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2011年3月 3日 (木)

マナーとルールと思いやり・・・

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Galleryplayer24_web マナーを守ればルールは要らない。隣にいる人の事、目の前にいる人の気持ちを互いが考えられれば、ルールは要らない。しかし、「家庭」、「地域社会」、「国」、「世界」と、グローバル社会で複雑化し、人の交流が激しくなると、人は「目に見えない人」の気持ちになるのは難しくなる。だから条例や法律というルールができる。

これだけ価値が多様化し、互いの相互利益が成立しにくくなると、都度相手の気持ちを考えるのが難しい。考えて、行動しても結局相手の要望と異なるケースが増えている。それならばいっそ、「自分の思うようにやろう」となる。

そして互いの利益争いの結果、そこに目に見える形で衝突が起きてしまうと、それを防止するためのルールが策定される。その策定されたルールで不利益を被る人がまた増えて、彼らもまた「自分の思うようにやろう」となる。そして新たなルールができる。その繰り返しの連続になる。

世の中から信号機が無くなる時がくるとすれば、それは車からアクセルもブレーキもハンドルも消えて、どこか衛星上から車の動きを第三者に管理されるような時代であるのかもしれない。

そうなったら、「生きる」人の存在意義は?自分達で判断してアクセルを踏んで、ハンドルを切って、細道から車が出てきたら入れてあげたり、おじいちゃんが信号無しの横断歩道を渡ろうとしたら止まってあげて、そうやって自分で判断を積み重ねる毎日を送るということが「生きていく」というのではなかろうか。

この世に法律があっても、人の優しさ、思いやり、心の安らぎがなければ生きることが出来ない。

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