合うシェアがあるなら、悲しみや苦しみを分け合うシェアもある。世界が、日本の痛みを「シェア」しようとしている。

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