迷惑をかけるのはお互い様
人に迷惑をかけずに生きられる人がいるだろうか ?「お互い様」の精神は、社会人にとっては基本中の基本である。このことが、日本の教育で欠落している。
日本の教育が抱える根深い問題である。「一番大事なこと」を誰も教えてくれなくなった」ということである。かっては、大学を出たばかりで、それこそ口の利き方とか挨拶の仕方も分からない新人に手厚い教育を施して、企業を支える人材を育てあげた。
1990年代以降、大きく流れが変わった。日本経済の競争力が落ち込む一方で、企業は短期的な業績向上が求められるようになり、人材養成機能を失ってきた。今は、とにかく即戦力となる人材が求められ、「あなたは何ができるんだ」と問われるようになった。
だから、他のところで即戦力となる人材を養成しなければならなくなっている。大学も然りである。誰にもきちんと礼儀正しく対応する。腹が立っても我慢する。うまくいかなくてもあきらめずにもう一回頑張るなどである。働くにあたっては、そういうことを一番最初に身につけるべきである。
それら教えるのは、本当は小学校とか中学校の役割であるかも・・・。だが、小学校や中学校で教えない。教員は、親からクレームがつき、小学校や中学校は、子供たちとまともに向き合って、まともに鍛えるということがない。
世界各国が人材養成競争、人材獲得競争を熾烈に繰り広げているのに、日本は蚊帳の外に置かれている感がある。「国の繁栄のために人を育てる」なんて言おうものなら、教育はそんなものじゃないって怒る人がいる。
日本は極端な方向に行き違う。戦前は「天皇陛下のため」、戦後の高度経済成長の時は「自分たちの豊かさのため」に突っ走って、ある時期からは「自己実現」とか「自分のために働く」「自分を生かす」ことが大切だと、子供たちに教え込むようになった。
でも、なんでも「自分が、自分が」でやっているときつい。自分が幸せになるため、自分が成功するため、自分が金持ちになるため、自己実現をするため・・・。そうやって自分のためだけにやっていると、いざという時に誰も協力してくれない、失敗したら苦しい。
むしろ、「人のため」とか「世の中のため」だと思ってやっていると、協力してくれる人も現れるし、うまくいかなくても「これは人のためになっているんだ」と自分で納得することができる。「人のため」という視点を持った方が、幸せな人生を送れると思う。
教育の目的も見直すべきで、人を助けるためには、自分に力がないといけない。また人からカバーしてもらおうと思ったら、自分も他人をカバーする力を持たないといけない。だから、学力とか体力をつける必要がある。「自分のため」だけの教育だと、「別に出世したくないから勉強しなくていいや」という話になる。
「自分」をあまりにも大切にするようになったことに加え、ある時期から日本の教育でもう1つ強調され過ぎたことがある。「人に迷惑をかけてはいけない」ということだ。その裏返しで、みんな「自分は人から迷惑をかけられたくない」と考えるようになってしまった。
確かに、生きていれば、否応なく人に迷惑をかける。世の中は、「あなたと私」だけの関係で成り立っているのではない。直接面識のない人から迷惑をかけられているかも知れないし、自分がその人に迷惑をかけているのだ。人間社会は、そういう繋がりがあるということを、日本の教育は教えが足りない。
「お互い様」という気持ちが大事である。安心して豊かに暮らせているのは、働いて稼いでいるだけではない。社会が安定しているお陰だし、皆が働いて税金を払っているからだ。
「自己実現しないと生きる意味がない」と思っている人が多いが、社会の安定的維持に貢献することも、立派な生きる意味であると思う。社会が維持されていくために、自分がやれることをやる。決して華やかではなくても、その役目を果たしていく。そういうことが非常に重要なことである。
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コメント
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こんにちわ
表題についての説明を期待して
読ませていただいたのですが、
文中の、
「迷惑」「お互い様」
のうちの、
「お互い様」
という部分を説明するために筆者様が挙げられているのは
「負担」であって、
「迷惑」とは
似て非なるもの、あるいは、
まったく別のものです。
無論、世の中のだれとだれが、
何と何が連携して動いて
成り立っているか、
誰がなにを怠ったら、
誰がその不足を補うのか、
ということを知ることや理解すること、理解をふまえた行動を実行することと、
「迷惑はお互い様だ」ということも
別のおはなしです。
「迷惑」という言葉は
それこそ、すれちがい際に
肩がうっかりぶつかってしまうような
ものから、わざと犯す殺人まで範囲が広く、
一口に、「お互い様」という言葉で
くれるものではない、か、
括るならば、括る人がその
「迷惑」の定義を明確に言う必要が
あることかと思います。
ええつまり、ちょっと、いや、
多分にこの説明は不足があるのでは?
ということです。
こういうことの説明に不足があるうちは、所詮、
この、貴方にとって重要であろう
「迷惑はお互い様」という言葉は
現実の社会で、迷惑をかける側の
開き直りの常套句としてしか
使われないような気がしますね。
投稿: | 2012年12月26日 (水) 14時19分