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2011年2月

2011年2月28日 (月)

優しい人づくりは環境から・・・

Yudono1 優しい人づくりは環境から・・・私は、(湯殿川と兵衛川の交じる(落合う)場所付近の農家(小作農)に生を受けた。昭和の10年代は、東京都南多摩由井村片倉だった。京王高尾線は、多摩御陵までの単線で、京王片倉駅はあった。JR横浜線(国鉄)片倉駅は片倉信号所で、単線であったための交換するだけであった。(宇津貫川→兵衛川)

湯殿川・兵衛川と暮らしが、密接なつながりがあった。水田の取り込み・野菜などの洗い・洗濯などである。また、川には、多くの種類の魚・昆虫など、今では幻となってしまった生物が沢山いた。

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この図(絵)は片倉城が作られる前?のものと思うが・・・湯殿川は護岸工事が行われ私が子供のころと大きく変わってしまった。現在は、河川管理通路として、住民が利用しているが、管理は、南多摩西部建設で行っている。

川は改修が進んで来たが、環境が変り、そこに棲んでいた生物がいなくなってしまったことに寂しい思いである。昔のいた魚や昆虫が棲める環境づくりをしたい。ふるさと創生し、自然とのふれ合いによって人に優しい人間作りが出来る。これからの地域社会になることでとっても、重要なことだと思う。

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                現在の湯殿川

毎日を最後の日と思って生きる

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08yokotesigai_yuukei21_2 毎日「今日が人生最後の日」だと思って一日送る。限られた人生で、一日たりとも無駄にはできない。いつ死んでも後悔しないように、毎日が命懸けなで、常にベストを尽くす。

「毎日そんなふうに命懸けで仕事をしていたら、疲れるんじゃないですか」という人もいる。でも、それは違う。命懸けではなく、いい加減に過ごしていたら、かえって疲れる。好きな仕事に命懸けで取り組んでいれば、疲れるどころか逆にどんどん元気が出てくるものだ。

Apple創始者・スティーヴ・ジョブスは「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」といっている。

自分が間もなく死ぬことを意識して毎日を送ることは、人生の重要な決断を助けてくれる最強のツールだ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。

一日が過ぎて、ベットで寝る時に無事に過ごせた一日を反省し、感謝して眠る。このことの積み重ねの一生でありたい。

2011年2月27日 (日)

権利・義務・責任を考える

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10kouchi_katurahama11 人間が社会で生きる「権利」「義務」「責任」を考えてみた。

公園の管理で、マナー・モラルの認識を疑う問題を、関係者と話し合いをした。・・・その時に、社会に生きる権利は誰でもある――一般社会に問題に目を移してみると・・・

国民は・・・社会に生きられることは最低生活の保障されている。しかし社会で生きるための、ルール(法律)がなければ、家庭・地域・国家社会は成り立たない。そのルールを作ることで、守る義務が生じる。

義務を犯したら取り締まる組織(警察)が必要となってくる。その裁定する裁判も必要だ。最後にその判決で罰を受ける。これが人間社会の生きるため必須条件である。

しかし、「生きる権利」を主張し、「生きる責任」を果たさない人間の多い現代社会、法律があっても抜け出す人間が多く、取り締まる人間もまた法律を破ったり、無視する人間が出て問題となる。

今は、「最低限の生活を保障する権利」が声高に叫ばれているが、「最低限のモラルを守って生きる責任」と「最低限のモラルを守って生きる義務」がある。それだけでいいのでしょうか・・・。

苦しくても生きないといけない。でも、生きるにも最低限の約束事がある。しかし、今は、その約束を破った人が高笑いをしている、へんな時代である。これでいいのだろうか?

2011年2月26日 (土)

イヌムギと格闘始まる

800pxstarr_0804184233_bromus_cathar 今年も「帰化植物」イヌムギとの格闘が始まった。家の前の湯殿川の河川管理通路で幅1メートル×200メートルの距離である。今年もコスモスを育て、通行人に楽しんでもらおうと思いから今からその準備である。

準備といっても、普通の麦のような、草であるイヌムギの根ごと除去するのである。繁殖力は、いたって強く、根を残すと1週間もすると、直ぐに伸びてそのまま60センチ~1メートルぐらい伸びて実をつけてしまう厄介な雑草だ。この時期に、処置しないと、根が分割し、鍬などで掘り起こさないと取れない、という代物だ。

サーテ作業を開始といっても私一人である。以前は、町会の方たちにお願いし作業をしたのだが、高齢化で2・3年前から、2人で行っていたが今年は、どうも私一人?になってしまいそうだ。

昨日は5月の陽気で3時間ぐらい続けて作業だが汗をかいたが、今日は8時から9時30分の1時間30分行った。何日かに分けて行うようにして、何とか早いうちに終らせたい。

ブランドは自分で創る気概が欲しい

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06oga_toga11 ブランド総合研究所は24日、国内有力企業500社の社長を対象に実施した、「認知」「好感」「イメージ」など47項目からなる「社長イメージ調査2011」の結果を公表した。

最も好感が持てて魅力的な社長は、トヨタ自動車の豊田章男氏である。全国のビジネスマンや就活生1万1824人を対象が実施したアンケートで、そんな結果が出た。

去年アメリカで起きた、車でブレーキぺタルなどで、袋叩きにあった問題はアメリカ運輸省などで必死の説明などテレビで報道された。最終的には、米運輸省はトヨタ側の主張が全面的に認められた。テレビで必死説明の姿が好印象に繋がったのか?

4つの視点で評価は、豊田氏が1位を獲得した「好感」「魅力」のほかに、ソフトバンク社長の孫正義氏が「能力」、花畑牧場社長の田中義剛氏が「認知」指数で1位となった。豊田氏は、総合ランキングでも孫氏に次いで2位を獲得した。

「この社長の下で働きたい」という「魅力」指数で上位となったのは、豊田氏のほか、スズキの鈴木修氏と、サントリーHDの佐治信忠氏。共通するのは「堅実である」という評価が高かったことだ。

大きな会社で、苦労をしないで給料がもらえて一生勤められると思っている?若者だとしたら日本の将来は?中小企業で働き自分の能力を生かして、新しい商品開発する意欲的な考えはないのか・・・就職浪人なんて許されていいのだろうか?

松下幸之助・本田宗一郎だって、個人の努力で成し遂げた企業者である。トヨタも然りである。無いところから有にすることは、発想は無限である。命を賭ける冒険心が若者に大切なことと思うが・・・。ブランドは自分で創る気概が欲しい。

2011年2月25日 (金)

ストレス社会を生きるには

3612 あなたは最近のご自分の変化に気づかないですか?
根気がない。無気力でやる気が起こらない。気分が落ち込みやすい。眠れない。いつも不安を感じる。イライラする。物事に集中できない。人と会ったり話したりしたくない。などはないですか
・・・?

健康に気をつけたり、休養や癒しによって、ストレスは解消される。ところが最近の自分の変化に気づいていても、何らかの心身の不調を感じていても、日々変わらずに生活をしていると、ストレスは蓄積される

そして、自分の身の回りで、色々な変化が起きる(近親者の死、引っ越し、退職、転勤、昇進、職務内容の変化、過酷な業務による過労、出産、育児)と、突然、襲ってくるこうしたストレスに晒されると、日頃のストレスの蓄積が誘因して、より深刻な状態になる。こうして心の病や体調不良に陥ってしまう。

ストレスの蓄積によって、自律神経の働きが悪くなり、バランスが乱れて不安定な気分になったり、無気力感やうつの症状があらわれてくる。家族や親しい人が何らかの変化に気ずき、悩みを聞いてあげたり、相談にのってあげたりすることも大切である。

現代人の悩みの多くはストレスが原因だと考えられている。今の生活で悩みのもとであるストレスから逃れられないのなら、その生活を根本から変えてみるのもいいだろう。

こういう不況では、転職や休職は意のままにならないだろうが、仕事に原因があれば仕事の仕方を変えてみる、思いきって職場を変えることも必要である。

私の現役の3年前に体調を崩し、職場の方の配慮で何とか乗り切れた経験がある。早期の医師の診察とケアー、早めの休養と、大きな視野で世の中を見ることに意識を働かせることだ。そして、十数年たったいま、会社・職場の方・家族の理解に感謝している。

これまで過ごしてきた生き方を変えて、思い切って別のレールに乗り換えてみるのも、一度しかない人生の選択である。私の体験を、悩んでいる方に話をしてあげたい。

健康とは・・・

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05detohama11 最近、健康の有り難さをつくづく思うのである。健康とは・・・肉体的・精神的に異状が感じられないことだと私は思っていたが・・・

辞書では・・・
個人
においては、日常生活を送るために必要な最低限度の身体と精神の両面の条件が十分に満たされている状態をさす概念である。

身体面においては、重い疾病にかかっている場合は明らかに健康とはいえない、日常生活において、疾病の治療等のためになんらかの配慮が必要の場合は健康とはいいがたい。

しかし反面、明らかに疾患があっても、生活を変えなければならない状態でなければ健康といえる、身体に障害がある場合でも、恒常性の維持がその状態で保たれていれば健康といえる。

精神面においても、身体面と同様に、日常生活を送るうえで特別な配慮を必要とする場合は健康であるとはいえない。しかし、個人がある社会において社会生活を営むうえで、その社会にうまく適応していける場合は健康といえるわけである。

1948年、世界保健機関(WHO)で、「健康とは、肉体的、精神的、そして社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病や虚弱さがないというだけではない」と定義されている。

混乱が続く中東諸国は人間の爆発(精神と肉体)で、本当の民主化の始まりのような気がする。その波が遠く日本まで及んでいる。

中国・北朝鮮にまで及んでいるいる模様だ。インターネットの波及効果は早さ・正確さは、良し悪しはともかくその情報効果は恐ろしいほどである。

チュニジアに始まり、中東の混乱もネットの武器?からの起きていると言っても過言でない。それにしても中東の混乱は日本の私達にも影響はある。

健康は誰でも願うものであるが、遠い国のことで関係がない?と思っていても、グローバル社会で、私達の生活・健康まで及ぶことになる。健康とは自分だけで満足しても地域・社会的に健康でなければ、本当の健康とはいえないのかも知れない。

2011年2月24日 (木)

ニュージーランド地震

Katidoki241 都市を襲う直下型地震の怖さを、思い知らされた思いだ。
阪神淡路地震7.3で、ニュージーランド地震は6.3で30分の1だ。地震の被害の大きさは、地震の規模とそれがどこで起きたかによる。日本でも1年に数回は起きる規模の地震である。

しかし、地下の浅いところで起き、地震が大変に激しい揺れに見舞われた。大きな被害をだしたクライストチャーチ付近では、局地的に、日本の震度にして6強ほどの激しい揺れになったと見られる。クライストチャーチは38万人の都市で観光地としても知られ、日本人も数多く滞在していた。

被害がでている建物はレンガ造りの古い教会やビルなど、地震に弱い構造になっているようにみえる。ニュージーランドは地震対策の進んでいる国だということだが、古い建物の中には、レンガを積み重ねるだけのものがあったようで、鉄筋などが十分に入っていないと地震の揺れで一気に崩れてしまう。

地震は世界中でまんべんなく起きているわけではない。地球の表面は10数枚のプレートと呼ばれる岩盤で覆われていて、その境界付近で多くの地震が起きる。日本やニュージーランド周辺にプレートの境界がある。

1990年から2000年までに起きたマグニチュード4以上の地震をみると、ニュージーランドは日本と同じように地震が多いことがわかります。ニュージーランドのクライストチャーチ付近では、去年の9月にもマグニチュード7.0の大きな地震が起きている。

同じように地震の多い日本にとって、この地震は人ごとではンない。今回の地震と同じ規模の地震は、日本のどこで、いつ起きてもおかしくない。防災意識を高めると共に、地震に強い建物にしておくことの大切さを痛感した。

「無」の心

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1231 毎日、普通に生活していてもそれでも時々、心に風が吹き荒れて カサカサに乾燥して、心がひび割れしそうになる。

混乱した世の中、ギクシャクしてしまった人間関係、自分の居場所がない社会で、時間と共に人の眼を気にしたり、人の意見に合わせ、自分を殺して悩んんだりして、心身が萎えてしまうことが多かった。やっと気づいた。

自分がやりたいと思ったことを恥じも外聞もなしに、没頭出来るようになることの「幸せ」。もちろん、好き放題にするという事は失敗や恥をかくというリスクはあるが・・・。

でも、その繰り返しをしてるうちに自分に肩の力が入りすぎていたのだな~って気がついたとき、何でも、「無」の状態で行わなければいけない。

この「無」になるって座禅を組むことでも何でもない。要は答えを求めない事だ。凡人は何かをするときに絶対に後先を考えて行動してしまう。そして、そこに良くも悪くも答えが出ないと、うろたえるのが人間の弱さである。

でも、答えがでないのが、そのときの答えだと捕らえることができれば、気苦労はなくなるって実体験で分かった。人間て考えすぎて息詰まると絶対に、もういいや~って手を離す瞬間があるんだけれど、その瞬間って言うのが、正に「無」の心境というのだろう。

何を思って「無」になろうとしてるのか分からないが今、悩んでる事があるのなら徹底的に悩むことだ。悩みつかれた後には、台風のあとの晴天のような、清々しい気持ちに、きっとなれる。

2011年2月23日 (水)

菜の花

1 菜の花や 土手の上で タクト振る

最近、土手がある風景をみることがない。私の農業を営んでる友達の家の裏庭にあるのを発見した。南傾斜で高さが5メートルぐらいあって、土手の上は竹藪である。

土手には茅が一面に枯葉で敷きつめられていた。その中腹に一足早く菜の花が暖かい陽射しを受けて咲いていた。

まるで楽団の指揮者のように、「もう春が来たんだよ!」と言いたげに風に揺らいでいた。

政局より予算審議を!

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08tubaki_takegaki11 子供達(国民)がお腹を空かし泣いているのにほったらかしで、夫の浮気問題を、掴み合いになって、何時までも終らない夫婦喧嘩、のような国会風景である。

日本経団連の米倉弘昌会長は「給料泥棒」と酷評した。
自民党が早期に衆院解散に追い込む構えを強めていることに対し、「国民の生活や国益を無視した行動。予算関連法案の審議を尽くしたうえで、政局化するならすればいい」と述べ、予算成立を優先すべきだとの考えを改めて強調した。

私もその通りだと思う。「国民」のことを全く考えていない。予算は成立させるのは、待ったなしである。予算の審議は何はさておき、最優先させて、国民生活直接影響があることは承知の上での政局争いでは、国民はたまったものではない。

国民のために何も仕事をしていない。民主党の小沢一郎元代表に近い衆院議員16人の会派離脱の動きは、予算案や関連法案の審議が進み、これをどうしても通さなければならない時期に、与党の一員として無責任極まりない行動だ。

予算案ならびに予算関連法案の審議を促進し、早期に成立させることが、国民生活の安定・向上、国益にかなうことを忘れては困る。

いま政治には、山積する政策課題を処理していく姿勢が求められている。民主党は、ガバナンスを強化するとともに、野党にも協力を求め、税・財政・社会保障制度の一体改革の成案をできるだけ早く国民に示してほしい。

2011年2月22日 (火)

上野にパンダ来る

08take_yuki21 上野動物公園に最初にきたパンダは1972年のカンカンとランラン来た、子供を連れて家族で見に行った。5年後の1977年(昭和52年)だったと思う。

まだパンダ人気は、大変なもので檻の前を行列どころかラッシュアワー電車並みで後から後から人に押されて見るどころではなかった。それでも人の隙間から、一瞬であるが部屋の奥で白と黒のパンだの寝ている後ろ姿が見えた。

係りの人の「立ち止まらないでください」と叫ぶかん高い声が印象に残った。はじかれて出てきて、何しに来たのか分からないと今でも頭に残っている。

そのパンダが、昨日22日の夜、2頭が中国から来日した。11時30分ごろに上野動物園に運び込むトラックを見に、マスコミや見物が殺到。すごい歓迎ぶりだ。

ところで、レンタルパンダを招聘した本来の(?)目的は「繁殖のための共同研究」だ。2頭は人間の目論み通り、子を増やしてくれるのだろうか。しかし、それは客を増やすことよりは難しそうだ。

日本では和歌山県白浜町のテーマパーク アドベンチャーワールドと兵庫神戸市立動物園にいる。和歌山では昨年双子が誕生した。同園では通算12頭で、中国本土以外の施設では最高の実績だ。

専門家、「恋の季節が1年に1度しかないので、パンダの繁殖は難しい」と言う。ちなみにパンダは「相手が気に入ると『メー』と羊のような声を出す」。反対に気に入らないときは「ワン」と犬のような声を出すそうだ。

パンダ通といわれている黒柳徹子さんは、「2008年5月に中国四川省で大きな地震でパンダを管理する場所が大きな損害を受けて、復旧にいまだに掛かっているそうだ。世界的稀少なパンダを保護するには相当な経費がかかるというから、仕方がないのではないか」と話していたが・・・。

年間8000万円以上で10年契約だそうだ。一日に餌代が15000円かかるという。竹を好む動物であるが新鮮な竹を確保するということでこれも仕方がないか・・・。

幸せとは

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07rose_ame21_2 「幸せとは」を考えてみた。
幸せとは、夫や妻や恋人とか相手に求めて得られるものではなく、自分が置かれている環境に求めて得られるものではない。

幸せとは、自分の心が感じるもの。自分の心のありかたや状態のこと。他人やまわりに求めるのではなく、自分の心に求めねばならない。自分が、どんな状況にあっても、心が安らぎ充実感で満たされている状態であれば、それが幸せなのだ。

自分が自分を不幸にし、自分が自分を幸福にするだけのことで、他人に依存しててはいけないことなのだ。人によって幸せの尺度は違うが、他の人のためにお役にたち、喜びを与えることが出来るということがいつの時代でも、どこに暮らしても不変的な間違いのない最も幸せなことだ。

健康を守り、勉強し、働き、修行をするのも、より多くの人に最大限に喜んでもらうための力を養うためである。お金も知識も能力もそれ自体には何の価値もない。それらを自分や他の人々のために活かして、はじめてその価値が発揮できる。

相手の心になって共に悩み、共に苦しみ、共に涙を流し、また他と共に喜ぶ。そして世のため人のために、その身になって尽くすことをいう。欲をかいたり、他人を恨んだり、自己中心的な毎日を送っている。これではとても他の人のお役に立ち、喜びを与えられることなどできない。 

2011年2月21日 (月)

艱難辛苦を耐えて命の尊さを知る

080326topics1_2  お金や物を失った時には、とても残念に思うけれども、 そのうちあきらめもつく、また頑張れば取り戻すこともできる。

けれども、命に係るような衝撃の体験をすると、頭での記憶は年月とともに薄らいでいくが、その体験は身にしみついて、覚えていますから消え去ることはない。

深い心の傷、躰が覚えた経験は、その後の生き方、考え方に影響していく、人間の最大の悲しみは、離別である。なかでも死に別れで、身近な人、特に、夫婦での死に別れや、親子との死別は、この上もない悲しみである。

だが、その深い悲しみの体験によって命ということ、生きていることの喜び幸せが、よく分かるようになる。悲しみ、苦しみを経験し、それに耐えて、のり越えることによって、はじめて、 生きること、 命ある喜び、ほんとうの幸せが、よく分かるようになる。

今日知り合いの家を訪問したら、河津桜でしょうか、綺麗に咲いた桜のが満開に咲いていた。まだまだ、寒い日が続くが、日差し高くなり、日照も伸びて河津桜は、自然の恵みでこの時期に咲くのだと思った。そして咲き終わったら、枝も幹も一段と太くなって成長し来年花を咲かすのだ。

桜は製紙会社によって、組織培養による植林用クローン苗の生産技術を開発され、挿し木で増やせるそうだ。そして、誰からも花を咲かし子孫を残そうとする桜本来のDNAを兼ね備えている。だから、綺麗な花を咲かせることは、桜自体が持っているDNA(能力)である。

寒く、乾燥にも耐えてしっかり踏ん張って来られて初めて綺麗な花が咲き、実をつけて繁殖できる。多くの植物も、花を咲かせるまで大変な苦労の結果である。人も艱難辛苦を耐えて命の尊さを知るのだ。

ジャスミン革命

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ジャスミン革命とは=チュニジアで23年間続いた強権的なベンアリ政権を崩壊させた民衆蜂起による政変。チュニジアを代表する花ジャスミンにちなみ、インターネット上で呼ばれ始めた。反政府デモはエジプトやリビア・イエメンなど他の中東諸国に飛び火した。ペルシャ湾沿岸の小国バレーンでも、機関銃による弾圧がある?

 

そんな中東の緊迫した情勢を中国でも、インターネット上で北京や上海など全国13の都市でのデモが呼びかけられたが、中国政府の取締りで、大きな混乱はなかったという。しかし「中国ジャスミン革命」は、生活水準の向上や共産党による一党支配と、報道の自由の確保、さらに民主化などを訴えは予断を許さない。

 

ネット上では今後も毎週日曜にデモを呼びかけているそうだ。胡錦涛国家主席は先に共産党の幹部に対し、インターネットの管理を強化するよう指示しており、中東各国の動きが中国国内に影響を及ぼすことがないよう警戒を強めている。

 

中国はGDP世界第2位となったが、1人当たりGDPを見ると、中国は先進国の水準よりずっと低い。国際通貨基金(IMF)の最新データによると、2009年の中国の1人当たりGDPは3566ドルで(日本の10分1)世界99位で、発展途上国である。当然貧富の差など市民の改革意識は収まらないだろう。

 

産油国が集まる中東諸国の混乱とイスラム教の宗派(スンニン・シーア)の指導権争い・欧米諸国との関係など、今後の世界の動きは、世界経済に与える影響は計り知れない。

 

日本の政情不安と、世界の民主化の流れを見ていると毎日が気が抜けない「ジャスミン革命」だ。

2011年2月20日 (日)

夕時雨

Mejiro11 便りなき 子供ら思えば 夕時雨

今日は朝から厚い雲に覆われた一日だった。正月に来なかった孫・子供気になって、何度か電話を入れたのだが、留守らしい。

便りのないことが、元気なことかも知れないが、3ヶ月も顔を見ていないと心配するもである。

とうとう夕方ポツポツと雨が降り出した。

日本相撲協会の改革問題

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Dsc_7019s11 日本相撲協会が一連の「八百長問題」を、「無気力相撲」と表現して八百長と言う言葉は使っていない。400年?という伝統の持つ相撲であるが、放駒理事長は、歴史上最大の汚点であると述べた。

お金のやり取りが、メールでハッキリしているのだから、無気力相撲とは違うと思うのだが・・・。一番の認識改革は、日本の歴史の変遷があって、日本は近代国家・グローバル化した社会になった。そのため外国人力士を多く受け入れ、最近は日本力士の横綱が生まれていない。

こういう国際感覚も必要な時代に、「メール」という機器を使っての取引がなされ、問題が発覚したのだ。こういう時代感覚のズレが大きいと思う。

だから、外部有識者による「ガバナンスの整備に関する独立委員会」が協会に出した。今前の内容と全く違う感覚の改革案である。たぶん日本相撲協会の現理事役員も、驚きだろう。

それは、現日本社会の感覚で相撲を見たいという願いをこめた内容であり、存続し長く相撲協会を愛していきたいと、国民感覚でのサゼッションだ。 

現在12人いる理事は力士出身が10人を占めるが、約半数を学識経験者など外部から登用する。部屋数は50から30程度に削減した上で、協会組織の一部とし、運営を師匠に委託する契約を結ぶ。時に億単位で売買される年寄名跡は金銭授受を伴う譲渡を禁じる。等々だ。

協会が目指す新公益法人への移行に向けて、これだけは満たしておかねば公益認定は難しい、としている。 求めたのは、不祥事の連鎖を生んできた角界の閉鎖的な構造の変革と、協会の機能強化だ。

協会が伝統の「国技」として大相撲を存続させたいなら、7カ月に及ぶ議論の末にまとめられた改革案は、先延ばしは許されない。どれも急いで検討すべき課題だ。

2011年2月19日 (土)

雨一番

386351 久々に 雨が降るなり 春の宵

36日間乾燥注意報が続いた東京地方、春を告げる雪が降った。そして一昨日は大雨が降った。「雨一番」という言葉があるらしい。立春以後、「初めて雪をまじえずに雨だけが降った日」、それが「雨一番」だという北海道で使うらしい。

もちろん、「雨一番」の後にはまた雪の降ることがある。だから、「雨二番」「雨三番」と続いて春がやってくるというものだ。

暖かくなる前兆だから、この時期に雨と言うとなんだか嬉しい。季節がめぐりめぐっていることに、新鮮さを覚える。

穀物価格が高騰

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05detohama11 昨日のNHKニュースで、「穀物10年で3割高になる」という。農林水産省は、世界の食料需給の見通しをまとめ、この中で、小麦などの穀物価格は新興国の需要拡大で物価の変動を除いた実質で2020年には、おととしまでの3年間の平均に比べて3%から14%上昇する。

2020年の世界の穀物価格は、▽トウモロコシが14%、▽大豆が12%、▽小麦が5%、▽コメが3%、それぞれ上昇。また、畜産物は▽鶏肉が14%、▽豚肉が11%、▽牛肉が7%上昇すると予測している。

世界の食料価格は危険なレベルにあると世界銀行のゼーリック総裁が強い危機感を表明した。価格高騰の背景には、干ばつなど気象に起因する農作物の生産減少や、多数の人口を抱えた新興国の需要増がある。

しかしそれだけの理由ではない。食料や石油などを国際的に取引する商品市場に、高い利回りを狙った投機資金が流入し、価格変動を増幅させている面があると思う。 

そうした投機資金の管理強化を通じて高騰の抑制を図りる必要がある。金融緩和というマネーの蛇口は全開のまま、特定の市場への流入だけ制限しても抜本的な解決にはならない。

アメリカ連邦準備制度理事会をはじめ先進国の中央銀行は、大規模な金融緩和の見直しに向けた検討を始める時にきている。急激な物価上昇は暴動など社会不安につながることがある。影響は世界経済全体に及ぶ危険性がある。

最近は先進国でも景気が予想以上の回復を見せているようだが、物価上昇はもはや新興国だけの問題ではない。G20会議がフランスで始まったが、インフレの回避で共同歩調をとらねばならない。

日本は食料の需給率40パーセントで輸入に頼ざるを得ないのだから、食料のインフレが怖い。

2011年2月18日 (金)

気分を一新させたい

Sira71 昨夜から、朝方まで、2月にしては大雨で、雨戸を叩くほど激しかったが、朝まで残った。天気予報どおりで、「雨のち晴れ」て9時には太陽が眩しい。富士山の頂上に雲のが風で乱れ架っていた。こういう富士の姿は平野部でも風は強いとされる。

毎月一回の脳神経外科医院に診察にでかけたが、気になる左足の痺れ(先だって歩いていて急になった)ことを医師に話したらどうも腰からきているようだという。しばらく歩く(15000歩)を半分ぐらいにして様子みよう。

この時期、雪になることが多いのだが、雨でくっきり晴れて、心身ともスッキリした気分になりたいところだ。そして、今の民主党政権のように、あっちこっち傷だらけは、私の年老い身体のようだと比喩していまい、落ち込み気分を一新させたい。

若田さん船長に 

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Kgk07091400111 日本人として初めて船長に就任が決まった。宇宙飛行士の若田光一さんは会見で「『和の心』を大切にしてチームをまとめたい」と笑顔が印象的だった。誰からも好かれる厚い人望と抜群の技術、宇宙飛行士としての13年間の豊富な経験を評価されて抜てきされた。

この20年で地球周回軌道を飛行した日本人宇宙飛行士は全部で8人だ。日本のロケット技術のレベルの高さ、補給機「こうのとり」1・2号機の成功などが評価されたのだという。

開発はISSから地上に物資を持ち帰る「回収型HTV」の計画も進められているそうだ。これに生命維持機能を追加できれば、有人飛行に結びつく。

限られた空間での長い滞在は、飛行士は技術力は勿論、「協調性」も大事なファクターと言うが、全く素人の私でも理解できる。

日本人が宇宙という特別な国際協力の場でリーダーシップを発揮することは日本の存在感を高めることにもつながる。経験も、「和の心」も生かし、無事任務を遂行してほしい。

これまで、若田さんと野口聡一さんが長期滞在を経験しており、今年は古川聡さんが、来年には星出彰彦さんが長期滞在することも決まっている。

昨年の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還や、今回の若田さんのケースのように、宇宙開発には夢があり、明るい話題がある。

2011年2月17日 (木)

中一ギャップ

282_field111 「中一ギャップ」・・・もう子育ても、遠い過去になった。孫達は、その対象なって来たが・・・小学校で親は教育は過度な神経を使ってしまうから、悩みは多いのかも知れない。そもそも私は「中一ギャップ」という言葉は知らなかった。

辞書によると・・・小学生から中学1年生になったとたん、学習や生活の変化になじめずに不登校となったり、いじめが急増するという現象。新潟県教育委員会が名づけたそうだ。

今朝のNHKのwebに、不登校は全国で、中学1年生はおよそ2万2000人いて、中学入学後の学校生活になじめず不登校になっている。東京の杉並区では、中学入学後出来るだけ早い時期に合宿をして、コミにケーションを深め不登校防止に努めるという。

学校へ行ってもクラスになじめない。いじめやからかいも怖い。そんな重苦しい思いを抱えたまま登校しても、勉強など頭に入るわけがない。しかし、公立学校は黒板の位置。天井の蛍光灯の明るさ、教卓の高さにいたるまで文部省の通達で決められているらしい。

小学校時より広範囲な、生徒の出会いとなる。家庭環境・社会環境などの違いで色々な性格の人に出会う。いい子だって沢山いるし、「いい子」と言われないような子もたまたま不登校だったり、ある一面だけ見られて「ロクな子じゃない」なんて言われているだけかもしれないし・・・そう取り越し苦労は不要だ。

ある中学校の教師は・・・「スムーズに中学生活に移行するかは、お子さん次第です。親ができることは遅刻しないよう、しっかり朝起こし、朝ご飯を食べさせ、過剰に干渉せず、適度に学校のことを聞いてあげること。ご心配ならPTA役員などされれば、自然に学校の様子がわかると思いますよ。」・・・というその通りと思う。

「3ない議会」を考える

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Ume000341 今年4月には地方統一選挙がある。【全国の地方議会】実態が分かった、有権者も考えさせられる「3ない議会」である。朝日新聞が1月に全国自冶体議会にアンケートの結果・・・

「丸のみ」50%・「無提案」91%・「非公開」84%・首長の提出した議案をそのままで、政策条例が殆どと言う。「議会」の実態である。

2/12付けasahi comより・・・全国の地方議会のうち、首長が提出した議案をこの4年間で一本も修正や否決していない「丸のみ」議会は50%、議員提案の政策条例が一つもない「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明らかにしない「非公開」議会が84%――。朝日新聞の全国自治体議会アンケートで、こんな議会のていたらくがはっきりした。いずれにも当てはまる「3ない議会」は全体の3分の1に及ぶ。

「修正しない」「提案しない」「公開しない」の議会の軽さがなんとも情けない。首長との良好な関係の維持するばかりで、住民とは向き合おうとしない議員たちの姿がある。

議員の怠慢?。地方分権一括法(2000年)で、自治体の仕事の大半は議会が決定権を握るようになって、行政への口利き役をしていれば仕事をしたと言われた時代ではない。

また、有権者の無関心だ。住民はあまりにも議会に関心が薄い結果だ。ほとんどの人は、自治体議会の議長を知らない?住民が主権者として地域の政治に関心を持たなければ・・・

地元が「3ない議会」かどうかを確かめてみることだ。気になる議案への議員個人の賛否が公表されているなら見比べるくらい、議会に関心を持つことだ。

2011年2月16日 (水)

花は毎年咲くが・・・

191104011 寒暖の差は、この時期(春先)に感じる事が多い。低気圧と高気圧が交互に、西から偏西風に乗ってやってくる。太陽が一段と高くなり、太平洋の高気圧が勢力を増すことにも関係があるようだ。

三寒四温で徐々に暖かくなっていく、しかし毎年違う。すべて初めて(未知)の突き進む、地球という星で、想像も出来ない果てしない旅の途中である。

暖かくなると、片倉城跡公園にも桜が咲くが、今年も咲くだろう。でも、同じ桜の花ではない。「今年だけの花」だ。自然に生きている生物すべてが初めて味あう春になるのだ。

人も去年と同じ顔をしていると思って見えるが、毎年違っている。「お変わりありませんか」と言う挨拶で「お蔭様で(ありません)」との会話を聞くが・・・そうではないのだ?

みんな同じように見えるがみんな違う。太陽の周りを365日かけて回っている地球も、地球の周りを28日かけて、回っている月も少しずつ時間がずれているのだ。

花も・感情も・他人も・自分自身もどんどん新しい未来へ命ある限り、突き進んで行くのが分からない。同じに見えるくらいスピードで・・・。じんわりじんわり変化している。

無常この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないということだ。  

    

  

    

   

   

抑止力は方便とは・・・

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06oga_toga11 鳩山前首相は、在任中の昨年5月に沖縄を訪問した際に、「学べば学ぶにつけて、海兵隊のみならず、 沖縄に存在する米軍全体の中で抑止力が維持できるとの思いに至った」と記者団に語った経緯がある。

これに関連し、沖縄タイムスに13日付けに、鳩山氏がインタビューで「『抑止力』は方便だった、と説明した」とする記事を掲載。鳩山氏は14日、東京都内で記者団に「(自ら)『方便だ』と言ったわけじゃない」と釈明した。

しかし、県外移設を断念した理由が「後付け」だったとも取れる内容だけに、上京中の同県の儀間光男浦添市長は14日、「よくぞ基地問題の裏をばらしてくれた」と、皮肉を込めて批判。「県外・国外移設」の主張を譲らず、鳩山内閣の閣僚を罷免された社民党の福島党首は「私は方便でクビになったのか。本当にひどい」と憤った。

過去の失言?問題もあり、現民主党政権も菅直人首相の足を引っ張る発言となったことは否めない。しかし、鳩山由紀夫前首相は、自分でも言っているように訳の分からぬ「宇宙人」だ。そんなこと自分のことでどうでもいいが、公人の約束発言から、沖縄県民を愚弄するにも酷すぎる。

今回、改めて鳩山氏の稚拙な政権運営の実態が浮き彫りとなった。氏、個人の資質に最大の問題があることは言うまでもない。しかし、そこに民主党政権の抱える構造的な欠陥が凝縮して表れている側面も否定できない。

2011年2月15日 (火)

雪の中に千両の実

08nangodake_sandou11 千両の 紅い実あり 雪の中

春めいてきているとはいえ、唐突な雪があったり、一年のなかでもっとも寒さに敏感になる頃である。東京では昨夜は大雪?になって、転倒足を折るという人が10何人も出たという。交通は運行がストップ・遅延があいつた。

東京は雪に弱いの分かっているが、これほどまでに弱いとは・・・雪国の人たちは何と見ているだろう?

東京地方の雪の降る時期は大体春先に多い。低気圧が太平洋を西から東に次から次にやってきて、春が深まっていくのだ。

昨夜の雪で庭の千両の実が落ちて、雪の奥深く紅い実が見えた。その雪も今日の天気で解けてしまうだろう。

エジプト沈静化から・・・

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Sira61 産油国での政情不安はエジプト沈静化で収まったことが好感されて、14日東京株式市場では9カ月半ぶり高値となった。日経平均株価は3営業日ぶりに反発し、終値119円だった。

ムバラク大統領の辞任を受けたエジプト情勢の落ち着きや米株高の継続、外国為替市場での円相場の下落など、外部環境の改善を受けて買い安心感が広がった。日経平均は2010年4月30日以来の高値で終えた。

しかし、エジプトが沈静化したとしても、チュニジアに始まった政変は中東諸国に影響は大きい。ヨルダンや、シリヤなど不安定化が増して来ている。エジプトのムバラク辞任したことに、欧米や日本の多くの人が、エジプトがリベラルな民主主義に転換して欧米化したことは評価する一方、また新たな不安材料出て来る。

欧米人が嫌うイスラム主義が西アジアを席巻する可能性の方が高い。米国のマスコミや右派は、イスラム同胞団を大したことない勢力と分析しているそうだ。

だが、03年のイラク侵攻の前後に、彼らが「アメリカがフセイン政権を倒すだけで、イラクはリベラルな民主体制になっていく。イラクがイスラム主義化することはない。」と言っていた。

それと同様で、それは、大きな間違いである。アメリカが名指しでテロの指導者ウサマ・ビンラーディンは捕まらない。アメリカはテロの脅威に怯えている。

中東への関心は、中国・ロシア・アメリカをはじめ世界の大国が資本を投入し石油の利権の争奪戦の激しさは増すだろう。世界は、イスラム主義国家と共存を模索する時代になってきたのだと思う。

世界の資源国の中東の国々の動きが、世界経済が左右される。日本の経済も当然影響は避けられない。 

2011年2月14日 (月)

濡れ手に粟・・・お金の価値観

15401 先だって、東京目黒でお年寄り夫婦を殺傷事件があった。福島県から高速バスに乗って、娘の病気の治療費が欲しくて、65歳代の男が逮捕された。

200キロ離れた福島から東京に来て、中目黒の住宅街に来ればお金持ちの人が多いだろうと目をつけ、大原さん夫婦宅に押し入り旦那さんを殺し、奥さんに重症を負わせた事件があった。(防犯カメラの偉業を知ったところだが・・・)

殺人事件は連日ニュースに暇がないが、なぜにこうも多いか考えさせられる。お金に絡む事件でもある。最近どうもお金の価値観が違った人たち多すぎる気がして仕方がない。

お金の価値はつくられるもである。額に汗して手にするものである。宝くじや、今日のようなJRA史上最高配当馬券が小倉競馬場で飛び出した、1950万7010円の払戻金を記録など滅多にない。こうなるとお金の価値は違ってくる。

昔は、社会が教えてくれた。サービス産業や情報産業が今ほど発達していなかった時代には、若者のアルバイトといえば建設業や製造業などの手伝いだった。欲しいものを手に入れるためには土や油にまみれてコツコツと働くしかなかったから、経済活動に現実感が伴っていた。

しかしバブル経済以降、土地や株の売買は投資マネーの動きとして一般化し、ネットによるバーチャルな商売も幅を利かせ、一夜にして巨万の富を得る「勝ち組」がいる一方、破産に追い込まれる「負け組」もある。

億単位のお金の動きには人間の体温は全く感じられない、人の目には見えないところで、冷たくてどす黒い”おかね”の固まりが漆黒の闇に飛び交っている。

以前は、働くことを通して人は社会的に共生していると、実感していたから、ものづくりにも技と心と人の温もりがあった。ものの売り買いにも心のふれあいがあった、けれども経済合理性のもとにこの価値観さえも否定され、働くことの意味やお金のありがたさが見失われてしまった。

人は生きるために働き、働くことによって暮らしていける。しかし働くことはコストの一つにしか値しないとなると、人は生きる意味すら見失ってしまう、人情やいたわり、やさしさの心がなくなり、すべてがお金で計られる世の中になってしまったのだろうか・・・、

お金絡みの一連の事件や出来事が多発するのは、社会のゆがみの深刻さの現れでもある。「濡れ手に粟」を望む?人間が多過ぎる。

沈丁花が紅く染まった

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08nangodake_sandou11 沈丁の 蕾の紅く 染まりけり

我が家の沈丁花も昨日の雪を被ってしまたが、雪は直ぐ解けて紅い蕾をのぞかせていた。今日は、午後から雨になるという、春は一雨ごとに暖かさを増すといわれる。

鹿児島・宮崎の方達は大変心配であるが、霧島連山の新燃岳の周辺では、14日未明から昼ごろにかけて、多いところで1時間に5ミリの雨が降る見込みという予報だ。

気象庁は、多くの火山灰が降った地域では土石流や泥流が起きやすいことから、今後の雨の降り方に注意するよう呼びかけている。何とか無事を祈るばかりである。

今日2月14日はバレンタインデーである。街では、バレンタインデーで、スーパーの店頭にチョコレートが山積みされている。日本人の何でも受け入れるという人の良さかも知れないが・・・。また、メーカー・小売業の商魂たくましいというか、このときに合わせ宣伝し、売り込みに懸命である。

元々キリスト教の行事?だった風習だったと思われるが、仏教の日本人は、寛大な心?があるようだが、バレンタインで喜べない人達もいるという事をちょっと頭に入れて欲しい。

2011年2月13日 (日)

人間の老化現象

05sikotuko31 人間は、出生に始まり人生のすべての段階を通じて続き、中年期、晩年期には多くの身体機能が衰える。生まれた時から老化に向けて進む自然な変化である。

人が何歳で「高齢」となるかは明確ではない。日本では、定年が慣習的に50歳・55歳・60歳65歳と延びている。これは産業社会に暮らす人が仕事から引退する一般的な年齢であるためで、平均寿命の延びと合わせて年齢も時代によって変化している。

老化には、(1)老衰、(2)病気や機能障害が複合している老化(3)体を衰弱させるような病気や障害を伴わずに老化する過程。3つの側面がある。

老衰とは、本人が選択したライフスタイルに加え、生物学的、心理的、環境的要因が原因となって年齢とともに生じるさまざまな変化のことである。

体を衰弱させるような病気や障害を伴わずに老化した人は、活動的で健康的な生活を死ぬ直前まで維持し、人には天寿を全うしたと言われることだろう。そういう人は幸せな人生を全うした人間だ。

誰もが願っている「ピンピンコロリ」という死に方であるが、「生・老・病・死」の人間の一生は、痛み・苦しみの人生である。なかなか思うようにいかない。死に方は予想できないのが普通である。

70歳を過ぎて最近思うのは、足の痛いのが直ったら肩が痛くなった。そして耳鳴りが酷くなった。年をとるということは、こういうことかと分かったような気がする。しかし、亡くなった義母がいっていたが、「年をとるということは辛いことが多いものだ」「早くお迎えが来ないかなぁー」が、ちょっと分かった。

いずれにしても、始めての経験ばかりの人生、不安はある。しかし、誰もが通る道、後戻りは出来ない「行くしかない!」人生だ。

一日二食・三食とダイエット

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1231 電気のなかった昔の生活は、日が登り明るくなったら起きて、暗くなった寝るという、一日を過ごしていた。

食事は、日本人はもともと朝夕2食が基本で、それに昼食を加えた1日3食が国民全体に浸透したのは江戸時代以降といわれている。

相撲の力士の場合は、午前中は朝ご飯食べずに、稽古して、昼食をとり、昼寝&自由時間、午後は、掃除や洗濯をして夕食後、トレーニング、自由時間、就寝。というのが一般的だそうだ。

しかし、1日何食だろうが、体調に支障が出なければ問題ない気もする。そもそもこの「1日3食」という習慣は昔から常識だったのだろうか。平安時代中期の随筆『枕草子』には当時「1日2食」が一般的だった“証拠”が記されているという。(世界の食文化に関する多くの著書をもつ石毛直道氏)

日本全国で3食が定着していった理由は?
「有力な説は、江戸時代にロウソクが庶民に普及して夜の生活が長くなったこと。さらに、明治時代の産業社会化で労働強化がなされたことが挙げられます。労働時間が必然的に長くなり、合間に昼休憩がもうけられるようになったため、朝昼晩の3食化が進んだのではないでしょうか」

世界的に3食化が浸透したのも近代になってから。欧米で確立したオフィスでの執務時間や学校教育が、植民地など各地に伝わったことが原因に挙げられるという。

力士は、体重を増やし、体力つけるために、朝稽古しお腹を空かし、肉体的に危機意識を持たせ昼食・夕食に人一倍量を食べるようにするというのである。

ダイエットで一日2食は、かえって逆効果?基本は一日3食をしっかり食べる。(但し量を調整)間食はしないことで体重目標が達成できる。(私も挑戦中である。)忘れてはいけないのは体力を落とさない意味で、適度の運動だ。

2011年2月12日 (土)

エジプトに新たな歴史が始まる

Egypta20030360840250m1 エジプトのムバラク政権が、とうとう崩壊した。
エジプトは紀元前6000年から今日至るまで歴史は長い・・・アラブ世界の支配641~1517・オスマン帝国の支配1517~1882・イギリス支配1882~1992・エジプト王国1922~1952・エジプト共和国1952からエジプト人によるエジプトが2000年ぶりに誕生から現在に・・・。

ナセル大統領は軍人から、そして30年も政権を維持してきたムバラク大統領も軍人上がりだ。その大統領も民衆の力で、今日で終わりとなった。また新しい大統領が選ばれるだろうが、アラブの国々はイスラム教の国家が多い。

イラク攻撃の戦火が終息したが、この地に生きる人々の心は、容易に癒されず、消えることのない深い憎しみの傷跡がいつまでも残るだろう。イスラムの社会では、民族と宗教のちがいにおいて、民主主義の勝利だといっても、西側の治世システムは馴染まないことが多いだろう。

この地を故郷として生きる人々が、自らの選択において、平和な故郷を復興されるよう、国連を中心にして、さまざまな利権を絡めることなく支援しなければ、過ちを繰り返すことになる。とりわけ石油資源と、アラブの人々の意識構造について、国際社会の慎重な対応が求められる。

ナイル川の静かな流れは変らない。地中海と紅海を結ぶスエズ運河を支配しているエジプトである。世界と調和とエジプトのみならず、アラブの国々が、新たな歴史作りが始まる。新たな道を歩き出すエジプトの若者や子供たちが、夢多き未来を語れる日が早く来ることを共に祈りたい。


「プロボノ」という言葉から・・・

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08muhyo_omono_tyokai11 「プロボノ」という言葉から・・・
「町の再生」「地域の活性化」「町おこし」などの言葉を耳にするが、かこ声だけで「無縁社会」『核家族化」と言う言葉が多く聞かれるようになった。

わが町片倉町(八王子市)でも、ご他聞もれず同じで、このままでは10年後いや、5年後は一体どうなるのだろう?と言う心配を近状の方と話し合う・・・が具体的に何も出来ない。

私は、この地域で生まれ・育って現在に至るが、その歴史を振り返って見ると、地域開発が進められ、山・川改修され、田畑がなくなりすっかり環境は良くも悪くも変ってしまった。住む人間も外部からの転入者の割合が多くなって、地域の本来の伝統文化などに対する考え方もちがってきた。

都市近郊という状況から、やもうえないかも知れないが、何とか地域の活性化が出来ないか考えているが、地域に住んでいて、現役を引退され、専門のノウハウをもった方が多くいる筈である。その方達に声をかけ、指導してもらい、「町に元気を取り戻す」ということだ。

警察などは・・・防犯・交通安全 介護師・・・介護の仕方 建設関係・・・町会施設など今までのお仕事をされ得た技術・資格をもう一度地域に役立てて頂くという考えである。

最近「プロボノ」という言葉を知った。ウィキペディア・・・プロボノとはラテン語で「公共善のために」を意味するpro bono publicoの略で、最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指した。弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などが含まれる。現在も弁護士の業界において、もっとも浸透している。

こういった精神を取り入れ、「無縁化社会」がますます進んで行き先は、限界集落?にならないように・・・伝統文化に新しい文化を取り入れて、子供からお年寄りまで参加で「明るい町・地域」作りを急がねばならない。

2011年2月11日 (金)

「国民生活が第一」は何処へ

06oga_toga11 自民党政権から、民主党政権に託した日本国民である。自民党から抜け出し、新進党・民主党の代表選挙に出馬した経歴を持つ超ベテラン政治家小沢一郎元民主党代表と「金と政治」の問題で、菅直人首相も、日夜頭を痛めている。

何も知らない人間が、軽々に言えないが、こんな、個人的な?問題で政治が滞っては、日本国民はたまらない。これだけ大騒ぎをしている原因はいろいろあると思うが、小沢氏の強制起訴を受けているのだ。

それがいいのか悪いのか裁判で判決が出るだろうが、国会の重要な審議まで 影響が出るという状態が続いている。これは日本国民にとって不幸だ。小沢氏の「僕には夢がある」のキャチフレーズ?民主党のモットーは「国民生活が第一」は影が薄くなったようだ。

昨日菅首相と2度目の会談を終えたが、自分ではけじめをつけないというのなら、党としてきっちりとけじめをつけさせる必要がある。菅直人首相と民主党執行部の覚悟が必要だ。

小沢氏の強制起訴を受け、首相は裁判が終わるまでの間、自発的な離党を求めたが、小沢氏は拒否した。衆院政治倫理審査会への出席要請にも、消極的である。そして、法的な責任とは異なる政治的、道義的な重い責任があると思うがその認識ない。

小沢氏はまた、事実関係は裁判で明らかになると繰り返し主張している。しかし、司法の場での真相解明と、国会議員として説明責任を果たすことは全く別だ。1年以上にわたり、国会での説明を拒み続けてきた小沢氏の不誠実な態度こそが、国民の政治不信を高めているのではないのかと思う。

 

他人を思いやることが幸せになれる

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08tubaki_takegaki11 隣の奥さんがもう直ぐおめでたという。
誰でも、生まれた時には、喜びの祝福の言葉で迎えられたと思う。だが、うまれた時のことなど、誰も知らない、産声を出した自分を知らない、そしてまた、自分の死を自分で知ることもなく、夢の世界へ戻っていく・・・

生まれた時のことを知らない自分、自分の死を知ることがない自分がある。 成長し物心がついてくるのにつれて、自分と他人という認識をするようになると、自分ひとりのせまい考えでものを見たり判断するようになる。また、自分の姿や生き方を気にするようになる。

自分のあらゆるこだわり・執着心が、自分で自分自身を苦しめ悩ませる、これが煩悩だ。苦しみと悩の根源である。いつも満たされない思いが不安な心・行動となってしまう・・・

生きる目標が持てない、人が信じられない、何のために生きているのかを相談する人もいない。苦しみと悩の根源である自分自身の煩悩を良く知り、煩悩を鎮めるかが、幸せの分かれ道になる。

この世に生を受けたことこそ最高の幸せである。人の一生は儚い夢のようなものだが、本当の自分・自分の姿に目覚めて、幸せに生きられることは、他人をいかに思いやるかだと思う。人は一人で生きられないのだから・・・

今の世がいかに混迷したものであろうとも、現在の生活状況が苦しく、心も乱れようとも、真実の生き方に努力し、真実の道を歩き、心静かに、心豊かに生きたいものだ。

2011年2月10日 (木)

よみがえらそう私達の川を!①

Img_0105  今日、お役所の南多摩西部建設事務所にお願いし、湯殿川の住吉橋からカタクリ橋までの川の中を不法投棄物(ふほうとうき)(ゴミ)を拾っていただきました。見違えるようにきれいになりました。泳いでいるコイもさぞかし気持ちがいいと思います。拾ったゴミは何んと2トン車1台分の量となりました。

考えて見ると。本来川はきれいなもので、水が絶えず流れているので腐らないが、ゴミによって水の流れが悪くなると水質が悪くなったり悪臭が発生し、腐るのです。きれいな水だから、川に生物が棲(す)めるのです。

昔は、ドジョウ・メダカ・スナモグリ・フナ・クチボソ・ハヤ・カジカ・ヤツメウナギ・ウナギなどが棲んでいた。そして夏の夜になるとカエルのなき声聞こえていました。

昔といっても20年前ぐらい前まで、片倉町の湯殿川に棲んでいたのです。今はコイとハヤが(少し)いるだけでなってしまいました。

その理由として川の汚れです。それがなぜ汚れているのでしょうか?川をよごしているものはなんだろうか?

 ①ゴミ・・・そうです。川にゴミをすてる、道路にすてられたゴミも道路の横の溝(みぞ)を通って川に流れているのです。

 ②排水・・・そうです。下水道や処理施設の設備されていない地域からの雑排水(おふろの水、洗たくした水、お皿など食器を洗った水、そしてトイレの水など)は、川をよごす原因となっていたのだが、現在は八王子市では上下水道が完備されたので川は汚くしていません。

 ③工場からの排水・・・昔は、川をきたなくする原因の第一位でした。でも今は排水する前にきちんと処理をしていますので、川をきたなくしてはいません。

 ④田畑からの水・・・分かりますか?田んぼや畑で使われている除草剤や殺虫剤が、雨にまじって川に流れているのだが、農家の方の努力で殆ど汚していません。

最後に、不法投棄物(ふほうとうきぶつ)・・・不法投棄物とは、法に反して捨てられた様々なゴミで、魚や・昆虫などに有害なものもある。腐らないビン・ペットボトル・空き缶などもあります。

人が捨てる不法投棄物がなくなれば、昔棲んでいた生物が棲めるのです。一人一人が気をつけて、みんなが住んでいる八王子市片倉町に流れる湯殿川に魚や昆虫が棲めるきれいな川にしましょう。

政策議論を深めて!

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08nangodake_sandou11 菅首相と、谷垣自民党総裁、山口公明党代表による初めての党首討論をテレビ中継を観た。「もういい加減に、建設的な政策論戦になるよう双方歩み寄ってもらいたい。」が、私の感想。

「社会保障と税の一体改革」が中心テーマだったが、首相は政権公約の誤りを認め、早期かつ大胆に見直すことを言明すべきだ。党首討論は、党首同士が腹を割って話す場であって意見を述べ合う、場であって欲しい。

議論を観ていて、相手を罵るばかりで、良い結果は生まれない。谷垣氏の強硬姿勢は、支持率が低迷する民主党政権の延命に手を貸す必要はないという。だが、自民党には長年、政権を担当してきた政党としての責任がある。首相が「議論もしないで、まず解散では、党利優先だ」と切り返したのは分かる。

政府・与党が、財源を明示した改革案を出してくれば、自民党は協議の席につくべきで、予算案修正に向けた与野党協議を行う環境も早急に整備しなければならない。

国会が混乱し、政治が停滞するかどうか心配する国民は多い。政治空白が生じるだけではない。その後の政権の枠組みづくりをめぐり混乱が続けば、結局は課題を先送りし、次の予算編成もその場しのぎに終りかねない。

それにしても、党首討論での言動は、もう一つ、国民に配慮して欲しい。喧嘩腰のイメージだけが残ったのは、私だけではないだろう。

2011年2月 9日 (水)

春の雨

080326topics1 「野に山に 暖くなる みぞれ雨」

東京地方は、36日間乾燥注意報が出っ放し、そのせいか?、インフルエンザが激増という。2011年のインフルエンザの症状・特徴からは香港A型が主流だ。

私は、予防接種はしたことがないが、先だって風邪かなあーと思える症状があったが、外に出ないようし、よく睡眠をとるようにしていたら直った。冬の乾燥している時期には風邪ウイルスが猛威を振るう。お年寄りや、赤ちゃんは注意が必要だ。

今朝は、みぞれ混じり雨の朝となった。人間も、植物も一雨欲しいところだったが・・・二日前に同級生の農家の家に行ったら、ほうれん草・小松菜もブロッコリーも雨が降らないのでどうしょうもないと嘆いていた・・・

蝋梅から梅に移った花もこの雨で、花の数を増やせるだろう。垣根の下の水仙の花も枯れ草を分けて咲き出した。雨といっても冷たい。だが植物も動物も、この雨を待ち焦がれていたことだろう。

花は、どんなに厳しい風雪にも耐え、当たり前のように花を咲かせようとする。「花こころ」とは、咲いてすぐに散ってしまうところから、移りやすい心で、浮気のことをいうそうだが、人間は、大きな自然舞台に次から次えと、咲きだしてくれる花に心奪われしまう『花こころ』もう直ぐになる。

タバコ値上げも減らない喫煙者

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282_field111_2 毎日ゴミ拾いをしているが、タバコの吸殻が一向に減らない。「タバコの吸殻ぐらいいいじゃーないか」この世知辛い世の中ストレスがたまる?・・・通りを歩きながらタバコを吸う人は多い。

タバコの吸殻一本が捨ててあると次から次と増えてしまい、ゴミの山になることは、長年ゴミ拾いをしてよく分かる。

「百害あって一利なし」・・・ガンなどになるリスク高い・街中が汚れる・防犯に繋がるなる・小遣い減らない、など問題はあると思う、人に迷惑をかかる・・・止めて欲しい。

どうしても、やめらなければ、マイ携帯灰皿を使って欲しい。喫煙マナーというよりもそもそも喫煙場所が減り灰皿設置箇所もなくなりつつの世の中、喫煙者はマイ携帯灰皿は必需品だ。

正直、私も二十歳から定年まで40年間吸っていて、人様にご迷惑をかけた、罪滅ぼしと、健康を害して医師から止めるよう悟られた結果と値上げで止めた。そして駅のホーム・街中道路に落ちているタバコを見て、拾い始めたのだ。

昨日の読売新聞の記事で見た・・・昨年10月のたばこの大幅な値上げ後も喫煙者は減っていないことが8日、厚生労働省研究班の調査でわかった。1人あたりの喫煙本数は減っており、1箱60~140円の値上げ効果は、「禁煙」ではなく「節煙」にとどまったようだ。

鳥取大学の尾崎米厚・准教授(環境予防医学)らは昨年11~12月、全国から無作為で選んだ成人男女1146人に喫煙の有無や喫煙本数などを面接調査。値上げ前の一昨年11~12月に調べたデータと比較した。

喫煙率は男37・1%(一昨年36・1%)、女8・9%(同8・3%)で、値上げ前後でほとんど変化がなかった。一昨年の調査時には、喫煙者のうち男36・8%、女53・9%が、値段が2倍になったら禁煙すると回答。20円値上げなら、男6・2%、女9・2%が禁煙すると答えていた。この禁煙への決意が、現実には守れなかったことになる。

2011年2月 8日 (火)

陸山会事件のこと

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08take_yuki21 「がちんこ対決」・「徹底抗戦」で真っ向勝負の様相である。世間をこれほど騒がせている陸山会事件は、世間の常識では考えらない「政治と金」の感覚の問題である。裁判で「小沢氏資金」の解明が待たれる。

郵便不正事件で、特捜検察の強引な取り調べ手法が批判を浴びたが、今回の公判でも、特捜部の取り調べが適切だったのかが争点の一つになりそう雰囲気だ。

小沢氏から借り入れた土地購入原資の4億円が出所を明らかにできない金だったため、政治資金収支報告書に記載しなかったというのが、検察側の主張だ。

これに対し、石川議員らは「虚偽の記載をした認識はない」などと否定し、無罪を訴えた。

小沢氏自身も検察審査会の議決に基づき、共犯として強制起訴されたばかりだ。小沢氏の裁判の行方を占う前哨戦の意味合いもある。

政治資金の透明化と適正化は引き続き社会の要請である。それなのに、秘書の「配慮」や「ついつい」、そして党内抗争への思惑で――政界の実力者を取り巻くカネや資産の流れは国民の目から遠ざけられ続けたことになる。

これが常々、「オープン、明朗」と胸を張ってきた人物の足元なのか。政治に携わる者の「責務の重要性」と、それを支える国民との適切な関係を唱える規正法の条文が空しい。

小沢氏は、3人の元秘書の起訴後も、「不正はなかった」との発言を繰り返してきた。事件への共謀については、自身の公判で裁かれるが、国会での説明は必要だ。

記者会見で、小沢氏が「素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と述べたのは記憶に新しい。私は、検察審査会が問題ではなく、評決の結果が問題である。裁判官もえん罪で有罪判決をし、弁護士も有罪を、無罪と弁護する。与えられた事に対し、結果、それが正しければ、素人でも、プロでもいい思う。

 

2011年2月 7日 (月)

畦道をあるいて!

Img_97161 畦道の ハコベの色に 春が来る

立春が過ぎて一段と春は近くなった感じである。昨日近くの田んぼの畦道を歩いて気がついたのだが、ハコベは枯れ草のなかで青々とした葉を茂らせていた。

そうだ、ハコベは春の七草の一つで、昔の人は食べていたのだ。子供の頃には鶏に採ってくるように、母親に言われたことを思い出した。

先だって山中湖畔に一泊したのだが、近くで見る富士山と、田んぼから見る富士山と感じ方の違う。しかし、今年は雪が少ないように思えるが・・・

島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の詩を思い出した。

小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/緑なすはこべは萌えず/若草も籍(し)くによしなし/しろがねのふすまの岡辺/日に溶けて淡雪流る・・・

愛知の選挙結果に思う

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Katidoki241 愛知の知事選・名古屋市長選・名古屋市議選を問う、いわゆる“トリプル選”で、市民強い不信感裏付けられた。地方議会への住民の不満の表れだ。

解散を主導した河村氏の手法も危うさは拭い去れない。減税と市財政の健全化をどう両立させるかなど、河村氏はより踏み込んで住民に説明すべきである。

市民の側から「議会を守れ」という運動がほとんど広がらなかった。特権にあぐらをかいていた議員が攻撃された格好となった。議員は高い報酬を得ながら地域の暮らしにどう役立ってきたのか、多くの市民に実感させられなかった結果だ。

こうした動きは全国で見られているという。地方議会と対決する首長が各地に現れている。リコールの要件を緩めたり、住民投票をやりやすくしたりする地方自治法改正の動きが進んでいる。現状では対立を激化させる道具にならぬか心配だ。( 朝日社説)

行政改革で財源が本当に生み出せるのか。市民サービスが削られないか。いまこそ行政への監視が必要なときだ。市民の代表である議会を攻撃するだけでは、市民が損をすることになるのでは・・・?

市議会には本来、市長と一定の緊張関係を保ちつつ、建設的な議論を通じて、市政の一翼を担う責任がある。全国地方選挙が控えている。改革に二の足を踏む多くの地方議会は他山の石と受け止めて、真剣に考えるべきだ。

2011年2月 6日 (日)

世界が注目する中東情勢

05detohama11 チュニジアから現在のエジプトに至る局面は、目が離せない。私達日本にも、石油などで大きな影響があるからだ。チニジア・エジプトは、アラブの中における共和国、大統領制を敷いているが、実際には限りなく世襲や終身制に近い、王朝的な大統領制国家だ。

似たようなリビア、あるいはシリアといった国々にも波及していく可能性がある。これは全体として、今のアラブの国際環境における構図を変えていくことになる。さらに、王制国家、湾岸などにも、やがて波及する可能性もある。

今のエジプトの局面というのは、軍・ムバラク政権・市民の3つの異なる勢力がせめぎ合っている。この関係というのは、エジプトの歴史において,エジプトがイギリスからの事実上の独立を獲得していくきっかけなった、1919年の革命、これは市民が主役だった。1952年の革命は、軍が主役であった。

今回は、市民から始まったが、軍の役割が非常にクローズアップされてきている。今の運動というものが市民が中心となる形で、軍がそれをサポートして、新しいエジプトという国家を作っていくのか、軍が主導権を持って市民を引っ張っていく形で、または市民を抑えながら、新しい国家を作っていくのか、せめぎ合いの場であると思う。

この結果として、エジプトはいずれにしても当分、国力というものが、混乱し、衰えていくというか、不安定になる可能性が考えられる。そうなると、アラブの中東における力が、相対的に低下していくことになる。その場合、2つの国の台頭が考えられる。イランとトルコだ。

トルコは世俗性の体制をずっと取っていて、そしてイスラム主義から出た政権もまた政権与党として責任を持って政権を運営している。こういう民主化のモデルになっている。

イランはイスラム政治体制の下において、シリア・レバノンのヒズボラ、パレスチナのハマス、これに対する後ろ盾になって、イスラエルに対して対立関係にある国だ。

イランの対立関係の要素が深まっていくか、トルコは相対的に見れば、イスラエルとの間にいい関係、良好な関係をエジプトとともに持っていくと考えられるから、この2つの国、すなわちイランとトルコの中東における役割というものが増してくる。そしてアラブの国はしばらくその影響力の低下を避けられないということになる。

アメリカ始め、世界の国々は、石油資源に絡み、流動的な中東諸国に注目せざる得ないところだ。

人間の苦しみとは・・・

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1231 人間はなぜ苦しまなければならないのか。「苦しみがなければ生きる喜びが分からないから、苦しみがあるのだ」と思う。

「楽しみ」というものは、頭の中ではおおよそどんなものかが理解できても、「つらい・苦しい」ということを経験することによって楽しみの本当のすばらしさが分かるものだ。

毎日が人もうらやむような本当に幸せな生活をしていても、不幸を知らないから本当の幸せも退屈にしか思えない。不幸ということを実感として体験することがなければ、どんな幸せも幸せとは感じられない。

苦しみ・悩みや不安を人生に必要のないものと理解すると、ただでさえ苦しい人生がますます苦しいものにならざるを得ない。なぜ自分だけが辛い目に遭わなければならないのだ、「なぜ自分だけに苦しみがおそってくるのだ」と、考えてしまうことは経験は誰にもある。

人生を呪ったり、恨んだりするだけでは、すべての努力はむなしいものになってしまう。でも考え方を変えて、苦しみは人生に必要なものと考えれば、自分はなぜ苦しみを体験することが必要なのか・・・、そこに生きる意味を見いだしていくことができると思う。

悩みや苦しみは自分が成長する上で必要だからある。でも苦しみのさなかに、いくら言われても納得しがたいことも事実である。が、過去を振り返ったときにはじめて納得できることなのだ。

自分が不幸と思うことは他人と比較するからだ。比較するということは他人の生き方や考え方を参考にするということであり、自分の欠けているものがあればそれを補う努力をし、人様の役に立てるものが自分にあれば与えるということではないだろうか・・・。 

「とらわれ」・・・相手の生き方や考え方を単にまねをしたり、自分に欠けているものがあって欠けていることを自覚しながらも、それを補う努力をせずに相手をうらやんだり、恨んだりすることだ。とらわれることによって、自分の人生を見失ってしまうことになる。

2011年2月 5日 (土)

感情を抑圧すると・・・

07rose_ame21 身体的にも、たいして問題もなく、日常生活が便利で何不自由なく暮らして行けているのに、何か物足りない感じをしている人は多いと思う。

楽しい、嬉しい、悲しい、寂しい、悔しい、辛い、つまらない、空しい、など感情を抑え過ぎると・・・やがて、人とのつき合い方も自信がなく、趣味のグループに参加も考えてしまう。「感情をあまり感じない」毎日が続く。楽しいや、嬉しいという感じがあまり感じられなくてつまらない、自分が何をしたいかがわからなくなる。

嬉しい、楽しいをもっと敏感に感じる自分になる為に、今どんな気持ちがあるかよくわからないという場合は心理的なブロックがあるからだ。抑圧された感情がブロックになってしまっているから、抑圧された感情の解放が必要であると思う。

感情の解放を行なうと、すっきりした気持ちになったり、わだかまりが消えたり、常に心のどっかにあった気持ちがなくなって楽になれる。この自分の気持ちを抑えしまっている抑圧された感情を解放してあげることが大切だ。

感情を抑えすぎると爆発してしまうことがある。適度な甘え方や、適度な要求ができるようになる為に感情を解放してすっきりすることだ。そして、適度な距離で相手と接せられ自分になることだ。

感情を溜め込まない自分になっていく。自分の気持ちを言葉でだす練習をすることで、感情を表現していき、心に溜めこまないようにする。活き活きしたり、楽だったり、楽しかったりする為に感情は溜め込まない、抑えすぎないということはとても大事だと思う。

譲り合いは大事だ

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05detohama11 自民党の谷垣禎一総裁も「今年こそ民主党政権を衆院解散・総選挙に追い込み、新しい自民党政権を樹立したい」と言った。「といっ て、いたずらに国会審議を混乱させない」とも語っていたが・・・。

閣僚に対する問責決議を連発し、閣僚が辞めなければ国会審議に応じないといった強硬路線が本当に国民に支持されるだろうか。何も動かない、何も決められない国会に対する批判の矛先が自民党に向けられるのではないかとの思いはある。

この国会で谷垣さんが、民主党といろいろ話し合い、予算案や他の法案を修正しながら成立を図る路線に転じる可能性はほとんどない?少しでも妥協的なことを言えば、たちまち党内から「そんな弱気でどうする」と突き上げられるはずだ。それは谷垣さんも避けたい。

国会がこれだけ機能不全に陥っているのに「与野党の激しい攻防」やら「政権の厳しい国会運営」やらを連呼する新聞・テレビの国会報道も、国民に対して不安を駆り立てるばかりで、何かヒントが欲しいところだ。

国民生活に直結している関連法案は参議院では通過しない恐れがある。「ここは各党、妥協して法案を通そう」と言ってもらいたい。意地と意地の突っ張り合いを改め、お互いに譲歩することで、「国民生活を優先する」との考えを持つ“ふところ”の深さを示すことも大事だと思うのだが・・・。

2011年2月 4日 (金)

ウナギの卵を海で発見

447141 子供の頃、近くの川で、ウナギを獲って食べた。「サゲバリ」と言っていたが夕方、大きなミミズを針につけて、20本ぐらい深みに仕掛け、翌朝上げるのである、多いときに4匹ぐらいかかっていたこともある。そんな思い出がある。その川は今も流れを止めないでいるが、ウナギはもう姿を見ることは出来ない。

ウナギの生まれ故郷は、海と知ったのは20年ぐらい前のことである。最近、「ウナギの卵発見』したとニュースがあった。天然のニホンウナギが海で産んだ卵が、世界で初めて日本の研究チームによって発見されたのだ。

発見したのは、東京大大気海洋研究所の塚本勝巳教授や水産総合研究センターなどのチームだ。現場は、ウナギの幼生が捕獲されたことがあるマリアナ諸島沖。調査で得られたデータは、ウナギを卵から育てる「完全養殖」の実用化に役立つと期待される。

卵からの養殖技術は、難しく、孵化させるも直ぐに死んでしまうらしい。シラスウナギという稚魚を海から川にのぼってくるのを捕まえて育てる方法である。

日本は世界一のウナギ消費国だ。ほとんどが養殖モノだが、その養殖が今、危機的な状況で、稚魚の水揚げはピークの20分の1にまで激減しているという。

乱獲や海の環境変化などが考えられるが、このままだと、養殖自体ができなくなってしまうことが懸念される状況である。

今回の発見で、ウナギは稚魚になるまでの間は海にいて、そこがどんな環境で、何を食べているのか、今回産卵場所が特定されたことで、天然ウナギの孵化直後の生育環境がわかったことが最大の収穫である。

水温が25~6度であることがわかったほか、塩分濃度も判明したので、今後はこうした環境で養殖することで生存確率が上がり、大量生産につながることが期待できる。

最大の課題はエサ。海の中で何をどうやって食べているのかほとんど分かっていなかった。研究チームでは今後、マリアナ沖で孵化したばかりのウナギが何を食べているのか直接観察することを目指す方針だそうだ。

こうした研究成果を確実に養殖技術につなげていって、今後も私たちがおいしいウナギを食べ続けることができるようにして欲しいと思う。

地球以外の星で生命体が存在?

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Galleryplayer22_moon ちょっとこのところ、嫌なことばかりのニュースで気が滅入ってしまっている人は多いだろうが・・・空を見上げて、想像する世界からちょっとロマンチック?な気分が出てきた想いで、胸が小躍りすような気分にさせてくれた。

NHKのwebニュースで天体の謎の一つが解明されたという。地球以外の星に生命体が存在する可能性がある?これが解明されれば、地球上の人間の夢は現実となって、価値観が変ってくるだろう。地球上の人間同士の「いざこざ」など忘れさせてくれる?かも知れない。

ニュースの内容・・・米航空宇宙局(NASA)地球から約2000光年離れた地球に似た環境を持っている可能性がある「惑星」が、宇宙には少なくとも50個以上存在すると発表し、宇宙における生命体の探査につながる成果として注目されている。

「ケプラー」と呼ばれる宇宙望遠鏡を使って15万余りの星の動きを観測したところ、地球や土星のように、太陽のような「恒星」の周りを回っている「惑星」とみられる天体が、あわせて1235個、見つかったという。

このうち54個は、恒星からの距離が適度に離れているため、水が凍らないまま液体で存在できるとみられ、地球のように生命が存在しうる環境を持ち合わせている可能性がある。

NASAによると、「ケプラー」がこれまでに観測できたのは、宇宙のごく一部だということで、担当者は「宇宙では、生命の存在が珍しくないことをうかがわせている」と話している。

今後、「ケプラー」だけでなく地上の大型望遠鏡なども使って、さらに詳しい観測を行うとしており、地球以外の星での生命体の探査につながる成果として注目されている。

2011年2月 3日 (木)

豆まきで思う

Tko0310170481 東京地方では、昨日までの寒さが嘘のように、今日は3月上旬の暖かい節分である。節分は「季節を分ける」ことから「節分」というが、節分といえば立春の前日だけで、立春の前日には厄払いの行事が各地で行われる。

節分・立春の前日に鬼打ち豆をまき、鰯の頭を柊の枝にさし戸口につけ呪いは、私が生まれ育った、八王子市になる前の由井村にもあった。夕方にあちこちの家から「鬼は外!福は内!」と聞こえて来たが、今でどこの家でもしない。

近くのお寺などに出かけてするそうだ。高尾山や、高幡不動が芸能人や人気力士などが来て、お客さんで賑わう。

豆まきの風習は、農耕が主であった大昔は、旧暦の大晦日と春を告げる節分とは、ほぼ同時期であり、年があらたまり、万物が甦る春の訪れを告げる日である節分に、「邪気を払い、今年も元気で過ごそう」との思いから始まったのが、節分の豆まきだそうだ。

今では、幼児でさえも鬼の実在をあまり信じないが、大昔の人々は、さまざまな恐ろしい鬼が実在すると信じていたようだ。節分の鬼にかぎらず、鬼の喩えが多いのも、人の心にひそむ悪を鬼として、また人間の欲望の化身としても、とらえているからだろう。

今、世の中は世界的視野から見て遠いエジプトや、オーストラリアなどの国で起こるさまざまな事件や事故・災害で私達の日本人の生活にも影響する時代である。宗教によって違う風習・価値観も全く異にしているが、幸せと命の大切さを思うことは同じ考えであろう。

スーパーで袋に入った、炒り豆を食べながら、エジプトの騒動・オーストラリアのサイクロンなどをテレビで見て、自分が生きられ、世界の平和であることを願った。

大相道とは・・・

10risiri_senpousi21 柔道や剣道、相撲道、「道」というがあるが、「道」という表現をもって日本人は人格形成を合わせて求めている。華道、茶道、書道など、習い事には「道」がつく。 「一芸は道に通じる」 何ごとによらずひとつの技や芸を修めてその道をきわめるということは、人間の生きる道をきわめるのに通じる。

アリストテレスの言葉に「学問に王道なし」があるが、どの分野でも、楽な道、近道はないということで、心構えや努力、辛抱、工夫が必要である。

日本人は「道」という言葉をよく使う。「道」をあ表すことわざである。物事は確実に一歩ずつ進むことによって達成できる、基本を忘れて先を急いでも、つまずきや思わぬことに遭遇するのは当たり前である。人生にはいろんなことが起こる、どう乗り越えてどう対応すれば万事うまくいくかである。「もどり道は迷わず」 どの道でも一流になるためには苦労がある。

長引く不況で、大学は出たけれど就職できない、リストラ、失業者は多く、不安定な経済は人々を不安な状況である。そんな世の中に勇気を与えているのはスポーツである。サッカーアジアカップで優勝、日ハム球団に入った、斉藤祐樹投手や、ゴルフの石川遼選手などが注目を集めている。プロ野球も、開幕が楽しみだ。相撲も、春場所が楽しみにしているフアンは多いと思う。

苦しい生活でも、一生懸命努力している人たちの姿を見て、元気をもらい。明日えの糧としている人は多い。日本相撲協会で、昨日「八百長」騒ぎが起きた。

残念・無念だ!日本相撲協会の適切で、真摯な対応を望むところだが、「道」・・・「相撲道」を何と理解しているのだろうか?相撲は日本の国技であり、単なるスポーツではなく神事としての歴史もある。「心・技・体」のすべてを磨き上げていく修養の道である。

横綱には、重い責任と高い倫理観が求めら、それに伴う精神的な重圧は、常人には計り知れぬものではないかと思う。そうした重責に耐え抜く精神を練磨することは並大抵のことではないだろう。

「不惜身命」という言葉は、第65代横綱である貴乃花関が、横綱推挙の伝達式において、「相撲道に不惜身命を貫きます。」と口上述べたことで知られている。今回の八百長疑惑発覚は、まことに残念と言わざるを得ない。

日本大相撲でまた新たな疑惑

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08muhyo_omono_tyokai11 放駒理事長の苦しい心境が分かる。昨日テレビの記者会見を見た。日本大相撲で、また、新たな疑惑が持ち上がった。

「関与が疑われる力士らは十数人にのぼる。実際に現金やなれ合いの取組による星のやりとりがあったのだとすれば、ファンへの背信であり、大相撲の根幹を揺るがす重い事態である。」

「協会は、係ったとされる力士・親方、呼んで事情聴取をした。この問題を調査する特別委員会を作った。委員は外部の有識者に頼んだ。」

八百長に関与したとされる力士への聴取に加え、疑われる取組をビデオで検証するなど、早急な調査をする。その上で事実関係を明らかにし、土俵を売った者に処分を科さねば、来月に迫った大阪での春場所開催は到底、世間の理解を得られない。放駒理事長は全力士への調査にも言及した。

大相撲の現役力士が、勝ち星を売り買いする八百長を行っていた疑いが明らかになった。警視庁が相撲界の野球賭博事件を捜査する過程で、力士らの携帯電話に八百長をうかがわせるメールの記録が残っていることが分かったと言うことだ。

メールには、立ち合いなど土俵での流れや星の売買とみられる数字など、生々しい内容が書かれていたという。野球賭博事件と次元が違うのは、問題が「土俵の中」であることだ。

関与が疑われる力士らは十数人にのぼる。実際に現金やなれ合いの取組による星のやりとりがあったのだとすれば、ファンへの背信であり、大相撲の根幹を揺るがす重い事態である。

協会が全力を挙げて取り組むのは当然だ。放駒理事長は八百長疑惑をあくまで今回発覚したケースに限定、「過去にはなかった」との考えだ。

様々な問題が起きても、多くの人が相撲を愛し続けてきた。しかし、今度という今度は、冷え切った心はたやすく元には戻らないのではないか・・・。

  

2011年2月 2日 (水)

中東の動きに目が離せない

09meigetu_tyusyu11 グローバル化した世界・・・関係ないと思っていた国々で起きている問題も日本国民にとっても影響は、私達の生活まで及ぼす時代である。今中東の国々の動向に目が離せない情勢にある。

NHKのニュース解説などから・・・
大規模な反政府デモが続いているエジプトでは、1日、首都カイロで新たに100万人規模のデモが計画されるなど、混乱は収まりそうもない。政府は野党勢力と対話を行う考えを初めて示し、事態の収拾を図る姿勢を見せているが、混乱が収まるかは予断を許さない状況である。

アメリカから見れば、ムバラク政権は、中東政策を進めてゆくうえで、重要なパートナーだった。中東和平交渉が行き詰まれば、イスラエルとパレスチナの間で仲介役を務め、国際テロやイスラム過激派の取り締まりにも協力してきた。

ムバラク大統領の長期独裁政権が腐敗し、民衆を抑圧したことに気づいていても、目をつぶってきた側面がある。そのムバラク政権が終焉を迎えるのは、仕方がないとしても、問題は、後に続く政権がどういう政権になるかが問題となってくる。いつまでも新しい政権ができず、エジプトの政治が大混乱に陥ることも、反米政権ができることも、アメリカとしては困る。

さらに困るのは、イスラム原理主義勢力が政権を握ることで、特に、イスラム過激派が勢力を拡大することだけは、なんとしても避けたい。これが、アメリカが抱えているジレンマである。

今回の事態を受けて、クリントン国務長官が、エジプト政府に対し、市民のデモを武力で鎮圧しないようくぎを刺すとともに、自由で公正な選挙で、民主化を実現させるよう求めてきた。

国民との対話による改革で、人々の不満が解消されるよう望むアメリカのオバマ政権は、重要なパートナーであるムバラク大統領についての直接の批判は避けつつも、民主化改革を、一時の猶予もなく、速やかに行うよう、促している。

もし、エジプトのムバラク政権が倒れた場合、その影響は、チュニジアとは比べものにならないほど大きい。アラブ諸国で連鎖的に政権が倒れる可能性があり、中東地域を安定させてきた重しが外れ、アメリカの世界戦略にも深刻な影響が出る恐れがある。

チュニジアやエジプトでの出来事に触発されて、アラビア半島のイエメンでも、反政府デモが起きている。デモの参加者は、サレハ大統領の退陣を公然と求めている。サレハ大統領は、南北イエメンが統一して以来、21年間政権を握り、反対派を弾圧してきたが、これまで考えられなかった光景である。

イエメンは、北部にイスラム教シーア派の反政府運動、南部に分離独立運動をかかえ、国際テロ組織「アルカイダ」の拠点ともなっていた。今後の情勢次第では、いわゆる「破綻国家」になる恐れもある。

さらに、アルジェリアやヨルダンなど市民の抗議行動は、アラブ各国に飛び火している。今後、エジプトをはじめ、アラブ世界の動向から目が離せない状況が続きそうだ。

絆を醸成するには・・・

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08nangodake_sandou11 人は一人では生きられない、いろいろな人と関わり合う、自分と最も身近な他の人が、妻あるいは夫であり、親または子である。そして人は社会生活する上で、それ以外に多くの人々とも関わりあって生きられる。

人との関わり合って生きていく過程で、さまざまな悩みが生じる。人生の伴侶として巡り合い、共に歩むことを誓ったけれど、破綻してしまった夫婦、親と子の間に亀裂が生じてしまった家族など、これは身近な間柄の悩みである。

夫婦・親子は命の絆で結ばれた間柄なのに、思いやる心が冷たくなると、すきま風が吹く。自分に一番近い夫婦や親子・兄弟といえども、考え方、生き方が異なって当然で、お互いが共に生きることに理解と努力をするか、背を向けて勝手に生きようとするかによって、その展開が大きく異なる。

個性ある人間が共に生きていく上で、価値観をすべて共有することは、不可能に近いから、部分的に共有するとか、多様性を相互が認め合うという努力を必要であり、互いが理解する努力をしないかぎり、人間関係は破綻してしまう。

自分の我を出し、思いやりが欠ければ、愛情が薄れる。信頼がなくなり憎悪の心が芽生えてくる。最近、親が我が子を殺めたり、子供が親を殺すというニュースに耳慣れてしまうくらいである。

いったん、絆がほころびてしまうと、修復をあきらめる人が多い。我慢が出来ないで、冷静さを失くして、取り返しのつかない結果になり後悔という事例は枚挙に暇がない。

母親の母乳で育ち、両親の触れ合う時間と、家族の愛情を受ける、人間本来の子育てをするならば、教えなくても絆の心は生まれ、しっかり成人なれるのだが・・・。

共稼ぎ、子供の居室化が増えて、物理的には進化しているが、精神的な未熟さは取り残されている傾向があり、そのことを改善していかない限り、悲惨な事件はなくならないだろう。

2011年2月 1日 (火)

ダボスの講演と責任

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05detohama11  「不言実行」いろいろな問題はあるだろうが、日本丸の船長が舵をとっている菅直人首相の責任は重い。途中で挫折することなく、信念を貫く覚悟で実行して欲しい。

スイスのリゾートのダボスに出向きいわゆる「ダボス会議」に忙し行ってきた。滞在時間6時間という、忙しい合間を縫っての講演し、35カ国以上の首脳、経済人が参加し、菅首相は講演や有識者らとの懇談を行った。経済界も含め、国際的な場における日本の存在感が低下していた中、首相が直接、考えを語った意義は大きい。

首相は、内向きになってしまった日本を、外に向かって開かれた国へと変えていく決意を強調した。また、「絆」をキーワードに、人と人とのつながりが大切にされる社会を国内外で築いていく意欲も見せた。

講演タイトルは、「開国と絆」だった。明治維新と戦後に続く「第3の開国」を強調し、日本再生を目指すとした。施政方針演説などで繰り返してきた内容と同じだが、とくにダボスで明言した意義は大きい。

これで、首相の発信は終わりではなく、幾らでも発信する場はあるはずで、国会での野党との話し合いは丁寧に行い、国民に納得いく説明が大事だ。

日本の政治家は閣僚や与党議員だけでもない。野党を含め、もっと国外のいろいろな場で交流を持ち、発信、受信を積極的に行うべきだ。日本の「開国」は、まず政治家の意識改革かもしれない。

町づくりを考える(2)

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10shiretoko5go_1ko21_2 ふるさと創生、活性化・地域における特色ある町づくりは、使いやすい施設や、住みよい、安心の暮らしが出来る環境づくりと共に、とても大事で必要不可欠である。

特に、最近では住民の希望や意向を汲んだ、道路・集会所など一地方公共団体である町会固有の文化的施設を建設することは意義あることだ。

町民の生活水準や嗜好レベルの向上に伴う適切な事業だと思う。しかし、「建物、施設は出来上がったけど、利用者はサッパリだ。閑古鳥が鳴いている。」という話を聞くことがある。

何故だろうか。私は、この問題を「三つの要素」に分けて考えてみると・・・まず、ハード、次にソフト、そして、ヒューマンである。「ハード」とは、立派な建物、施設、を意味し、「ソフト」とは、そのハードを使いこなす仕掛け、仕組みを指し、「ヒューマン」とは、ハードの中で、ソフトを使いこなす人の仕事・行動の仕方をいう。

企画者の大事なことは、住民にこのことを理解しもらい。地域に愛情を持ち、人々のふれ合い、助けあいの場所として、活用してもらえる施設でなけれならない。従って、子供から、お年寄りまで多くの人が利用・参加することが第一のポイントだ。

いくら建物施設が立派でも、施設の利用規則や運営方法が住民の生活スタイルや若い人々の感性と著しくかけ離れている場合には、期待外れの状況となってしまう。

コミュニティなど地域における生活基盤が充分に整備されていなかった時代には考えられなかったことである。まさに、時代の変化、社会経済の変化に伴う現象である。

今の時代は、ただ単に「ハコモノ」を作ればいいのではなく、ハードの整備と同時にその建物施設の企画・運営がしっかりしていなければならない。ソフトがよくない施設づくりは「無駄な投資」ということなのかもしれない。

我が町は、少ない若者、男性より女性の参加が多い状況、高齢化が進んでいるが、はたしてどうだろうか?私は、今後は優れたソフトに加え、利用者、対象者の立場に立った、思いやり、ヒューマン的な配慮がますます重点を置くべきだと思う。

文字通り、「子供に優しい」「若者向け」「お年寄りに優しい」「女性向け」といった心づかいが必要になる。ちょっと気を利かせれば、私達のまちはもっと住みやすい、潤いのある地域社会になるのではないかと思う。

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