国会中継を観て
参議院の予算審議の国会中継を観ながら、野党議員の数の多さを後ろ盾にここまでいうのか、本題の予算以外の、個人発言内容、その趣旨を質問し、閣僚が顔をしかめ面で答える。
「口角泡を飛ばす」というこ諺があるが、ののしりあいの劇場である。質問者は、終始閣僚の言葉じりを捉えて、補正予算の内容が分かっているのか?とさえ思わざるをえない。[「高閣に束ぬ」(こうかくにつかぬ・たばぬ) 価値のある書物などを、利用しないままで棚に仕舞い込んでおくこと。]などのことばあるが・・・。
今日の天声人語で、国会は言論の府のはずが、このところ口論の府になり下がっていないか。そんな趣旨の投書が東京で読む声欄に相次いでいるという。
パフォーマンス会場になってしまい、汚い言動で罵倒し、鬼の首を取ったかのよう、これでどうだ。言わんばかりである。それが高じてヒステリック症候群と化して自分で何を言っているのか分からなくなっている?ようだ。
後でビデオを見て反省すればいいが・・・。テレビは多くの国民が見ている。質問の内容・仕方・話し方をチェックし、評価している事を忘れてはなるまい。
国会議員の品位というものをわきまえて言動が信頼を得る。質問者は、相手を諭す位の余裕を持った心構えで話すことが、真剣さが伝わり聞く人、観るひとが好感を持ち、議論は白熱していくのだ。
ネズミ花火ではなく、静かで確かな言葉を聞く耳を、人はちゃんと持っている。与野党とも見くびるなかれ。丁々発止と口げんかの違いぐらいは、先刻お見通しである。
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