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2010年11月 3日 (水)

清貧と良寛

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08kakunodate_koyo61 「清貧」とは、辞書でみると、「私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」

通常、「貧乏」という言葉にはネガティブなイメージが付きまとうが、節制を常とし無駄な経費を使わないという点においてはむしろ高潔なイメージが強い。そうした無駄な贅沢を好まない理念を、特に「清貧」と呼ぶことが多い。

リーマンショック(2008年)が引き金となった世界的な金融危機および世界同時不況。世界のほとんどの国の株式相場が暴落し、金融システム不安から国際的な金融収縮が起きた。

人間社会のゆらぎ現象はなかなか収まらない。混沌の時代は続き、今も出口が見えない。「清貧」という言葉をあてはめて人の生き方を理解しょうとする人も多い。だが、物の豊かな時代に住む現代の日本人にとっては、どうしてもうわべの視点になりがちで、現代人の生活ぶりを云々する域を出ない。

「清貧」は食べ物や物の豊かさ、贅沢に対して質素であるというよりも、心清らかに生きる、生き方に知足の精神がこめられているかどうかということだ。貧に身を置く生活にしてはじめて清浄の心の域を得ることができる。

物への執着をあらわにする金持ちの暮らしは、迷いが多い。物に執着しない貧乏暮らしは貧困であっても心が広くゆったりとして常に安らかである。

「清貧」というと良寛が思い浮かぶが・・・、「足を知って貧にして楽しむ」、貧ほど深き隠れ家はなし、貧しい生活をしていると訪ねてくる人もない、良寛の五合庵に勝るこれ以上の隠れ家はないということだ。

良寛もこれにならって草庵を住まいとされていたのだろう。五合庵は人里の近くであるが、人間味あふれる、求道者のひたむきな生き方が時代を超えて人々の心に響く・・・。

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