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2010年8月15日 (日)

終戦記念日

Shibutoge61 昭和20年8月15日朝からよく晴れていた。広島・長崎に原子爆弾が落とされ多くの人が亡くなったと、大人の人から聞いていた。何時もあったラジオの大本営発表の、警戒警報・敵機襲来の臨時ニュースなかった。庭先にの栗の木でセミ達がやかましいほど鳴いていた。

親父が今日は、玉音放送が昼12時にあるということで、大人どうし話しって仕事が手につかない?状態であった。隣の叔父さん(清吉)が前の土手に防空壕を掘っていた。昼12時丁度近所の方が私の家のラジオの前に集まってきた。みんな頭を下げて深刻な様子で一言も漏らさず聞こうとしている姿が目に残っている。

天皇陛下のお言葉は、ラジオのノイズが酷く、波乗りのようであった。言葉の中で覚えているフレーズがある。「耐えがたきを耐え忍びがたきを偲び・・・」である。大人たちも天皇陛下のお言葉など聞いたことがないと思うが、10分ぐらい?長い放送であったように感じた。

その放送が終って、みんな暑さを忘れ青ざめた顔になり、顔の汗も拭おうともしなかった。夫々肩を落とし、ただうつむいているばかりであった。シャベルで防空壕を掘っていた叔父さんは、力なくシャベルについた泥を取っていた。

暫くして、大人の人が話し合っていた内容が恐ろしかった。「男は、牛のように鼻環で繋がれ強制労働をさせられ、女はアメリカ兵の奴隷になるのだ」と言っていた。

子供達は、好きな泳ぎもしないで、子供同士で、話し合っていた。そして久しぶりに、その夜は燈火管制もなく、家の中で家族で蚊帳を吊って寝た。母親が、兄が関東軍の騎兵隊で、満州に行っている心配だという。天皇陛下のために命を落とすのは仕方がないが・・・とがっくり肩を落とした後姿が印象てきであった。私は8歳であった。

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