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2011年3月 8日 (火)

完全無欠な人間はいない

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08tubaki_takegaki11 人間は生まれた瞬間から罪人である。この世の中にいる全ての人間は例外なく罪人であり、完全無欠の人間は最初から存在しない。

しかし、人間の心の底にある善悪の判断(理性)の声がある。だから、悪の塊のような人間もいない。この世の全ての人間は、道徳心が存在いると言える。

つまり、人生では様々な選択肢に直面する場面があるが、その際、自分がこうしたいというのとは別に、心の底から「こうすべきである」という、ちょっと矛盾する心が動くことがある。

人が池で溺れそうになっているのを見た瞬間、どうするかを決める時に頭の中に下記二つの選択肢が思い浮かぶ。

1) すぐに水に飛び込んで助ける

2) 自分も危ない目に遭うかもしれないので助けない

しかし、これに加えて実はある発想が働く。それは「2」を選ぶより、「1」のほうがモラル的に優先すべきであるという心である。この声は、あらゆる場面で出てくる。

物を盗むか盗まないか、浮気をするかしないか、仕事の経費を誤魔化したりする時など、色々な場面で、どうしようもない罪人である。そして、律法を完璧に守っている者は一人もいない。

私達はいくら頑張っても人間同士だけでは、決してお互い平和に暮らせない。長い人間の歴史から見ても戦争は耐えない。また、麻薬密売や殺人のような様々な犯罪を起こしたり、人種差別をしたり、特段の理由なく他人を妬んだり、憎んだり、見下したり等、どうしても避けられない。このような悪い行為・結果は、日々数え切れないほど目にする。

裁判を通じて犯した罪に相当する量刑が下され、懲役や罰金が求められる。また、民事の争いの場合は損害賠償が求められる。

「そんなの、ふざけるな!」「不公平じゃないか?!」と騒いでも、関係ない。規則は規則だ。例えば、東大に合格したいのであれば、東大が定めた点数を取るしかない。入試に合格するため、一生懸命頑張る人もいるし、それ程頑張らない人もいるかもしれない。でも、それは関係ない。

結果が全てだ。合格すればよい。ぎりぎりでも合格基準を満たせば合格だ。逆にどんなに惜しくても合格ラインを越えなければ不合格だ。文句を言っても全く無意味だし、時間の無駄だ。

この地球上で、現代に生きている私達の生まれる前から存在しているし、私達が死んだ後も存在し続ける。このような歴史の中で、反抗的な態度を取り、「そんなの不公平じゃないか」などと言うのは通用しない。

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