人間は悩み、苦しみで一生終る
35年前のこと、私の父が私の家に来て、「どうも俺は長くはない死が近いように思う」と不吉なことを言った。そして、元気でいた父は、何日か経って心筋梗塞で、アッという間に亡くなった。
死というのは予知できるのかどうかは別として、人はいつかは死ぬのだ、ということを、だれでも知っている。しかし日常ほとんど、自分が死ぬことを意識することはない。だが、身近な人が死んだり、事故に遭ったり、病に苦しんだり、そんな時、ふと死を感じる。そして、私も老いを感じ、いつか来る、命の終焉をふと思うことがある。
普通は、日常の生活や、目の前のことに思いをめぐらしているから、意識はなが、岸壁や、高い橋の欄干から下を見下ろした時、にここから落ちたら死ぬと言う恐怖に駆られる。そして、何処か悪くて、医者にかかり、診断の結果が出るまで「ガン」→「死」と頭を駆け巡り、不安はつのる。
そして、50歳ぐらいになると、人間はいつ死ぬか分からない。ひょっとしたら明日死ぬかも知れないと口に出していうようなる。それだけ死の恐怖を意識するのだろう。人は生きていく上で、常に不安が伴なうもの地震や予測のつかない事故などで・・・。
いま年金暮らしであるが、人間関係と経済的・家族・健康(3K)など不安がある。いつかは、訪れる死の不安は、ある程度仕方がない?あきらめ?納得させるよう努めているが、その反面、心の安らぎを得たいと願う。忘れてしまいたいと振舞っても、心の底には、いつか沸々と湧き上がってくる不安を感じてしまう。生死こそが不安の根本であり、生死にかかわらないような不安は、心配や悩みにすぎない。
これからの人生をどういう生き方をすればよいのか、考えるが現実と理想でこれまた難しい問題にさしかかる。人間は悩み、苦しみで一生終る。これが人生なのだ。そして、幸せを得、心の安らぎを求め続けるが、人生なのかも知れない。
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