今が旬のものが美味しい
最近、八百屋・肉屋・魚屋などの専門のお店が少なくなって、何でも間に合うスーパーが、多くなってしまった。スパーは好きな商品を自分で買い物籠に入れてレジで精算して買い物が出来る。
昔の専門店では、今日のお魚は、「安くて美味しいよ!」と掛け声、会話ができて、お店の方とお客の会話コミニテーがあった、人情味があふれて光景がみられた。そして、食べ物に旬があって、店主は「初物だよ!」と声をかける、それをお客は買うという風景が懐かしい。
今が一番美味しい時期に味わうからこそ,それぞれの本来の持ち味がよくわかる。野菜、果物、どんなものでもそれ自身の味、本来もって生まれた味があり、それは人間の思量分別を越えたものである。
魚も切り身や加工されたものが、肉も、それぞれパッケイジされたものがスーパーの冷蔵ケースに並んでいる。若い人は好んでこれらのものを買い求める。
時にはお総菜として調理されたものを調法する、自分で魚を包丁でさばいたり、肉を料理の用途に応じて量り売りしてもらうことを、若い人は敬遠する。魚の目が怖いと思う人は調理ペーパーで覆えばよい、自分で鱗や腑をとり、さばくことが料理の基本であるはずである。
モンゴルの人は羊の血の一滴も大地に落とすことなく解体する。ドイツ人は豚の血の一滴をも無駄にせずソーセージをつくるという。いずれも親が子供によく教え込むから、あたりまえのこととして、食べ物の命を大切にすることを実体験で学び、子供は成長する。
人間は他の命を食して生きている、食物は命であり、それぞれの食材の持ち味を尊び、食材のを尊ぶべきである。食物の命を尊ぶ心を育てることが、家庭や学校での子育において大切なのだと、もっともっと声高に叫ばれなければいけない。
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