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2010年7月

2010年7月31日 (土)

どうなる景気

15401 私のネット・新聞・テレビニュースなどのから判断であるが・・・よく分からない。

日立製作所など電機大手8社の2010年4~6月期連結決算が30日、出そろった。エコポイントを追い風に薄型テレビなどデジタル家電の好調を受け、NECを除く7社が最終黒字に転換。東芝が4~6月期として過去最高の営業利益を記録するなど、金融危機で急降下した前年同期からV字回復を達成した。

デジタル家電向けの半導体の需要も拡大。東芝は半導体事業の営業損益が222億円の黒字となり、前年同期の362億円の赤字から大幅に改善。新型端末の需要も取り込み、期初想定を72億円も上回った。

ただ、今後の見通しについては、「欧米経済に減速感があり、先行きは不透明」(東芝の村岡富美雄副社長)と、頼みの外需の失速も懸念材料。

国内では家電製品の消費を下支えしてきたエコポイント制度が年内に終了することもあり、5社が11年3月期の業績予想を据え置いた。

日本の自動車産業では2年ぶりに1~6月でアジア・中近東輸出が好調で62パーセント増である。そして国内エコカー減税新車購入補助金の対象車が多い普通乗用車が85パーセント約240万台で、国内生産台数484万台で約半数である。

と自動車・電機各社は好調の言えそうだが、この好調さはいつまでも続かない、自動車の補助金も9月いっぱいだ。そして為替は15年ぶりに1ドル85円台と円高が進んで輸出関連企業は不安はつきまとうところだ。

中国に進出している自動車各メエーカーは、従業員の賃金値上げ要求が厳しく、予断を許されない状況である。アメリカの財政赤字は過去最大の1兆6000億ドルになる見込みだそうだ。これは景気の回復が遅れて、税収の伸びが抑制される一方で雇用対策で歳出が膨らんだためという。

この日発表された米経済指標は、第2・四半期の米国内総生産(GDP)速報値が年率換算で前期比2.4%増と、第1・四半期の3.7%増から減速しアナリスト予想の2.5%増を下回った。

30日の米株式相場はほぼ横ばいで終了した。米経済指標がさえない内容となったものの、好調な企業決算が経済指標の影響を相殺する格好となった。月間ベースでは主要3指数がほぼ7%上昇し、1年ぶり好成績となった。

という状況だが一般庶民には、まったく予想がつかない。戦闘が続くアフガニスタンで、今月のアメリカ兵の死者は60人を超えて2か月連続で最悪を記録し、タリバンが攻勢を強めるなか、戦況の悪化を示すなどで景気に影響がどうでるか・・・。また、東南アジアの動向特に中国の国内の動きにウオッチしたいところだ。

夏枯れ?・・・東京株式市場の薄商いが続き、東証1部の7月の売買代金は、1日平均約1兆2500億円と、2005年1月以来、約5年半ぶりの低水準まで落ち込んだ。

市場では「政局や景気の先行きが不透明で、個人投資家を中心に様子見姿勢が強まったため」(大手証券)との見方が多い。(読売新聞)

幼児の惨い事件に思う

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07rose_ame21 昨日大阪で、幼児二人がが腐乱死体で発見されたニュースに接し耳を疑う母親の言葉に驚いた。「世話をするのがイヤになったから」、3歳と1歳の幼子を部屋に残して出て行ってしまった・・・当然・・・死んでしまうことは分かっていたという。23歳の母親である。

確かに子育ては、現代では大変かも知れない、先だってもテレビの女子アナウサーが、育児ノイローゼで自殺で亡くなったと大きく報道された。

そんな報道に接し考えて見た。
子育ては、躾、教育での「幼児教育」の重要性は分かる。人間の基本的性格は3~4歳で決まるとさえ言われている。だからと言って、親の理想通りには育たない。ある程度子供を信じることである。「おとなしくてもしんの強い子」そして「考えて行動する自主性もたせる」ことだ。

「子どもには、やさしく接してやらなくてはいけない。心から信じて、あたたかくみちびく態度が必要だ」ぺスタロッチの「おとなしくてもしんの強い子」と言っている。

今の子は一般的には過保護に育てられている。少子化で出生率が1.37と少ない。生活水準と比例していないのではないかと思うが・・・私はちなみに7人兄弟である。

冒険心は、子供にとっては成人になる過程ではだいじであることは言うまでもない。余りのも過保護というか、どんな行為も親の指示でなければ行動がとれない、「指示待ち症候群」になってしまっている子供もいるようだ。

登校する様子を見ていると、子どもたちが横断歩道を渡るときに,黄色い旗を持った大人がはたしてそこにいる必要があるのか・・・。信号が青になったら「右を見て,左を見て,もう一度右を見て…」ということをきちんと大人が教えれば,それだけでいいのではと思う。

本当に必要なのは,もっと子どもたちが自己責任においていろいろなことをする場面なのではないだろうか・・・。

子どもが自主的に木登りをしたり,崖に登ったり、して、落っこちったっててもいい。「痛み」というものを理解するのだ。「あれは危ない,これも危ない」では子どもたちは何も体得することができない。

2010年7月30日 (金)

この地球は誰のもの

05sikotuko31 天に星あり、地上は生命の源の海があって、豊かな自然に多くの生き物が暮らしていける。そして、平等に太陽の光と甘い雨の恩恵を受けている。緑の樹海は雨と炭酸ガスを吸い太陽光線を浴びて、たくさんの酸素を出しながら、弱肉強食の自然の摂理を長い年月を繰り返し、現在に至っている。

人間を含め、動植物は、天の恵みを得て、子孫を残し年を取って静かにその生涯を将来に託して終る。この21世紀入って、地球の資源をめぐって65億人もの人間達が熾烈な争奪戦が繰り広げるようになった。

強いものが資源を独占してしまえばそれが手に入らない弱いものには死の道しか残されていない。そこまで分かっていながら、まだ開拓者時代の夢を見続けて「自由主義と競争原理の信奉こそ国を富ませ豊かな社会を実現する原動力である」などとの錦の旗を掲げて勝利の美酒に酔いしれている国もある。

何とか、思案を巡らし隙あらばその地位を転覆させようと鵜の目・鷹の目で虎視眈々とチャンスを探っている国もある。悲惨な結末に至る前に人類はそれらを乗り切って欲望を制するだけの叡智を持っているはずである。核兵器を持つことで、驚異と感じさせ、核抑止力と言う言い訳をしている国さえ出現する始末である。

しかし、こんな脅し合戦?は無意味と気がつき、制御する叡智がある。本当にやる気があるか無いかだけの話ではないだろうか? たとえばコンピューター技術などはあらゆるシミュレーションを瞬時にやってのけるのだから、流血の惨事を見る前にその解決へ向けて地球的規模でシミュレーションして出てきた問題点の解決を図る智恵を出し、手を打つことが出来る。しかもそれを誰かがやるのを待っている時間は既にない。

例えば、ロシアとアメリカの核兵器を全部使ったら地球は、破滅し生き物はいなくなると、言われている。私たちの生命の星地球は、正に環境問題を含め、今は青い地球から、黄色い地球に点滅し始める寸前にある。赤い地球になったらそれこそ、もうお終いである!

大宇宙の中の人間は・・・

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07bonchi_asayake_hi11 質量が太陽の300倍する星が発見されてそうだ。それだけで想像が出来ない。その星の数は、現在は、先に日本の探査機(はやぶさ)で(イトカワ)到達し引き返した星を含め、2000億×2000億個、つまり4×10の24乗個ということになっているという。今の人間の科学でも解明されない宇宙である。

一方地球上に、生存している生物のメカニズムも完全には解明されていないが、今分かっている基本的な考え方は、自然界に生きる全ての生物は、体内に物質を取り込み、体の構成、必要な物質をつくったり、物質を分解して取り出した分泌系、生殖系エネルギーを使って環境の変化に対応し、不要になた物質を排泄し、生活を営んでいる。と言うことだ。

地球上で人間だけが生きる権利がある訳ではない。大宇宙の時間的スケールで見ると50年なんて、一瞬の時間であるが、その50年で大きく変えてしまった。山や川に居た動植物がいなくなったのだ。人間の「エゴ」としか言いようのない仕業?他の動植物の抹殺したのである。

昨夜(7/29)テレビで、ロシアのアムール虎が、調教師に習わされて、演技をしていた映像を見たが、絶滅危惧種?30年前に3万頭もいたが、今は5千頭になってしまったという。

もっと卑近な例だと、50年前の人間の心のふるさとの風景が今は、夢物語で孫・ひ孫に話しても理解できないくらい変えてしまった。故郷の山、川には動植物が沢山いたが、現在では標本で知ることしか出来ない。

だが、川の名前・山の名前は残っている、そう言えば、私が住んでいる近くの湯殿川には20年前には、この時期「ペカン」と言っていた(地域限定?)魚がいて、網などで取れたのだ。夏休みで、朝から川に行き魚を捕ったり、山に行き兎を追ったりしたことが私の世代で終ったしまった・・・。

Oikawa121_3浅瀬で糸を流し「あんま釣り」で捕れた。

もうこれ以上は、地球上の生き物を残すことに人間は努力しないと大きな罰を受けることになることは間違いない。

2010年7月29日 (木)

太陽の300倍の質量の星

Galleryplayer16_galaxy 何日か前に、ヨーロッパ南天天文台で、これまでに知られている中で、もっとも質量の大きな星が発見された。その質量は太陽の300倍で、理論上の上限とされている恒星質量の2倍もある。また、明るさも太陽の1000万倍もある。型破りの星が持つ記録は、すぐには破られそうにない。

無数の銀河の集団がビッグバンにより泡のように宇宙の隅々にまで形成されたのが今から140億年前の出来事だそうだ。そして46億年前にその内の一つの銀河系の片隅に私たち太陽系が形成された。

この太陽系は2.5億年の周期でこの銀河系を1回転しているのだそうだ。太陽はこれから先60数億年ほど経つと赤色巨星となって地球を呑みほす程の大きさに膨れあがると言われている。

一方、生命の起源については気の遠くなるような長い年月をかけて原生細胞から植物、動物へとそれぞれ分化や進化が進み4億年前からの大隕石の地球への衝突の急増による環境の大変化にも起因してそれらの進化が更に急速に進んで来たものと考えられている。

この壮大な宇宙のドラマの中にあって、まだ1万年にも満たないささやかな出来事にしかすぎぎない。その中にあって、更にほんの瞬間とも言える百年にも満たない人間の一生である。

現代人狂奔して己を失って空を見上げず、天の川の美しさの存在などを忘れている。果てしない大宇宙の銀河の光の美しさが人の心の中で際立つような気になる。

地球から、地球の惑星の月を眺めれ思うのは、想像もつかない時間・果てしない広がり、太陽の明るさの1000倍と言う。夢でも叶わない大宇宙壮大さである。太陽が地平線に沈んだら、時にはみんなで一斉に電気を消して荘厳な夜空に輝く星々の美しさを身近に味わってみてはどうだろうか・・・。


カワトンボ

Hagurotonbom1 カワトンボ 木陰に憩い 一休み

真夏日が続き、今年の夏の暑さは、身体に堪える。

片倉城跡公園に散歩に出かけ、心地よい風がある桜の下、

ベンチに腰かけて涼んでいたら、カワトンボが菖蒲の葉に混色の羽を休めていた。

羽をゆったり動かしているので、カワトンボも暑いのかなぁーと思った。

しばらくして、太陽にキラキラ反射させて、何処かえ飛んでいった。

ペスタロッチとゴミ拾い

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1231 遠い昔の記憶に「ペスタロッチとガラスの破片」という「逸話」を聞いた?ことが記憶に残っている。それが誰から聞いたか思い出せないが・・・

今、私は古希を数年重ね多年齢であるが、町を歩いていて落ちているゴミ(空き缶・ペットボトルなど)見つけたら、拾わないと気がすまない。「お父さん止めて、みっともないからー」と高校生であった娘に20年以上前に言われたが・・・今も止めない続けている。

今思う「私がしている行為(ゴミ拾い)は、子供の頃のガラスの破片を拾うペスタロッチの話が記憶にあったからだ」かもしれない。自分で言うのはおかしいが、それだけインパクトが強かったのだ。

改めて、「ガラスの破片を拾ったペスタロッチの心 」を読み直すと・・・
スイスのある町に、一人の老人がやってきました。そして、まだ舗装(ほそう)されていない通りで、子どもたちが遊んでいるのを、ニコニコして眺(なが)めています。

そして、ときどき身をかがめては、なにかを拾ってポケットに入れています。
こういうことが、何日か続いたある日、とうとう、警官がそばにきて、「いま、なにか拾ったようだが、見せてくれないか」「これは、見せるようなものじゃありませんよ」といって見せたがらないので、いよいよ怪しいと思った警官が、手をポケットに入れそうにしたので、その老人は自分でポケットの中のものを手の上にのせました。

「なんだこれは。ガラスの破片ではないか、こんなものを拾ってどうするのかね」その老人は、子どもたちのほうを指さして、「はだしの子もいるし、ころんでヒザこぞうや手をつく子もいるので、あぶないと思ってね」あいかわらず、おだやかな語調(ごちょう)で、にこやかにしている老人に、「もしや、あなたはペスタロッチ先生ではありませんか」

と聞いた警官は、「ええ、そのペスタロッチです」と、静かに答える老人に、ふかぶかと、おわびの礼をするのでした。

これは、愛による新しい教育論を説いて、それを実践し、「教育の父」といわれた、スイスの教育家ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチの、ある日のエピソードです。

このエピソードは、月刊誌『ニューモラル』で掲載された原文のままに掲載しております。『ニューモラル』 no. 61 74.9.1 発行より

今、化学製品が地球にを散乱している、自然界がそのために破壊され、生き物が棲めない山や川となっている。環境破壊は日ごと進んでいるのは誰でも分かっている。大変だ・大変だ・口にはするが・・・関心をそらしてしまう現代人の心が分からない。この付けは大きいことを知っているのかなぁ・・・

 

2010年7月28日 (水)

消費税のこと

07akitakoma_sumire11 参議院選で、菅首相が消費税問題を争点に掲げ大敗した一つに、「消費税の10%」を打ち出した。その結果、野党の猛反発を食って、「3年間は増税しない」と強調し「発言のブレ」?が有権者の不信を買ったしまった結果になった。

「消費税」が、論議を避けられない政策課題であることに違いはない。財政危機を救うため、増税は本当に必要なのか、増税分を何に使うのか、等々が問われる。

その際、「逆進性」が大きな争点になっている。たとえば年収300万円と1000万円の人がそれぞれ年間300万円を消費した場合、10%対3%と大きな格差が生じる。

これを解消するため、低所得者には税負担分を後で還付(返還)する方法や、食料品や生活必需品については税負担を軽くする軽減税率の採用をしても、税の実質的な不公平感が解消されるわけではない。

税の徴収基本原則
1.「公平性」・・国民が税負担に不公平感を抱かないこと。 
2.「中立性」・・個人の購買意欲や企業の経済活動に悪影響を与えないこと。 
3.「簡素性」・・納税額の計算ができるだけシンプルであること。

今までの860兆円の国の借金を後世に先送り出来ない。解消し、健全財政にすることは必要であろう。その一つ消費税の問題である。それには、国民に徴税の必要性を明確に説明・納得させるかが、政権政党のみならず政治に関わるすべての者の責務だ。

政治家が何をどう考え、どう動こうとしているか 、野党は菅総理の揚げ足ばかり取っていてもことが前に進まない、日本の財政の建て直し真剣に議論し、国民の納得いく政策を国民に示して貰いたい。

熱中症

Sunflower_0041 今年は、異常な暑さを感じるが、年のせいなのか・・・数年前、「熱中症」で、入院はしなかったが経験したことがある。それは、イベントで、ご飯炊きを炎天下で長時間行った時だ。

最初は汗をかいていて、これは仕方がないと思っていたが、釜を手で持って上げ下げがかなり重かったので体力を使った。そうしているうちに、気持ちが悪くなってしまった。早速止めて家で休んで事なきを得た。

NHKニュースで熱中症で多くの方が入院し109人が亡くなっているという。先だっても盆踊り準備・実施・片付けなどの作業で炎天下作業を続けていて、妻から再三注意されている。

熱中症とは、暑熱環境において生じる身体の 適応障害を熱中症(暑熱障害)という。最近熱中症になる人が多い原因の一つに、地球温暖化に都市部でのヒートアイランド現象が加わって、その発生の増加している。

従来、学校スポーツにおける死亡事故が問題となり、スポーツ医学において最も取り上げられてきたが、最近の統計により、労働災害としての熱中症、あるいは高齢者での熱中症発生が多い。

重症型熱中症は30%以上の死亡率だそうだ。熱中症においては早期診断・早期治療が最も重要である。これからも暑い日が続く、私も高齢者の一人である。気をつけないと・・・

捨てられていた学校給食用割烹着

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昨日湯殿川の河川管理通路ゴミ拾いをしていたら、場所は、八王子農協片倉支店前から100メーター東寄りである。なんだろうこんなところに、白い包みが植え込み上に投げ捨てられていた。フェンス柵の向こう側なので、手ではとどかない。やっとの思い出柵の間から、持っていた鋏で引き寄せて拾い上げた。

中を見ると、真っ白な学校給食用割烹着であった。「なぜ」こんなところに、小学生が、学校帰り家で洗濯をするために持ち帰って来て、遊んで振り回しているうちに手元から離れて、子供手ではとどかない飛んでしまったのだろう。

拾い上げて、家まで持ち帰って来て、妻に相談して、元のフェンスに戻して置くことにした。ネットで調べたら1700円ぐらいで買えるものらしい。

近くの小学校・・八王子市立由井第二小学校である。第二小学校と言えば、今から63年前に、私が小学校四年生に現在の場所に新設され、移った学校である。そして今年、7月10日に、C・C(Clean Community)大作戦・・由井地区の小学校と由井中学校で、合同で年2回の行事である。

私も地域住民として、参加し、由井第二小学校・島方宏明校長とお会いしている。学校に届けることも考えたが、買えば安いものだし、わざわざ届けなくてもいいか、色々思案した。

私が小学校当時は当然、学校給食はなかった。弁当であるが、私の家では母親が亡くなって弁当は一度も持っていった記憶がない。

昼になったら、2・3人の仲間と一緒に、駆け足で家に帰り、釜に残っているご飯を、おにぎりにし、梅干を一つ摘まんで食べた。その時は家には誰れもいなかったように記憶している。あるときは、ご飯がないことも、さつま芋で済ませた。

私の孫は4人にいるが長男に二人、長女二人である。小学校5・4・3・2年生である。孫達は真っ白い給食用割烹着をきて給食を食べているのだろうか思いを馳せてしまった。上の写真のような割烹着を着ているのかな・・・。

2010年7月27日 (火)

無駄な知識などない

05sikotuko31 ある人にとっては無駄でも、別の人にとっては有用な知識もある。無駄だと思っていた知識に命を救われた人だっているかも知れない。自分が必要とする知識を得る為には、玉石混交のゴミの山の中から玉だけを選り分ける必要がある。

最初から玉だけが集められているなんて虫の良い話はない。無駄な知識は玉を得るための必要経費。まったくの無駄ではない。必要ない人間は生まれていないと同じように、どんな知識も、何時か必ず役に立つ。物事の判断をするのに知識が十分すぎるということはない。

必要か、必要でないかといった判断能力を身に付けるために多くの事を学ぶことが大切である。困難な問題に対処していくために、あらゆる分野の知識を備えて置くことは、決して無駄ではない。

人間形成には幅広い知識が必要で、人格武装と言うべきか、弱肉強食の社会では自分を守る知識が必要である。

人間専門分野では、人に抜きん出いるものがあっても、一般常識(知識)がないと、話題に入れない。例えば、プロ野球の選手で他の選手より抜きん出いる才能がある人に、アメリカの大統領が分からなかったでは話にならない。

ある専門分野に抜きん出る才能を持っている人は、大抵人間的に素晴らしい性格で立派な人間であることが多い。野球バカ・相撲バカとか〇〇バカと言われないようにするには、雑学もあるときは、武器になる。

ボランティアは社会に生きる人間の義務

0261 週2回(火・木)の防犯パトロールをして6年目である。町内を4.5人で拍子木を打って回るのであるが、「そんなことして効果があるのかねー」元警察の署長だった人の言葉・・・信じられない言葉に息を詰まらせる・・・黙ているしか・・・(内心八王子市の防災・防犯課にに聞いてくれ!)寒い冬の8時から約30分であるが回るのも結構辛いこともある。体の調子が悪いとき、チョットした用事があっても、仲間の人に迷惑掛かるかと思い、無理?をすることも・・・

そして町会役員で啓蒙している一人として、仲間の人には「都合が悪かったり、体調が悪かったりするときは遠慮なく休んでいいですよ」、「出れるとき協力してもらえば結構だから」と言っている。しかし、町内で一つの事業をするには、ある程度自分の時間を犠牲にすることはやもう得ない。

最近育児休暇とかで社会的に大きな話題となっているが、地域社会のためのボランテイアでも企業や公務員などにも「地域のために何かをする」で「理解が必要」になった時代である。「ボランティア休暇」制度新設?ボランティアは社会に生きる人間の義務だ。もっといえば「日本人の品格」?

社会一般が、地域活動の重要性を認知させる教育?などして欲しい。「家」・・・「地域」があって「会社員・公務員」として社会人と認める制度が必要となってきたように思う。

会社をリタイヤして10数年暇だからさせていたただいているボランテア、地域の住民のためと思い頑張ってやっているが、回りながらある家では、一家団欒の笑い声が聞こえる窓からの様子、どれだけ私たちが行っている防犯パトロールを理解しているのか、聞いて見たいときもある。

また、一人暮らしで、寂しい暮らしをしている方の家の前で元気でいられるのかなーと心配しながら通り過ぎてしまうことの罪悪感などが入り混じっている。確かに代償を求めてする行為はボランテイアではない。「効果がある」と信じてこれからも続けていきたい。そして今日も防犯パトロールだ。

ご意見のある方是非コメント頂きたい・・・。

人間愛を感じる町づくり

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08yokotesigai_yuukei21 長いこと町会理事をやっていて本当に住民の心つかんだ、行事をしているのだろうか?住民の真に望んでいることを、町会が行なっているのか?考えて見た。

今年も最大のイベントは、盆踊り大会が終った。お年寄りから子供まで参加できるイベントと位置づけ毎年継続してきたが、参加する人数は年年少なくなって来ている。他に住民の心をとらえ多くの方の参加をしてもらえる行事は他にないのか?

執行部の若返りが難しい。万年執行部で若かった人も10年以上になってしまっている。後継者がいない。その理由は、仕事が忙しい、家庭の事情、まだ転居したばかり、などある。

住民どうしの連帯感はなんと言っても、何かのイベントである。地域の伝統と文化を引継ぎ後世に継続していくことは大変重要なことだと思う。それは行事で盛り上げることだと思う。

しかし、その行事が魅力がないのか、他に何か求めるものがあるのか、関心度が薄れてしまったようだ。

他に町内会の団体で、子供会・婦人会・老人会・交通安全協会などがあるが、年々会員数が減少している。子供会は、学校が選択性であり一地区に、二つの学校に通っているので、どうしてもコミニテーが取れないという。

婦人会は、共稼ぎなどの理由で、60歳以上の方ばかりで高齢化し、老人会と変わらない?交通安全協会指導員も参加希望者がいなく、会員は70歳代となって高齢化してしまっている。

今、関東で一番住みたい街ランキングで吉祥寺がTOPだそうだ。不動の人気を誇る吉祥寺。デートにお花見ににぎわう、自然が豊かな井の頭恩賜公園があるだけでなく、ファッションビル、百貨店、家電量販店、庶民的な商店街など勢ぞろい。おしゃれな洋服や雑貨のショップあり、飲食店もずらり…と何でもあって、バランスのとれた街。新宿へも渋谷へも、電車1本で乗り換えなしというのも魅力であるという。

しかし、どうも若い人意見のようだ。果たして高齢者はどうだろう?暮らしやすい町作りは住民で作り出すものである。「環境・アクセス・利便性」という視点であるが、最も重要なものは、「コミニテー」人間愛を感じる町だと思う。

あそこの町の人は温かい人情のある町だと思ってもらえる町にしていきたいと思う。

2010年7月26日 (月)

年相応の行動

10247681 自分の力で生きているようでも、実は生かされている。

人は、飛び越えなければならない尺度を間違えることがある。自分の体力を過信して、このくらいなら大丈夫と思っていても、飛んでみたら片足が目的地にとどかず、川の中に片足を入れてしまったという経験は誰にもある。

ついつい自分で自分を信頼し、いや過信してしまうのである。年を重ねる度に過信度がストレスの原因をつくりだしてしまう。自分の身体が自分自身に対して、赤信号のシグナルを発していてもこれに気づかなくなってしまう。

身体にとって自律神経の働きは重要である。すなはち交感神経と副交感神経の働きが、バランスのとれたものであれば健康ですが、アンバランスであれば、体の働きに不調をきたすことになる。

睡眠不足、運動不足、精神的疲労、肉体的疲労等が重なり、一方で休養と栄養、適度の運動が保たれなければ、体内にひずみ、すなわちストレスが生じて、安らいだ精神状態になれない。このひずみが解消できないと、まさに交感神経と副交感神経の働きが、バランスのとれたものにならないから体調不良になってしまう。

人間の体は自分の意志に関係なく、生きようとする働きがあるから、意識せずに呼吸をし、心臓その他内蔵の働きも自分の意志に関係なく、生命維持のために動いている。自分の力によって、己の意志にもとづいて生きているようであっても、実は生かされているのである。

つまり、いくら若くて体力があるからといっても限度がある、人間は年相応の判断で年相応な行動をしなければ生きていけない。

タイミングの良さ

800pxbonbokobon1 片倉町一丁目町会(八王子市)の恒例の盆踊り大会は、24(土)25(日)の2日間、盛大に行なわれた。主催者の一員である1人として嬉しく思う。何んといっても天候しだいである。盆踊り大会は当町会として最大のイベントである。

18日のやぐら組み立ては70名近くの人の協力で無事怪我もなく、予定通り終った。天気は真夏日と暑かったが雨の心配はまったくなかった。

1週間経って24日は、舞台に提灯・花などの飾りつけを午前中に終らせ夕方6時30分~9時まで問題なく終らせることが出来た。そして天気予報どおり9時を過ぎたら、旋風吹いて来たかと思ったら、雷雨となった。しかし、そんなに土砂降りではなく、お湿りぐらいだった。

昨日(25日)は朝から晴れて暑く、6時30分ごろ雲行きが怪しくなって、稲妻が鳴り響いていた。お隣の町会では、早々中止とのことで、当町会も、しばし迷ったが、実施することに決めた。6時30分過ぎたら空が明るく、丸い月が雲の切れ間から見えるようになった。したがって、雨の心配はまったくいらくなった。

今日(26日)はやぐらに飾り付けた提灯・電気配線の取り外し、テント7張りの撤収と片付け作業朝8時から11時30分まで大汗かいたが終らせることが出来た。12時を過ぎたら雲行きが怪しくなり大粒の雨が降ってきた。

こう振り返ってみると、心配していた雨は殆んど降らなかった。後は8月1日(日)やぐら解体のみとなる。本当にタイミングがよく、ラッキーな今年の盆踊り大会であったであった。

ご祝儀が昨年に比べ10パーセント減でチョット残念であった。不景気・地域の連帯意識の低減・主催者のPR不足などが検討課題となたようだ。

一旦晴れて暑い日ざしとなったが、4時40分急に黒雲になって来た。そして乾いて埃が舞い立つ会場(片倉時田まちの広場)に、また農作物に恵みの雨を降らせてほしい。グットタイミングだ。

盆踊りの後始末

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片倉町一丁目町会の盆踊り大会は無事に終った。幸い天気予報の雷雨が外れ?パラパラ位であった。飲み物の手配数がチョット多かった。何時も思うがドキメントを記録がない。写真で、やぐら・出店(プロ・子供会)町会関係のテントの設営数と配置などが記録にない。

お絵かき書いたが(うまく書けず)片倉時田まちの広場の盆踊り設置図である。町会7張り(5張り訂正)子供会2張り、業者2張りの位置と花台の位置である。

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町会の役員の方が毎年変わるのでどうしても、記録(ドキメント)は残して置きたいものである。飲み物の手配数は良かったのか、食べ物(おつまみ)の内容・量は良かったのか、検証しなければならない。しかし、天候によって大きく左右される行事である。多少のリスクは当然ある。

何より心配していた、天候と私の体調が辛うじて維持されたのが良かった。後は勧進の後始末である。寄付をいただいた方のお礼参り、色々な調度品の残品確認と整理と保管、会場の清掃、収支決算書の作成などである。

指示の出し方、実施、確認、反省、一連を徹底して実行・ホロー、をすることが大事なことだと感じた。

2010年7月25日 (日)

正義とは・・・

05oirase31 正義とは辞書でweblioを見ると・・・
(1)正しい道義。人が従うべき正しい道理。 「―を貫く」

(2)他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。

また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、これは形式化・固定化されやすい。

そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。・・・・・何か非常に難しい。

今朝の朝日新聞の社説に、日本人の学生は、韓国・中国に比べ内向きである。と言う内容の記事があった。

米ハーバード大学でサンデル教授が担当する「正義」の授業は、日本のテレビでも放送されて話題になった。大教室で交わされる刺激的な議論とともに、驚かされるのは居並ぶ学生の多様さだ。アジア系の学生も目立つ。

しかし、その激論の輪の中に日本の学生は少ない。昨年のハーバード大の留学生666人のうち韓国からが42人、中国36人、シンガポール22人、インド20人……。日本人は5人である。 と言うものだ。

「ヘリコプターペアレント」という言葉が、大学関係者のなかで飛び交う。大学生になっても監視下に置いておきたい親が増えているというのだ。入り口も出口も国内にしばられ、親に空から見守られた中では、内向きな若者が育っていくのも無理はない。

食糧、資源、気候変動、感染症……。世界の議論に加わらなければならない難問は山積している。企業も国際的に通用する人材を欲している。次世代を担う日本の若者が、なま暖かい繭に閉じこもっていていいはずはない。 と訴えている。

自主性に欠け、冒険をしない。そして夢を持った人間が少なくなた背景が問題である。つまり、社会構造の誤った行き過ぎがあると思う。

ふれあいは挨拶から

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800pxbonbokobon1 今年も私たちは恒例となった盆踊り大会7/24・25で開催する。年々薄れてい「くふれあい精神」の大事さを感じている。そこで日頃「ふれあい」がうとくなってしまった「地域住民のふれあい」を復活させるこということで、盆踊りは最も効果があるものと信じている。

日頃は何かと忙しい人ばかりである。年に一度の地域住民による「盆踊り」で10年近くこの行事を主催するメンバーの一員として行動してきたが、住民の心を動かすことが以前のようにできなくなった。

その理由を考えると、少子高齢化の社会現象と、人口移動による生活態様の変化、生活スタイルの多様化などが考えられると思う。

私は人と人の触れ合うことで生まれる「信頼」は人間の生きる原点であろうかと思う。神戸・淡路大震災などで言われているように普段の地域の交流がない家族・人間には、救助にも大きな支障をしていたと言われる。

一人暮らし、超高齢化が多くなっている社会では、仕方がないのか・・・人間の命に係わる大きなテーマでもある。安心・安全は、行政の力も大事だが、地域住民の一人ひとりの心がけも大事で、「明るい、活気のある社会作り」はこれからも永遠のテーマでもあると思う。

ここで考えられるのは、大きな目標ではない、「一声運動」である。お年寄りから赤ちゃんまで「お早う・今日は・今晩は」の一言から信頼は高まると信じている。人に会ったら先ず挨拶である。挨拶するときに怒った顔でする人はいない。笑顔になる。笑顔は信頼の第一条件だからである。

情緒的交流の不足に苦しむ人に対して共感を示し、情緒的つながりを形成することで対象者を心理的に満足させることが、「ふれあい」の目的であるといえるだろう。

そんな事を考える「盆踊り大会」となった.

2010年7月24日 (土)

儒教と日本人の心

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24351 朝鮮民族は、むかしから、儒教の思想があって、現在でも根強く多くの人の心の支えとなっているようだ。最近の日本人は「思想・信条の自由」から何か忘れされた「儒教」の良いところを啓蒙する指導者が少なくなったように思えるのだが・・・。「儒教」について考えて見た。

儒教の徳と、言うと「仁・義・礼・知・信」の五徳である。儒教の教えとは、端的には、この五徳の実践にあるという。

「仁」とは人を思いやる心

「義」とは正義を貫く心

「礼」とは礼を尽くす心

「知」とは知恵を磨く心

「信」とは人を信じる心

であり、これを実践せよ!と云うのが儒教である。

徳にはこの他に「」・「」・「」というものもあるが、そもそもそれらを包括する「」と云うのは一体何か?
広辞苑を引くと・・・心に養い身に得たところ。人道を悟って行為に表すこと。道徳的に善い行為をするような性格の習慣。生来有する性質、天性、品性。人を感化し敬服をさせる力。

徳の原字は「」であるいう。「悳」=直+心、つまり「生まれたままの素直な心で生きること」。これが徳の本来の意味であった?

孔子の教えからきている歴史があるが、最近日本人の「心」が見えない日本民族の良いところ、活かし、日本人の「アイデンティティー」を表明することが問われる時代だ。

アイデンテイテイーを議論し日本の将来を「政治・文化・教育」を進化させ「日本の明るい社会」を創りだすこと繋げて欲しい。

2010年7月23日 (金)

守ろうよ皆の好きな町だから

23581 いま、街中には空き缶、ペットボトルがあちこちにポイ捨てされ、決して見栄えのいいものではない。この理由を聞き取り調査をした札幌のある団体の発表で、「ポイ捨てをしたのはどういう状況・理由からですか?という質問に対し、灰皿やゴミ箱が近くになかった 65.7%」という。

このように、街中に散乱するペットボトルや空き缶、これらをポイ捨てする理由として資料のような理由だそうだ。しかし自動販売機には必ず空容器の回収ボックスが備え付けられていいる。

最近、町を歩いて自販機の脇にある回収ボックスは、満杯で溢れていたり、自販機で売られていないゴミが詰まって、利用者は捨てたくても捨てられないところが非常に目に付く、そして、溢れた容器は歩道・車道まで広がっているところも見かける。

風の強い日などは、道路に散らばり交通安全にも支障きたし重大事故になりかねない。こんな状況をオナーに聞いてみたことがあるが、管理は業者に任せているので・・・との答えだった。

消費者のマナーの悪さは、言うまでもないが、設置しているオーナーの方の無責任な管理も問題である。行政の指導し、それでも改善さえなければ撤去させるくらいな条例を考えるべきだ。

この問題も環境破壊で、しいては防犯・防災にも重大事件・事故に繋がるといわれている。町に住む住民の少数の人たちのエゴで多くの人に迷惑をかけている。八王子市民いや全国の市民の方に自分達の町は自分達で守る意識を持って自分ができる環境保守は何かを考え行動を起こしましょう。そして、「守ろうよ皆の好きな町だから」・・・明るい健康な町にしよう。

先人の知恵から

3612 「己の欲せざる所は、人に施す勿れ 」

自分がいやだと思うようなことを人にしてはいけない。人間にとって最高の徳は、この教えから始まる。つまり、善行を積むまえに、まず自分の行動を慎み、全体のルールに従うということが大切である。

逆に人の嫌がる仕事を無償でする。例えば公衆トイレの掃除・老人の世話・各種ボランティアである。社会・国を構成している人びとは、どうしたら共同生活を円満に営むことができるかという共通の命題を持っている。孔子は、「まず許し合うことだ、そして自分のいやだと思うことは、人に対してもやらないことだ」と教えた。

現代社会に、この教訓をあてはめてみても、利害関係が鋭く対立しているため、実行するのはなかなか難しい。たとえば、国際関係では国益が厳しく対立している。国でも、団体や企業がそれぞれの利益のために、しのぎを削っている。

当然、共通の利益のために働く人びとは調和して、力を合わせて働かなければならないが、日本の国政でも、相互に中傷しあったり、足のひっぱり合いをしたりして、相手のいやがることばかりやっているようで仕方がない。

まとまらない議論をしていて、気がつくと対象物は、遠くへ行き去って次のテーマが待ている。と、言うように何んにも決められない。烏合衆では発展はない。

家族のなかにさえ利害関係を持ち込んで、いやな仕事を人に押しつけ、なるべく良い思いを自分で一人占めにする。このような考え方を排し、他人に嫌な思いをさせないように心掛ければ、きっと自分にとっても暮らしやすい世の中になるのだが・・・。

ゴミ拾いをしながら・・・

Hiland051 むかし、「モク拾い」と言う言葉があった。モクとはタバコの事である。篠の棒の先に、縫い針を付けて、路上に捨ててあるタバコを刺して拾う。そしてほぐして一本分にまとめ、10本にまとめ売るという商売?人がいた。最近は相変わらず、歩きながら捨てていく愛煙家がいる。私は「モク拾い」ではないが毎日タバコの吸殻を含めゴミを拾っている。

昔に比べ圧倒的に燃えないゴミ(レジ袋などのビニール容器・お菓子の袋・チューブ飲み物・パンなどの容器や、ペットボトル・空き缶)である。燃えるゴミは、タバコの吸殻・タバコの空き箱・雑誌・新聞・使ったテッシュなどである。

その物質文明の残骸?の処理が、こんな形になってしまった。これが当たり前と考えて疑おうともしない。捨てる人も、地球の寿命を縮めているか何んて考えることもなく、無意識に捨てて行く、毎日駅の近くのコンビニで買って飲みながら家に着くまでに飲んで途中に捨てる。

こんな現象は、毎朝同じところに同じメーカーに飲料缶が捨てられている。誰か拾ってくれるから?いいと思うサラリーマン、人が見ていても捨てている。一体どんな仕事をしてる人なのか気になってしまう。

これが当たり前と考えて疑おうともしない反面、陰湿ないじめや想像を絶する安易な人殺しさえも横行する殺伐たるニュースがあまりにも多い。どうしてこんな世の中になってしまったのかと深い憂いを感じているのは私だけではないと思う。

終戦直後の何もなかった時代の方が皆が空腹をこらえながら不安の中にも必死になって生きようと、貧しくとも家族や社会が結束していて、今よりはるかに愛と暖かみが感じられた時代ではなかっただろうか?

テレビは、「これでもか、これでもかと贅沢を煽るグルメ番組」や豪華でリッチな住まいの描写、癒しを求めた国内温泉旅行や海外旅行、優雅なゴルフに明け暮れる必要以上に羨望をかきたてるような映像、そして凄惨な殺人場面を織り込んで犯人を追及して行くかっこいい刑事さんのドラマばかり・・・。

まさに面白ければ良いとの野放しのマスコミの姿勢こそ衆愚社会を助長する元凶とも言える。人の心の中に知らず知らずのうちに自制心をマヒさせる退廃性が誰しも存在することにある。

いつの時代でもとかく人間は「隣の庭の芝生は青く見える」もので、他人の生活を羨望する反面、自分より劣った立場の人間に対しては平然と軽んじてさげすんだ顔を浮かべる。奢った人間は慢心してだんだん我ままが目につくようになる。

慢心している当の人間にはその自分自身の姿は見えないが、さげすまれた人間や横柄さを押し付けられた人間にとってみればささいな事でも敏感にそれを感じる。

勇気を持って、「ゴミはみんなで拾う」一人でも多くの人が拾うことが「明るい町づくりになる」。八王子市は「タバコのポイ捨て条令」を考えてほしい。

JR西日本の事故に思う

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07_sl_kurosawa21 えっ!また 事故!山陽新幹線のトンネルで保守点検用の車両同士が衝突・脱線した事故は、大混乱を招いた。安全にかかわる装置から部品を抜き取った疑いで車掌が逮捕されたばかりのJR西日本である。連日の不祥事は、規律の緩みはもとより、安全意識が徹底していないのでは・・・?

このような事故は、初めてではないと言う。衝突防止装置が開発され取り付けられているそうだ。しかし、基本は人間どうしの合図や確認は目視であろう。安全意識の気の入れ方である。 同一の区間に複数の保守車両を入れる以上、あらゆる事故を想定(予知)したり、以前の事故の教訓し、改善しなければいけない。今後は、これらを徹底した検証が必要だ。

「仕事が嫌になった」と動機を供述し、20件近く抜き取ったと認めているという。乗客の命を守る鉄道マンとしては驚くべき精神のすさみようだ。

滅私奉公、お客様あっての企業である。人間の命を預かる運送業でもある。いつどんな事故が起きるか心配度数が高ければ、利用する人はいない。仮にも、「仕事が嫌になったから」の理由で故意に行なったとしたら恐ろしく、そんな職場環境は、一個人の問題で片付けられる問題ではない。

営利優先の過密ダイヤなど、5年前の福知山脱線事故など、安全軽視の企業体質が問われているといえる。「企業は人なり」一人ひとりの安全意識を持って従事することは、もちろんであるが、言うまでもなく「安全第一」である。安全は現場だけの問題ではない。

社長以下、全社員の問題である。安全投資でATS(自動列車停止装置)や踏切内の障害物検知センサーの設置など莫大な投資をしているという。安全はどんなに強固な装備より人間の心に勝るものはない。

ケース・スタデイなどので、「ヒヤリ・ハット」の事例などを取り上げ、未然事故隠しのない職場に社長も参加し、「安全意識の高揚」を図ることだ。

2010年7月22日 (木)

知床五湖が有料になる

041 昨日「知床五湖が有料になる」NHKのニュース聞いた。「世界自然遺産の北海道知床五湖へは行ったことがあるが、出来ればもう一度行ってみたい場所の一つだ。その知床五湖が来年5月から入場を有料化にするという。環境省は観光客による植物の踏み荒らしや、ヒグマへの影響が問題になっている。入場者数を制限することを決めた。

知床五湖は、世界自然遺産の知床を代表する観光名所で、年間50万人が訪れているという。大小5つの湖に沿って遊歩道が整備されているが、歩道をはみ出した人が植物を踏み荒らす被害が出ている。また、ヒグマの生息地域でもあるため、観光客がクマに出くわして襲われることになれば駆除する必要もでてくる。

入場を制限する期間は、5月10日から10月20日の間で、対象は地上部分と高架上に設置された2つの遊歩道のうち、地上の遊歩道を利用する人になる。

ヒグマの出没が減る8月1日以降は、ガイドの引率は必要ありませんが、入場者数を1時間当たり300人、1日で3000人以下に制限するという。

貴重な自然を守るだけでなく、豊かな自然環境で成り立っている観光地なら、人数制限は当然だと思う。 自然を保護する新たな仕組みを作るのはよいことだ。有料になっても利用客は十分払っていただけると思う。

最近の日本人のマナーが問題である。私一人ならとか、ゴミの問題、貴重な植物を盗掘したりする人間が後を絶たない。当然監視員を配備を考えなければいけない。そして、ガイドの付けなければ、悲しいかな自然は保護出来ない。

生きる権利と子孫繁栄に義務

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07_sl_kurosawa21 生きとし生けるもの全ての生命は生きる権利があり、子孫を末代まで繁栄させる義務がある。人間だけのエゴで、人間だけが生活向上めざし、生物共有の資源の消費を増やし、人間のエゴのために絶滅していった生物が数多くいる。

資本主義社会の行きつく先は経済破綻か環境破壊かいずれかしかあり得ない。原子力発電は必ずしもクリーンエネルギーではない。原子力発電所のタービンを冷却する為には莫大な水が必要である。冷却するためには電力が必要で、冷却時は水が蒸発する。熱水が海、河川へと流される。エネルギー効率は30%で70%は無駄になるという。核廃棄物は地底深く埋められる。

この地球上では、いまも繁栄を謳歌し、もう一方では飢餓に餓え、所得も無く死んでいく人々が多数存在している。彼らは先進国の犠牲者でもある。

ガソリンが安くなって道路を走る車が増え、二酸化炭素排出が増加すれば温暖化が早まる。現状は、景気を良くするために高速道路通行料を千円にした。景気を優先させるか、環境を守るかが大きな問題となってきている。まさか繁栄のために環境、生物を犠牲にするわけにもいかない。

補正予算などで公共工事予算が積み上げられて、森林、里山、河川が破壊されていく現実。一度破壊した環境、生物は二度と還らない。もし、公共工事で環境を破壊するのなら、破壊した環境と同じ規模の森林、河川、里山などを作る事を義務付けを検討すべきだ。


2010年7月21日 (水)

午睡

Hangesyo_06c1213cv1 焦げるような暑さ、今日はニュースで日本列島「猛暑」軒並み35度以上群馬県伊勢崎市では38℃?と言う、茹だってしまう暑さだ。午前中、ボランティアのゴミ拾いを2時間して道路歩き回った、汗が吹き出てしまったランニングシャツは絞ったら汗水が出るくらいだあった。

「言うまいと思えど今日の暑さかな」である。さすがに午後はクーラーを効かせて午睡した

「母むかし 後ろ姿や 夏の帯」 

「半化粧 香り重たき 谷戸の家」 

「北西に 稲妻光り 午睡覚め」 

2年前に亡くなった義母はいつも着物を着ていた。夏でも浴衣に夏の帯をして、キッチリとした格好でいた。お勝手で調理する後姿が目に浮ぶようだ。お盆は7月15日で終った。

谷戸と言うと、昔を思い出す、私は生まれも育ちも、そして今住んでいるところも同じ町である。当然地名などは変わってしまったが、昭和30年に由井村から八王子市に片倉町と改名された。

その前までは、南多摩郡由井村片倉・・・であった。字とは言わなかったが、ローカルで、川久保・時田・釜貫・車石・台・只沼・など谷戸名で呼んでいた。山あいにあった部落には農家の家がひっそりと草葺屋根であった。今も昔の面影がある場所もある、そんな家の垣根の中に半化粧が咲いていた。

入梅があけると、夕立北西の積乱雲が立ち上り稲妻とつむじ風の伴ない雷雨となって大粒の雨がトタン屋根に大きな音を立てて、降ってくる。

一人でも協力して欲しい

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09hirugao31 地域に住んでいるから、出きることは地域のためにお役に立ちたい。昔と違って、地域のコミニテーなどが薄れていき、地域のために時間を使うことが少なくなって、お隣どうしのお付き合いも面倒という風潮である。

盆踊りや、お祭りなどコミニテーを創る場を提供して無関心で、「好きなものが勝手にしすれば・・・」である。地域の清掃作業でも、「私は関係ない」である。

地球環境の問題・貴重な野生生物の消滅など深刻な環境破壊は、関係するお役所の話ではない、今住んでいる地球上の人間の義務である。歩きながら食べて、飲んで草むらに捨てるパンの袋・空き缶・ペットボトルなど、自然に溶けて無くならない。

今日も、歩いていて、空き缶・ペットボトル・食べ物ビニール包装など40リットル袋に一杯拾った。自分の家の中に捨てはしまい。道路・河川は、ゴミ捨て場所ではない。

公園に空き缶・ペットボトルが散乱していた。遊んでいる子供にその空き缶・ペットボトルを片付けてね!と言ったら、「それ僕達が捨てたものでないから・・・」と言った。

私は黙って拾った。「皆きれいな公園の方がいいだろう!みんな協力してくれよ」と言ったが返事はなかった。

「老後は都会」で・・・

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271 「老後は都会でが大多数・・・田舎暮らしに不安を抱く」と言う見出しでJ-CASTニュースに載っていた。サラリーマンを引退し、田舎で自然の中で暮らし、今ま出の慌しい生活からのんびりした人間本来の生き方?を考えている人は多いだろう。しかし、現実を知ると、そう簡単なものではない。

65歳で、いま住んでいるマンションを処分して、地方の田舎に転居して、元気のうちは、いいが、人間関係を始め、環境のになじめないことに気づくことになる。それでも健康でいれば、乗り切れるだろうが、もし、病気になったら、病院は遠い、買い物は出来ないと不安である。

そんなことから、国土交通省が2010年6月30日に発表した住まいに関するアンケートでは「老後は田舎よりも都会に住みたい」と考えている人が73.9%と圧倒的多数だった。

自然に恵まれた地方よりも、娯楽施設や医療・福祉施設などの各種施設が充実し、交通アクセスの良い都市部に住みたいという結果だ。

報道やネットを見ると、老後は田舎で暮らしたい、というが主流に見える。しかし、75歳を過ぎて車の運転が難しくなる。東京でずっと暮らしたいと考えるのは当然だ。

すぐ近くに大きな病院がいくつもある。タクシーはたくさん走っている。が田舎ではない。車がないと暮らせない、という理由だ。そして、過疎化が急速に進んだことが大きな原因だ。地方経済は疲弊し、若者は都会に出て人口が減少。大手スーパーが撤退し、買い物にも支障が出ている。

田舎は都会と比べ人間関係のストレスは少ないものの、周りは老人だらけ。コミュニケーションを取ろうとしても、家が離れていて、いざというときの交流が難しい。

超高齢化に、暮らしを考えると、政治の出る番かなー

2010年7月20日 (火)

蚊帳のこと

Midori1 今、夫婦の二人暮しである。そして自分の部屋で独りで寝てもう15年も経つが、独立してから40数年、蚊帳は全く使わなくなった。網戸と蚊取り線香を使う生活に変わった。雨戸はキッチリ閉めて寝ている。今でも蚊はいる。庭の草取りや植栽の剪定などは必ず射される。

昭和20年代の私が子供であった頃私は、生まれも育ちも今の町、八王子市片倉町である。その頃を思い出すと・・・本格的な夏の暑さになると夜になって家では雨戸や障子まで全て開け放って寝ていた。

今では開け放って寝るなどというと、平気で人を殺してしまうような凶悪な強盗が押しこんでくるようなことを警戒しなければならない世相であるが、当時は子供心にも盗られて困るようなたいしたものは無かったと思う。一般的でしたので平気で開け放って寝ていた。

家の近に竹藪や水田があり小川も流れていた。そして、牛や山羊を飼っていたので、どこからともなくたくさんの蚊がいた。裸電球を消して真っ暗の中で寝ようとすると「プーン」というかん高い蚊の羽音が聞こえてきたのがいまだに耳に残っている。

夏と言えば蚊取り線香の煙と臭いが脳裏に残っている。でも風向きによっては煙の間隙をぬってむき出した手足を刺された。

そこで夜には必ず蚊帳を吊って寝た。高い天井の八畳の間の四隅から紐で吊った麻か萌黄で作ったゴワゴワした蚊帳の裾を少したくし上げて背を低くしてかがみこんで滑るようにして敷いてある布団の中に入った。

麻や萌黄で編んだ蚊帳に入れば穴や隙間が空いていない限り、完全に蚊どもをシャットアウトできたので安心してぐっすりと眠ることができた。網の目が細かいので蚊帳の中には蚊だけではなく風も入らない。

家族が頭を並べてである。朝目が覚めるとに兄や妹のお腹に足が乗っていた。必然的に本来蚊帳というものは部屋を全部開け放って吊って寝ることが普通の生活であった。雷様が鳴ったらお袋が、蚊帳の中に逃げ込めば大丈夫と言っていた印象に残る。

車の騒音もなかったし、天井裏に時たま走る鼠の足音がするくらいで、夜は大抵静かであった。部屋の蚊帳の中にかすんで差し込む月の光に包まれて団扇を扇ぎながらウトウトと、そしていつしか深い眠りに落ちて行った遠い昔は心豊かな時代でもあった。

キム・元死刑囚の来日

041 膠着している、北朝鮮拉致被害者ご家族の悲願である。30年前に突然連れ去られ、それ以来一切音信不通で、安否を気遣うご家族の皆様を思うと堪らない。一縷の望みを賭けキム元死刑囚を呼び、どんなことでも情報を聞き出したいということは、横田めぐみさんご家族の皆さん始め、多くの関係者願いである。

大韓航空機爆破事件の実行犯で、「拉致被害者の横田めぐみさんと北朝鮮で会っていた」と証言しているキム・ヒョンヒ元死刑囚が、20日来日するという。キム元死刑囚が海外に出るのは爆破事件以降初めてで、拉致被害者の家族にどのような話が伝えられるのか注目される。

拉致問題を進展させたとアピールしたい与党の思惑もある。元死刑囚から新たな情報がもたらされる可能性は低いと思うが、「拉致問題への関心を高め、解決への機運を盛り上げることが目的」だと思う。

08年に北朝鮮への強硬姿勢を打ち出す李明博(イ・ミョンバク)政権が発足して状から、連携姿勢を見せたい日韓両政府の意向が一致し、昨年3月には、田口八重子さんの家族との面会が実現。今年4月には、97年に韓国に亡命した黄長(ファン・ジャンヨプ)・元朝鮮労働党書記が来日している。

海外は勿論、来日は始めてで、日本の法律でも問題があるというが、法務大臣の裁量で入国を特別に許可することを決めたという。また、キム元死刑囚は爆破事件の際、「蜂谷真由美」という日本人名義の偽造旅券を使っていた疑いが持たれているため、通常であれば入国にあたって日本の警察当局による事情聴取の対象となるそうだ。これについて警察当局は、面会を実現させたい政府の意向を優先し、事情聴取は見送る方針という。

横田めぐみさんのご家族にお会いになられ、少しでも心が休まることが出来れば・・・そして拉致問題が進展する事を祈るばかりである。

土用入りに・・・

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035571 今日は、土用の入りである。いよいよ、もっとも厳しい時節に入ったわけだが、エアコンも扇風機もない時代から繰り返し乗り越えてきていることを思えば、暑いのは夏の取り柄なのだとわずかに開き直る心持ちにもなる。しかし、昨夜は今までにない寝苦しさであったのは、私だけではないと思ったのだが・・・汗でシーツまで濡れたようだ。

この時期、朝日の出るまえが身のしまる涼しさを味あえるが、天気が安定している時期は、朝曇の日が多い。「日照りの朝曇り」という言葉があるように、明け方どんよりと曇っていても、日中は、身を持て余すような炎天になる。

高気圧に覆われていると風が弱いため、夜間は上層より下層の空気が冷え、雲ができやすくなっていて、いっとき朝方は曇っているが、日射により雲はみるみる消えてしまうというれっきとした気象現象である。

打ち水、特に夕方に撒く水は涼を呼ぶ、縁台、浴衣、線香花火、団扇、月見、は昔の下町の風情で懐かしい。

そういえば、月面着陸した日である。1969年(昭和44年)の今日世界注目の中でアメリカが打ち上げたアポロ11号が月面に着陸し、人類がはじめて月面に立った。アームストロング船長は「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な一歩である」とのメッセージが印象的だった。

それにしても、うなぎでも食べて暑さを乗り切りたいところだが、そのうなぎが高騰しているという。人口孵化して養殖を考えて、研究が進んでいるとか・・・うなぎの生態系は産卵は太平洋の深い海という不思議な生物だ。いまだに解明されていないという。

天気予報では各地で気温35が出ている。今日も暑いぞ・・・頑張れ!!

2010年7月19日 (月)

海の日に思う

05detohama11 今日は別に海水浴の日ではない。単に、“海で遊ぼう”と思っている人も多いのでは・・・。

明治9年(1876)、明治天皇は、50日をかけて東北地方を巡幸されたが、この時、はじめて船に乗船された。7月20日は、青森から函館を経由して横浜に到着された日だという。この日は、長く「海の記念日」と呼ばれてきたが、平成7年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になった。

日本は、四方を海に囲まれた海洋国家で、海なくして日本の繁栄はない。海の恩恵に感謝し、さらに、明治の国づくりに思いをいたし、この日を迎えたいもである。

海難事故は、1912年タイタニック号の2200人犠牲、1945年4月に日本の浮沈といわれた戦艦大和の沈没、そして1954年9月に青函連絡船洞爺丸沈没出1200人の犠牲が記憶に残る。

地球上の海と陸の割合は7:3である。陸では世界中繋がっていない。海で世界中の国に行ける。人間も生物も古代は海から陸に上がって進化したものだという。日本列島は太平洋・日本海・オホーツク海で囲まれている。海なくしては、現在の文化・文明はあり得ない。

海といえば、世界で問題になっている、ソマリア沖の海賊船である。このところニュースで、NATOから海賊船の安全確保で給油船の派遣の要請が来ているという。そして、イスラエルの対応に疑問を投げかけている、トルコ船の人道支援物資船の荷物まで没収するというイスラエルの態度はガザ地区のパレスチナ人に大きなダメージを負わせている。

国連でもあいまいな、議長声明の「この問題は遺憾だ」に止めて置くだけは、不公平を欠くと思う。やはりアメリカのあいまいな政策がパレスチナ対イスラエルの対立の構図を長びかせている。

私は、小学校の遠足で江ノ島に2クラスでいった、始めて見る海の広さに感動した記憶がある。そして、映画「老人と海」むかし見た強烈な印象。最近話題になっているイルカ漁告発の米映画、アカデミー賞 「ザ・コーヴ」である。

海は人間本来のDNAが沁み込んでいて、海なくしては現在がない信じている。

身体にハンデがあっても・・・

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07rose_ame21 人間は、一つの部位が悪くても生きていけるものだ。例えば片方の耳が聞こえなくても、普通に生活?出きる。私も、左耳が聞こえないが普通の生活をしている。

ジャーナリストの鳥越俊太郎さん、コメデアンのコロッケさん、俳優だった故石原裕次郎もそうだったという。NHK朝ドラの「ゲゲの女房」の水木シゲルさんは、戦争で片腕をなくした。それでも、繊細なプラモデルの戦艦を作ったという。

そして、水泳の五体故古橋広之進選手は右手中指がなかった。体のどこか不満足でも、健常者以上に、立派に生きていられる方もいる。三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人であるゴゼもそうだ。それだけ、人間のある部位のハンデを克服する努力をしている。生きるための工夫をするものだ。

話は違うが、今、iPS cell=induced pluripotent stem cell(人工多能性幹細胞)で京都大学の山中 伸弥教授の研究が世界中で注目されている。

生物は骨も筋肉も角膜も視神経もすべて細胞でできている。そして、iPS細胞はすべての細胞に分化できる「全能性」がある。これこそが「万能細胞」と呼ばれる。

だからといって、どんな細胞にもなれるからすぐ治療に使えるかというとそういうわけにはいかない。治療に使うにはまず万能細胞を適切な条件で培養しなければいけない。培養の過程で分化誘導をかけてやり、目的の組織を作り出すわけである。目的の組織を作り出した後は、それを移植する手術をしなくてはならない。

現段階では、iPS細胞がガン化しやすい性質を持っているという問題、iPS細胞のコントロールがまだ完全ではなく、臓器再生には程遠いという問題、生殖細胞に分化する可能性もあることから倫理的な問題、など課題が山積みで医療への実用にはまだまだ時間がかかる。というのが私の理解している内容だ。

傷口に細胞を与えるとみるみる傷が再生する・・・という日もいつか来るかも知れない・・・がクローンを作成出きる。しかし、クローン人間に関してはiPS細胞が樹立されるずっと以前から作成を試みることは可能だったのだが・・・。

2010年7月18日 (日)

蝉の鳴き声で暑さはヒートアップ

15401 照りつけて ジージーと焦げる 蝉の声

ジージーと蝉の鳴き声を聞くと、ただでさえ暑いのに更にヒートアップした暑さになる。

「言うまいと 思えど暑い 梅雨の明け」、梅雨明け2日目、朝から快晴・午前中に30度を超える暑さ、いよいよ夏模様だ。入道雲・夕立・ひまわり・蝉・夏虫が似合う夏である。

蝉といえば、我が家の庭に幼虫の抜けがらが、毎年あちこちに見られるが、庭木で鳴きだしたにいにい蝉の声を聞くと、もう成虫に・・・。

窓を開けて見ても、熱風が来るようで効果ない。扇風機を全開で暑さをしのいでいる。蝉といえばむかし、親父がミンミン蝉が7月25日に鳴き出すと、「平年並み」陽気だと言っていた。その事を気をつけているが近年は8月を過ぎないと鳴かない。

また、夕方から鳴きだす、クツワムシの存在が不明だ。むかしいた川の魚のどじょう・ふな・はや・かじかなどの消滅してしまったように、虫たちも住めなくなった環境破壊が進んでしまった。そして、蝉の種類も少なくなったのだ。

盆踊りのやぐら建て

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片倉一丁目町会では、毎年恒例となっている「盆踊り」を実施している。そのやぐら建てを、今日行なうのである。場所は、片倉時田町の広場。昨年は町会の方の参加は70数名だった。

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材料は20センチ・長さ7メートル位の太い丸太を4本を立て正方形に組み地上か1.8メートルぐらいのところに踊り場をコンパネで床を張るのである。そして、「花かけ」(お祝いをいただいた方の名前を書き出す)立て板(コンパネ20枚ぐらい)建てる。別の日(24日)に、舞台となったやぐらに四方に竹花を飾り四方に提灯を張り灯りをつけるため、電線を設置する。

作業は、8時から11時30分を予定にしている。心配なのは、作業は、町会の理事の方にお願いするのであるが、見んな素人方で怪我の心配である。また、今日は気温33度になるという予報である。熱中症も心配である。

注意しなければいけないこと。
①丸太が重いので4.5人の共同作業である、合図を徹底すること。
②経験のある方の指示に従うこと。
③熱中症の注意すること。
⑤休憩を取り途中で休みをいれ熱中症に気をつけさせる。

  “怪我は絶対にしない!ようにしたい”

2010年7月17日 (土)

梅雨明け宣言だ

E6_01xga 長かった梅雨が明けて日本列島あちこち大雨の被害を残して、気象庁は今日、広い範囲で梅雨明け宣言した。空は抜けるような青さ、突き刺さるような陽射しは痛いほどだ。

この光景を見て思い出す,・・・親父がいつも言っていた・・・「東南東に入道雲が湧き上がり、やがて、真っ黒な雲が風を伴なって、雷雨となり、一気に西北に向けて走る抜ける。そうすると梅雨が空け、夏本番となる。」と言った。

考えてみれば理屈に合っている。太平洋の高気圧が、今まで日本列島を支配していた大陸の高気圧押し上げる現象であるのだからだ。

真夏の焼け付く太陽を見ると、終戦の8月15日と、お袋が死んだ日である昭和24年8月13日の昼だ。いずれも今日のように、よく晴れた暑い陽射しが容赦なく照らし、アスファルトが溶け出していた。重たい空気は、子供だった私も深刻な表情の大人たちであることが理解できた。

その太陽は今も同じで変わっていない。梅雨が明けると、各地域で盆踊り・お祭り・花火大会と人々は涼を求めて、暑さを紛らす、夏は、夏らしく暑いのがいい。

フランスの水

Taka0611   フランスの コップの水や 梅雨の月

フランスの水を飲むなんて、50年前には、考えられななかったが・・・、

循環器科に診てもらったら、水を一日1・5リットル飲みなさい。水でも、国内産は軟水でありので、ヨーロッパ産でフランスのヴィッテルまたはエビアンで、天然カルシウムとマグネシウムのバランスがいいナチュラルミネラルウォーターを飲みなさい。

硬水でありながらミネラル含有量が適度であるため、飲みやすく、不足しがちなミネラルを補うことが出きる。乳製品・卵・油類の含まれる食品は避けるように言われた。最初で2箱1.5L×24本を買って飲んでいたが、水にこだわらなくても?と思い、勝手に日本の水道水を飲んでいる。

循環器科で言う動脈硬化の対策で、確かに油分・コレステロールなどを含む食料は避けることが望ましいことは分かるが、フランス産を指定は、ちょっと変だ。勝手に止めたが、水道水を毎日飲むようにしている。そして、食事に気をつけている。一ヶ月後の採血した結果が気になるところだ。

今日の昼のニュースで、17日は西日本と東日本を中心に高気圧に覆われて青空が広がり、気象庁は「九州北部と中国・四国地方、近畿、東海、北陸、それに関東甲信が梅雨明けしたとみられる」と発表した。 今夜は上弦の月が見られるだろう。

誤まりは人間だから・・・

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Aaoooogaha1_2 誤まりは人間だから・・・神・仏でないない限り・・・

森繁久弥さんが、生前テレビでこんな事を述懐されていた。それは「屋根の上のヴァイオリン弾き」という森繁さんの十八番のミュ-ジカルの上演されていた時のこと。

舞台で演じている俳優さんにとっては、観客がどのような反応をしてのか、喜んでいるのか、そうでないかが手に取るように分かるそうだ。それがまた俳優さんたちにとっては励ましとなったり、勉強になったりするという。そんなある日のこと、舞台とお客さんの気持ちがぴったりとかみあって、たいへん気持ちよく演じることができた。

ところが、最前列に座っていた、ある一人の男の人だけが、初めからまったく顔を上げようとしなかったた。舞台の方を全然見ようとしない。森繁さんの方はその人のことが気になって、一人でいらいらしながら演じていた。

やがて、最後の幕が降り,そのとたんに我慢が出来なくなっていた森繁さんは、ステ-ジをかけ降りて、その男の人に近づいて尋ねた。そして、思い切って「さきほどから拝見していますと、あなたは、顔を伏せたまま、舞台の方を見ようとなさらぬ。私の演技のどこにいったい不足があるのか、遠慮なく教えていただけませんか。?」

その森繁さんの問いにその男の人はゆっくりと顔を上げて、森繁さんに顔を見せた。すると、その人は盲目の方であったのだ。そして、見るとその男の人の両方のほほに幾すじもの涙が流れていた。森繁さんの問いかけに対して、次のように答えたという。「ごらんの通り、私は盲人です。全盲ですから、舞台の上を見ることはできません。しかし、さっきから、あなたの演技にひどく感動して・・・・、身動きができずにおりました」・・・。

それを聞かれた森繁さんは激しい衝撃に打ちのめされて、絶句したそうです。「ああ! 私はまだまだ駄目な人間だ・・・)と心から叫ばずにはおれなかったそうだ。

人生の酸(すい)も甘いもなめつくされ、俳優としても完成に近い演技をされ、最近では愛する息子さんを亡くされ、人生の悲哀を身をもって経験してこられたこの森繁さんの顔にじっとりとにじみでていた苦悩のかげりに中に、本当に尊い、本物に触れる思いだった。

人間はどれほど辛いことを経験され、辛酸をなめつくしてきても、まだまだ人間のことも、人生のことも知り得ない、そしてただ推測しかできない。そして、その推測もしばしば的外れであったり、ある時には邪推であったりして、人を傷つけてしまう哀しい存在なのだと感じさせられる。

2010年7月16日 (金)

もう夏だ。見よ入道雲を・・・

Sunflower_0041 見覚えの あの入道雲の 白きこと

今年の梅雨は、九州や山陰・岐阜などが集中豪雨に見舞われて、崖崩れや浸水などで大きな被害が出たという。その梅雨もそろそろ明けると気象庁の見通しだ。東京地方は特に八王子市などは、幸い豪雨もなく、むしろ空梅雨?状態である。

今日の東京地方は、朝から晴れて青空が眩しかった。昼頃北東の空に入道雲が舞い上がり、夏本番模様であった。真っ白な積乱雲が西日に当たって輝いて、見ていると生きているように、形が変わるのである。

仁王様が、怒ったり、怒鳴ったり、にらめつけたり、また優しく微笑んだりの表情になった。そろそろ蝉の声が聞こえてきて、虫の声も聞こえてきそうだ。

夏の花「ひまわり」の花が咲き出した。今日は夏日の32度で今年の最高気温だった。

時代と3Kと称される言葉

287_field111 「3K」と称される言葉が多い。そして浮き沈みの多い時代で3Kの言葉は、浮いては消え、浮いては消える。時代は流れに身をまかせて・・・

「2010参議院選挙民主党マニフェスト」に。「強い経済、強い財政、強い社会保障」を強調、この実現こそが日本再生の道だと主張した・・・3K

私が常日頃思っている日本の、社会保障の将来と・・・「金・健康・家族」看護・介護・介抱(開放)の・・・3K

かつての日本の国家財政に巨額の赤字をもたらした元凶は「国鉄・健康保険・米」だ。女性が結婚相手に求めた「3K」は「高収入・高学歴・高身長」。そして「顔・金・車」の「3K」まで付帯条件になった。

バブル経済時代初期に「就職したくない業種」の「危険・きつい・汚い」。ITサービス業界では「きつい・帰れない・給料が安い」で敬遠された。そして昨今話題になる「草食系男子」の特徴は「小ぎれい・こだわる・枯れ気味」だそうだ。

鳩山政権が「輝きある日本へ」をテーマに掲げた2020年までの10年間の経済成長戦略の重点分野は「環境・健康・観光」。ところが、内閣はいま「景気(経済)・基地問題・金(偽装献金問題)」に翻弄された。

消費生活面では、かつては「かわいい・カッコいい・気持ちいい」。が商品選びのキーワードとされた。しかしデフレ経済のいま、消費行動の特徴としてあげたものは「堅・賢・嫌」だ。

合点がいかぬ

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08yokotesigai_yuukei21 民主党の小沢一郎前幹事長の資金管理団体を巡る事件で、東京第1検察審査会が07年分の収支報告書の虚偽記載容疑について「不起訴不当」と議決したことで、強制起訴につながる「起訴相当」ではなかったことに小沢氏側からは安堵の声が漏れている。(15日・・毎日新聞)

不起訴処分とした検察の双方にとって極めて厳しい内容である。だが「起訴相当」と異なり、検察が再捜査して改めて起訴を見送った場合、事件は終結することになる。

議決を真摯に受けて、検察当局は再捜査すべきである。以前のように「うやむや」にしてはならない。日本の過去の政治家の姿勢であった。権力で抑えてしまう風潮では民主主義の発展はあり得ない。

今日の各誌の社説(抜粋)・・・
朝日新聞・・・「不起訴不当」―市民の声に耳を澄ます。

主権者である国民が司法に参加することで、司法の基盤は強まり、民主主義の発展をもたらす。そのことを再確認できる内容といえる。制度をより良いものにするための細部の見直しや検討は必要だが、市民の判断力を低く見たり危険視したりするような主張にくみするわけにはいかない。

今回の議決は強制起訴に結びつくものではなかったとはいえ、小沢氏は政治的責任を免れるわけではない。

読売新聞・・・第1検察審議決 小沢氏不起訴にまた疑問。

第1検察審は、「秘書に任せていた」という小沢氏の弁明を「不自然である」と言い切り、検察に、これまで以上に徹底した捜査を迫っている。報告書への不記載について、小沢氏に報告し、了承を得たという石川議員や別の元秘書の供述を信用できるとした上で、小沢氏に対する検察の聴取を「追及不足の印象は免れない」と批判した。

元秘書や小沢氏から、行動を記録しているはずの手帳やメモを提出させ、事実関係の裏付けをとるよう求めている。市民から選ばれた審査員が、捜査方法にまで注文を付けるのは異例のことだ。

毎日新聞・・・検審「不起訴不当」 小沢氏はやはり説明を。

まずは、議決の指摘を踏まえ、検察は再捜査を尽くす必要がある。また、小沢氏は今回の判断を受け止め、会見を開くなどして改めて国民に分かりやすく説明すべきだ。

先月閉会した通常国会では、小沢氏が衆院の政治倫理審査会に出席する話も出ていたが、菅直人首相に代わり、選挙対応優先の中で「政治とカネ」の問題がうやむやになってしまった。菅首相や枝野幸男幹事長の対応も改めて問われる。

検察審査会のあり方にも注文したい。どんな議論をしたのか説明がないため、証拠の内容や評価が第三者には分かりにくい。議決要旨では認定内容について数行程度の記述で「~のはずである」などと記述するが、強引な印象もぬぐえない。

やはり審議について情報公開が必要だ。第5審査会の2回目の議決に向け、その方法を工夫してほしい。

2010年7月15日 (木)

滅私奉公の意味

06oga_toga11 「滅私奉公」という言葉がある。意味は、私心をなくし公に一身をささげて仕えることだが、この言葉も使い方によって意味が違ってくる。

「私」が「公」を思いやる自発的な奉公であって、恐らく本来の滅私奉公的思想と考えてよいかと思う。だが、世の中は変化していき、いわゆる「滅私奉公」の考えは、「軍人勅諭」(明治15年発布)や「教育勅語」(明治23年発布)などに見られるように、この場合の「公」とは天皇や国家の意味であり、天皇の名の下に発布されたものだから、上からの強制にあたる。

「滅私奉公」的考えが上から強制され、しかも教育の現場でそれが実行されると如何なる事態となるか、65年前の日本国民全体が人体実験させられた。このように「滅私奉公」的考えが「私」の立場から発せられるか、「公」の立場から発せられるかで、全く違う意味となってくる。

「公」が、いわゆる「公共」の意味の場合では・・・。

米国の社会学者チャールズ・A・ライクは『システムという名の支配者』(広瀬順弘訳、早川書房、一九九八年)の中に書かれているそうだが、私たちが全身麻酔で手術を受けるとき、あるいは航空機の乗客となるときなど、医者や操縦士といった専門家に身をゆだねることになるが、そうした場合に、「専門家は自分を信頼する人々の利益に個人的な利益や都合を優先させてはならない」と言っている。

つまり、専門家が最優先すべきものは公衆の安全や健康、福利といったいわゆる「公」の最重要部分であるとの指摘である。もっともなことである。正しく「滅私奉公」的考えが述べられているものと思う。

ところが、最近の日本では、政治家の「政治とカネ」の問題も国民には納得いかず、日本振興銀行が金融庁の検査を妨害したとされる事件,や、台湾や中国産のウナギかば焼きを「愛知県産」と偽装し販売したとして、家宅捜索が入るという。そうした事件が後を絶たない。

これは、軍国主義時代の「滅私奉公」が否定されると、短絡的にその反対の「滅公奉私」を私生活優先の考えに走り、「公」という倫理観が薄れてしまう風潮の中での出来事のように思う。

原野では生きれないくせに、柵が壊れたからと外に暴れ出て、好き勝手をしているあわれな家畜の如くであると言うことか・・・。何故か、「花語らず」・・・黙って咲いてそして散っていく・・・頭に浮んだ。
  

花は黙って咲く

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2054421 昨日は、雨が降ったり、日が射したり変わりやすい天気だった。そんな雨が止んだ午後「湯殿川」コスモスの手入れをした。何時ものように二人で・・・。

川は人間が住む条件の一つで生活でも心の支えでも、川は昔から上手に利用してきたものだ。私の住む町八王子市片倉町は、昔は山紫水明で山には「うさぎ」・川には「ふな」が済んでいて子供の頃は追いかけていて歌の「ふるさと」そのもであった。

今は護岸工事や開発などですっかり姿が変わった「湯殿川」になってしまったが、人々は昔を想い、少しでも取り戻そう国や市で予算付けしているが住民の思いに充分副えたとはいえない。

八王子市では「協働」を推進している。何かをよくするには、行政・民間で一緒に汗をかこうとということだ。それならば、私たちの住む、八王子市片倉町を流れる川「湯殿川」を甦みがえさせるということで年1回であるが、市の呼びかけで、「川の清掃デー」計画され、わが町会の皆様にも呼びかけ150人近くの方が協力していただいている。

また、近くの住民が「湯殿川」にコスモスを植えて秋には見事に咲いたのが始まりで、そこは毎年コスモスを植えて、前年に咲いた種が落ちて、コスモスが芽生えてくるのである。

自然ままで置くと春・夏雑草が伸びて1メートルぐらい被い尽くしてしまい、小さな芽生えたばかりコスモスは雑草に負けて育たないのである。通路は、一部生活通路に利用している買い物・通学・通勤する人達が不快な思いだけである。

そして、雑草が生い茂ってしまうと、不心得の人間がゴミを捨てる場所になってしまい、また犬の散歩で、糞をさせてそのままにして立ち去っていくのである。

まだ寒い2月の始め、河川管理通路の端1メートル(距離にして250メートル)の根深い雑草の根を掘り起こして秋咲くコスモスの花を咲かす準備である。この1年中と言ってもいい作業があって花は咲くのである。誰かというと近く方で元気の老人?である。私も出きるだけ協力していて、今年も秋に花を咲かせたい。

少しでも人の心に残せればと思う。そして、今年も大勢の方に見て欲しい。「花の命は短い、それだけに花は美しい、そして花は黙って咲く」

2010年7月14日 (水)

清浄心・・・無欲の花

10247681 どんな時でも、自分のために、他人に要求してはいけない。人々をなるほどと納得させられるまで妄念を捨てられた清らかな心とは、心の片隅まで欲を捨て切ることである。

谷底でひっそりと咲く花、いかに美しくとも他人に、自慢する心ではない。ただ咲きたいから咲いているだけである。

美は、自然に生まれる。人の手によって作ったもではない。人に知られなくてもかまわない。

静かに咲いて実を結び、次代つたえゆく自然にままの姿を見て、欲で一杯の人は、思わず自分の欲得を忘れさせてくれる。

しかし、次の瞬間には、自分の欲が出て摘み取る自分の浅ましい心に気がつかないことは大変哀しいことだ。

この人知れず咲く花の心こそ、清浄心を求める者の教えと思わねばならないことである。何故なら、神・・・自然の摂理であるのだ。

人のため、国のためと大声で言っていても私欲のために、歓心を求める選挙に、少しでも無欲の人が何人いるだろうか、だからこそ、選挙の度に失望させられる人が多いということだ。

つばめの旅たちと梅雨明け間じか

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Swallow71 つばめらの 巣立ち間じかに 梅雨明ける

稲の苗が根付き、一段と力強さを増してきた。私の家からはもう見られないが(30年前には田んぼがあった)今は、つばめが青田に広がる田んぼを宙返り・舞い上がりなどの光景が見られない。しかし八王子市の恩方地区に行ったとき、ある民家の軒先につばめの巣があって、そろそろ巣立ち間じか?子燕が三羽が狭そうで巣からはみ出そうだった。

つばめが巣から離れても、試し飛びで羽の具合をチェック?しながらで一挙には巣から遠くまで行かない。夕方に戻るのである。確り自信がついてから親鳥と同じ飛び方をし餌は自分で捕る様になる。その間が親鳥の責任?である。

今年の梅雨も来週あたりは明けるという天気予報である。関西、特に九州は豪雨に見舞われて被害が出ているという。幸い私の住んでいる八王子市の南部地域は、例年に比べ少ない?ように思う。

しかし、毎日蒸し暑い。一日何度もシャワー浴び、下着を取り替えないといけない。年のせいかイヤに暑さが堪える。日課の散歩も朝涼しい内に済ませるようにしている今日この頃である。

晩婚化どころではない深刻な問題

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1231 「末恐ろしい社会現象」は、私たちが住む町だけの問題ではないと思うが・・・

私の住む町は40数年前に、出来た住宅地で20数戸が建ててられ殆んどが、新婚家庭または子供小学生が二人ぐらいの家族が住み込んで、地域社会を構築してきた。

今40数年経って、親たちは70代以上の人が殆んどか、亡くなってしまっているかである。家族化すすんで、子供達は他所のところで生活基盤を設けてしまっている。残されてしまった人間は老人と、何らかの理由で、結婚出来そびれた40代半ばになる子供たちだけである。

したがって、20代以下の子供はいない。平均年齢は60代?だ。昔のような三世代家族なんて、殆んど考えられない現在、今後の生活に不安ば増幅しているのは間違いない。結婚しない(出来ない)子供達は50歳を目の前に将来の不安?が募るが、考えても解決できい。成り行きを任せなのである。

成り行き任せでいいものだろうか?気がついたときは、寝たきり・認知症の症状が出た親たちをかかえ、自分(子供)犠牲・・・?これはまさしく、人間社会の破滅・・・?現代の最高の不幸である。

今日NHKのラジオのニュースで、去年1年間に結婚した人のうち、初めて結婚した人の平均年齢は、男性が30.4歳、女性が28.6歳と、いずれも過去最高を更新し、晩婚化が一段と進んでいるとのことである。

慶應義塾大学の津谷典子教授は「日本は世界でも最も晩婚化が進んでいる国の一つであり、そのことが深刻な少子高齢化を招き、社会保障制度に大きな影響を与えている。

「晩婚化が進む背景には、女性の高学歴化や若者の不安定な雇用など、いろいろな要因があるが、この問題を解決するためには、女性に仕事か家庭かの選択を迫るのではなく、仕事と家庭の両立を長期的にサポートしていく仕組みを作ることが重要だ」と話している。

しかし、私たちの地域では、晩婚化の問題どころでない深刻な問題だ。

2010年7月13日 (火)

マナーの悪さはエスカレート

Odaiba971 昨日久振りに電車に乗って改めて思った。携帯電話を開いて夢中でそれを見入っている光景を電車の中で最近よく見かける。指を器用に動かしてゲームに熱中している人や、メールの返事を書いている人もいるようだ。受信したメールを読んで何やらニヤニヤしている人もいる。

車掌さんのマナーアナウンスが効を奏したのでしょうか、さすがに声を出して通話している人はあまり見かけなくなりました。

今日はお先祖の迎え火を夕方焚く家もある。なにか携帯電話が、人がお位牌を胸に大事に抱えてひたすら何やらを念じているように見える。ご先祖さは、「ほう、ほう、現代に生きる若い諸君はなかなか感心、感心!我等先祖を一生懸命大事にしてくれているわけね。」みているとか、ないとか・・・?

「なんだ?シャカ、シャカ、シャカ、シャカ音が聞こえるけど何の音かしら?リュックを背負ってズタ靴をはいて両耳に蓋をしてつり革につかまって立ったまま目をつむって何やら陶酔していますよ。」

「おや?あの若い娘は何をしているのだ?手鏡を開いて真剣に自分の顔を覗きこんでおしろいを叩いたり眉毛をかいたり口をあけて紅を塗りなおしたり、あれまあ、変な道具を使ってまつげのそりを直しているよ!」

「そもそもお化粧というのは化ける仕度をしている訳なんだから楽屋裏でこっそり一人ですべきものであって、観客の目の前でどうどうと百面相をお見せするものじゃないよね。」

「おいおい、次ぎの駅から今度は若い女性が寸足らずのブラウスに今にもずり落ちそうなズボンをはいて乗り込んで来たよ。お臍が丸出しじゃありませんか!これは正面から拝見してよろしいものなんでしょうかね?」

「しかしまあ、なんですね、広告の見出しの文章や写真も刺激的なものばかりで日を追ってエスカレートするばかりで何をやっても自由なんでしょうけど子供達には目の毒ですね。この国の子供達は良い子に育つのでしょうか?」

何時の間にか、電車の中の風景もすっかり変わってしまった。車掌のマナー放送は携帯電話のマナーモード・電源の切断だけで、女性のお化粧・缶コーヒーやペットボトルなどの飲み物までは及ばない。誰かが、注意しなければとどまるところを知らない?

才能は自分では気がつかない

539571澄み切ったさわやかな歌声」は、魂が奪われるようだ。

韓国歌手のキム・ダナ27歳という比較的にデビューには遅い。素朴なな風貌がまず印象的だ。しかし、目をつぶって声を聞けば、独特な唱法が胸に響いてくる。

密陽アリラン歌謡祭とパクタル歌謡祭、真珠歌謡祭など、各種地方の歌謡祭で大賞や金賞を総なめした。彼女のエピソードを聞くと、平凡な人生を過ごし47歳で歌手になったイギリスの歌手、スーザン・ボイルが思い浮かぶ。

そして、今朝、朝日テレビで観た、フイリッピン出身の女性歌手、シャリース・ペンペンコ の驚異の歌唱力である。ゴスペル・R&B系の音域の広い歌を楽々と歌い上げるという。

動画を見ても、150cmという身体で歌っている声ののびは素晴らしい。セリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、シカゴ、マドンナなどのアルバムプロデュースを手がけた超大物プロデューサーは、彼女のあまりの才能の素晴らしさに驚嘆。レコード会社との契約を橋渡しするとともに、自らプロデュースも申し出た。

すでにここ日本でも、彼女の名前で検索をかけると耳の早い音楽ファンを中心に「歌唱力が凄い!」といった書き込みがヒットしているという。

世の中には、歌手を目指す人は多いが、シャリースは、小さい頃からの頃から歌番組に出て、家庭の暮らしを支えるために好きな歌っていたと言う。磨けば光る宝石は意外なところにいるものだ。そして、才能というものは自分では気がつかない事って多い。

大同小異

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15401 民主党が大敗した?そして、自民党は改選第一党で浮かれている場合ではない。国民のために、生活を守り、グローバル化した世界で安心・安全を守ってもらうのが政治である。勝った負けたと騒いでいるが、与党と、野党のバランスがわずか10人だ。

今の日本は問題が山積している。政治は待ったなしである。与党・野党で足の引っ張り合いで国民不在?自分達は国会議員ということだけで特別待遇?・・・町の零細企業・介護施設で働く労働者、働きたくても仕事がない失業者・年金問題・日本の防衛などはどうするの?政治は待ってくれない。国民の命に係わってくるのである。

イデオロギーが違う政党でも、人前で、死ぬかも知れない人を見て、医者に連れてゆくか、自分で見て介抱するか、救急車呼ぶか、見捨ててしまうか考え方は人によって違うというものが政党?

国民の大勢の方が満遍なく幸せを享受できることが政治である、しかし、方法が違うだけで議論していても、救える命が救えないのが今回の参議院選挙の結果であったなら、「大同小異」与野党で人の命を救うことでは同じであるはずで、見捨てることではなく助けることで「力」を出し合っていくべきである。

大同小異」と言えば・・・1972年9月25日。北京での田中角栄首相と周恩来首相による日中首脳会談の一部。このやりとりの前には、田中首相が戦争について「迷惑をかけた」と発言したことに周首相が「迷惑をかけたとは何ごとか。それで済むのか」と怒りだし大激論になった。随行した二階堂進氏の回想だ(「自民党の三十年」読売新聞社)

交渉は難航したが両首脳は四日後、共同声明に調印して国交を正常化させた。作家の保阪正康さんは周首相の「大同小異」発言に関し「一握りの軍国主義者は許さないが、その犠牲になった日本人民との交流は続けたい」意味だったと解説している。

A級戦犯が合祀される靖国神社への日本の首相の参拝を容認することは、この論理の否定につながる。中国は小泉前首相が「心の問題」として参拝を継続したことに強く反発。首脳間の対話は途絶えた。

「喧嘩はしみましたか?喧嘩をして初めてなかよくなるんですよ」。毛沢東主席は会談を終えた両首脳に声をかけた。先人の決断と知恵で日中関係は発展してきた。

菅政権は厳しい国会運営を覚悟しなければならない、菅直人首相のリーダーの決断と知恵を注目したい。

2010年7月12日 (月)

若さは美しい、老いたるはなお美しい

07akitakoma_sumire11_2 若さは美しい、老いたるはなお美しい。
先だって、昭和28年度中学校卒業の同窓会の4人の幹事で打ち合わせを行なった。1953年というと57年の歳月が流れている。当時は、終戦から朝鮮動乱で金偏景気ということで銅を始め鉄などが高く売れた。

農家が殆んどで現金収入といえば、養蚕・酪農であった。テレビが街角の電気屋さんで、力道山・シャープ兄弟と戦って、空手チョップなど覚え子供どうし真似事をして遊んだ。村には、青年会が作られ、地区ごとの運動会やハイキングなど、若者どうし活発な交流があった。

そんな時代に中学を卒業して今年まで、全く会わないで、不幸にして亡くなった方も多数いる。そして消息がつかめない方もいる。幹事を引き受けることは大変だけど、幸せだと思う。

日焼けした顔と真っ白になった髪の毛で、今でも農業を営んでいる方もいるが、それぞれ、大変な山坂を乗り越えてきたが、みんな笑顔が素晴らしい。あなたはいくつですか?、と、日本人はよく人に年齢をたずねる。

長生きすればそれだけ人とのおつきあいが多くなるから、死んだら大勢の人が会葬に来てくださるぐらいで、20歳でも60歳でも、命にちがいはない。老化はさけられない。まじめにこつこつと働いてきたから財産もできた、そして人さまから信頼されているように自分では思う。

けれども価値のある人生を生きているのかどうかよく分からない。人間の欲張りな物差しでは測れない。年を重ねて運良く還暦・古希が迎えられたら、人生80年の長寿の時代ではそれは折り返し点である。

70年も人生を生きてきたら酸も甘いもよくわかる、世間の風の冷たさも、人情の温かさも、艱難辛苦を乗り越えてくればこそわかることも多い。そうした経験を生かして生きていくことで、若きは美しく、老いたるは、なお美しく生きられるのだと思う。

今の日本はどこかおかしい

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07rose_ame21 参議院選で民主が大敗した。大方の見方は消費税の議論を打ち出したからだろう。確かに日本の財政は、世界中でも日本が960兆の借金は突出している。

菅首相が財政再建で消費税を切り出した、税金の無駄を排除しても、このままだと国の借金は減らないということだが・・・それを歯止めをかける人がいなかった?

政治不信は民衆のモラルの低下に及んでしまう。教育・企業のコンプライアンスの問題だけではない。公務員の気構えやモラルにも影響してしまっている。

「今の日本はどこかおかしい、なにかがおかしい」と思う人は、大勢いる。「なにかがおかしい」と思うことは人によって違う。政治の問題、ある人は、「いじめの深刻化」であったり、また、ニートやひきこもりと言いまた、「格差社会の拡大」とか、通り魔殺人や、家族とか恋愛関係にある中での殺人の増加のように、人が人を殺すことが当たり前になってしまっている。

「今の日本はなにかがおかしい」と思うのは、深刻な社会問題から日常の些細な出来事まで、さまざま、でも共通するのは、「今の日本はどこかおかしい」のである。

昔はこういう感じ方をするのは、公務員・企業からリタイヤした人間の専売特許のようなものでした。自分の現在はそれなりに安定していて、眉をひそめさせるような由々しい事件は、「自分とは離れたところ」で起こる。

今の日本では、社会の中心で活動しているはずの人達でさえ、「“景気は回復した”と言うけれど、そんな実感はない」というような感じ方をしている。そのような感じ方をするということは、ある意味でもう「格差社会」が当たり前になっているからだ。

自分は「世の中の一員」としてちゃんと生きている。しかし、「自分の知らないような動き方」をしていると感じられてしまう。「なにかへんなことになっているのではないか?」という疑問、あるいは直感が、社会というものを構成している「現役の人達」にもある。

「今の日本の社会はどこかおかしい」という総体的な括り方が当たり前にあるのなら、その全体にまたがるような「原因」がある。しかし、「原因を突き止めたってどうなるわけでもない」ということと、「原因をはっきりさせない」ということとは違う。「簡単な対処法はない」ということと、「だから原因を考えたってしょうがない」ということだって違う。
 

2010年7月11日 (日)

無関心は無責任である

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282_field111 今日は参議院選挙投票日であった。投票用紙を持って書くまで、政党・候補者名に迷う、争点がぼけてしまった選挙であったように私は映った。

でも、投票しないことには、批判することも出来ず、無責任すぎる。国を再生し住み良い社会を創るという、各候補は、言っているが、果たしてどうだろう。人のため、「心血を注いで仕事をする」どの政党の候補者の台詞だ。

今、無関心な有権者が多い、政治は誰がやってもみな同じだ!と言う人ほど、地域の催しなどに参加もしないで、不平・不満だけを言う人だ。それでは無責任すぎる。

自分ひとりで生きていくことの出来ない社会。相互扶助で、世の中成り立っているのだ。今、自分の身の回りで何かが起こっても、関わり合いになりたくない一心で見て見ぬ振りをする傾向がある。確かに、注意したばかりに逆切れされ殺されてしまうケースも現実にあるが、しかし、だからといって知らぬ存ぜぬでは、益々殺伐とした世の中になって行くだけである。

世の中の三悪は「無知・無関心・無責任」だと常日頃思っている。自分自身に対する責任もあり、社会で生活している以上、自分の周りの人達や社会に対する責任もある。無知は、悲惨な犯罪を生む、人の気持ちを思えない、狭い独り善がりの心も無知といえる。また生きる為に必要な知識や、それを自分に取り込んで自身の中から生じる智慧も大変に乏しいように感じられる。

過激なまでの情報社会が為に、人が「自力で考える能力」が失われている。仏教に「他者の足元を照らす灯火が、同時に自身の足元をも照らす」という言葉がある。人の事ばかりが気になり、やもすると自分の事は直ぐに棚に上げてしまう。しかし、人の足元ばかり見ている自分の視線を、瞬時に自分の足元に移す事で、はっきりと見えるものがある。それが自我であり、我欲である。

自分の心に内在する、嫉妬や貪欲さ、執着心など、憎悪へと転換される悪しき命は、例外なく誰の命の中にもある。凡夫たる所以だ。しかしその内在する悪因に、目を逸らすことなく、蓋をせず、しっかりと見据え、認識し、認識した以上は、少しずつでも自力で正し律する。それは誰にでも出来る事ではないだろうか・・・。

人(自分以外)ではなく、まずは自分(心)である。そこに目を向け、そこから外界を見ることで、その人の目線は自然と変わってくる。そこから、自力で出来る事を惜しまず実行する。そのような事が、結果的に自分のためになり、人様や社会、又自然のために還元出来る「報恩(感謝)」ということだと思う。

2010年7月10日 (土)

由井西部地区CC大作戦

09buna_sinryoku_omitake21由井西部地区CC大作戦」とは、【CIean Community】(ゴミ拾いをしながら、身近な環境に目を向け、子供たちと一緒に通学路を歩く)片倉台小、高嶺小、由井1小、由井2小、由井3小と計5校が、9時30分~11時まで行うというものだ。

私は由井第二小学校を卒業したものであるが、60年も昔のことでその頃と環境は大分違う。その頃のゴミはビニール系統は殆んどなく紙類だった。従って、ゴミは無かった?最近は、お菓子・レジの袋・ペットボトル・タバコの箱まで、いわゆるプラッチックで不燃物ばかりである。そして腐らない。そんな思いをしながら子供達の見つめていた。

一行が川久保公園に集まって、一休みをしていた時私は何時ものように由井市民センターで選別を終えていた。第二小学校の校長先生がいた。年二回の行事だそうだが子供の教育にはとてもよい事だと思う。校長自ら模範を示して汗を流していた。

そして、中学の女性徒のタバコの万引きの話をしたのであるが、その万引きをした生徒の親は、知っているのか・・・中学生が公園内でライターを使って、花火や、雑誌に火をつけて遊んでいたと言う。近所の方が110番に電話して貰ったら、クモの子を散らすように、逃げていったと言う。

学校でも本腰を入れて対策をとると約束したが、この問題は、学校・地域・家庭が目的をひとつにし取組まなければならない問題である。ゴミ拾いを通じて正しい生活指導を考えて行かないと・・・。

両親がうざいからやる

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05oirase31 最近、公園のゴミ拾いをして思うのであるが、毎日拾っても、同じようにゴミの量は変わらない。八王子市で見んな町の清掃デイを(5/30)に行なったときでも、翌日は捨てられていた。

近くのお店(駄菓子なども売っているお店)には、小学生が10円・20円の駄菓子を買いに来るのであるが、お店の人は必ずゴミはすてないで、と注意しているそうだ。中学生はスーパーなどで、おにぎり・パン・ジュースなど、腹に溜まるものを買い公園で食べたり飲んだりしているのだ。

近くのお店の方が一昨日中学生の女の子が二人でお店に来て一人の女の子が手を洗わせてくれといい、お店の奥で手洗いしているすきにもう一人の女の子が、販売用に置いてあるタバコを盗もうとしたところを見つけて取り上げた。

「どうするの!」ととがめたら「お父さんに頼まれたから!」と言ったそうだ。どうも公園にタバコの吸殻が異状なほど多く落ちているので、誰が吸っているのだろうと思っていたが、はっきり断定は出来ないが、中学生?かもしれない。

親は共稼ぎで学校が終っても家には誰もいない。おやつ代として、お小遣いを多めにもらいスーパーなどで買っているのだろう。万引きを覚えてしまう子もいるだろう。昔のようにうるさい親父がいて注意する人もいなくなり、家庭環境も格好だけで“きれい”?なところを見せたがる親ばかりで、本当に善悪を知り、罪を知ることを教育することもないまま、大人になってしまう恐ろしさを考えると・・・

最近の兵庫で、中学3年の少女が自宅に放火、父母と妹を死傷させたとされる事件起きた。「両親がうざいからやる」が、理由だそうだ。自分の子は大丈夫と思っている親が多いと思うが、「まさかうちの子が!」とならないように、仕事も大事だが、子供とコミニケーションを取るようにして欲しい。

2010年7月 9日 (金)

往復はがきに苦戦

1231 今日は朝から夕方まで、往復はがき印刷で苦戦した。半世紀前に中学校を卒業したが、今年は同窓会の幹事で、そろそろ10月頃の開催を考えて、準備を始めなければと思い、他の幹事3名と初めての打ち合わせを昨日行なった。

名簿の作成は、先日チエックを行ったが、どうしても連絡が取れない方、亡くなった方などを除き約100名である。その内何人の参加があるか・・・?

それにしても、パソコンで往復はがきをに印刷を、試みたのだがうまく出来ない。考えてみると4年前の幹事では、うまくいったのだが、自分でも情けない。まぁー仕方がないそれだけ脳が衰えたのだと自覚した。

しかし、こうやって長らく生きられたことは、健康だからだ。出来なくなったことも、味わえることで、大同小異の精神で、生きていること事態素晴らしいことだと思う。出来なくなるのは当たり前で、出きることが人生の目的でない。生きていれば楽しいことは、あるはずだ。希望を持って明日を迎えようと思った。印刷のほうは苦戦の末、ようやっと征服できた。

中津城が1億5千万円?

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Oda11 大分の中津城が1億5000万円で売られる?「あなたも本物の一国一城の主に」・・・たしかに掘り出しものだった。城型ホテルなどではない、本物の城が一般に売りに出されることは滅多にない。中津市の買取がこじれてしまっているとの事だそうだが、維持費が年間1000万円?掛かるそうだ。チョット殿様気分で買うには・・・。

その謂れは、天正15年(1587)豊臣秀吉による九州征伐の軍功により豊前16万石を与えられた黒田官兵衛孝高(如水)は、翌天正16年(1588)に中津城の築城に着手した。

しかし、領内には黒田氏に服属しない豪族が多く、築城工事はなかなかはかどらなかった。黒田氏に最も激しく抵抗したのは城井谷(きいだに)城の宇都宮鎮房であった。宇都宮氏は鎌倉時代から中津を本拠としていた名族で、鎮房は剛勇で知られる猛将であった。

今から423年前豊臣秀吉時代と時代の戦国時代を乗り越えて大分県でも、由緒あるお城である。修繕を何回も重ねてきたのは当然であるが、中津市のシンボルでもある現在、何とか市で観光スポットとして残せないものかと思うが・・・。

2010年7月 8日 (木)

雀と異状気象

Hangesyo_06c1213cv1 小雀や 半化粧と遊ぶ つゆ晴れ間

最近すずめの姿を見ることが少なくなった。農家の草葺の屋根に巣を作り親鳥が餌を運ぶ姿の昔が懐かしい。そしていとおしくさえ感じてしまった。

昨日散歩していたら、珍しいことに、あるお宅に白いきれいな花が咲いているところに雀の家族?4・5羽餌を探している所を見て、少なくなってしまった雀が、まだ健在?だったことに、ホッとした心境になった。白い花はネットで調べたら、どうやら「半化粧=はんげしょう」というらしい。どくだみのような葉をしているが花は全然違う。

このところ世界的に異状気象で、欧州・北米などは、40度近い日が続いているという。そして日本でも九州鹿児島では、長雨と豪雨が続いて山が崩れ大きな被害が出た。そして福島の郡山では一昨日・昨日と集中豪雨で大きな被害が出ているという。

わが町、八王子市は逆に雨は例年比べすくない。局地的な現象なのかもしれないのだが、これも、人間の仕業で地球温暖化が進んで、野生の生態系影響し、そして異状気象がますます深刻な問題となってきた。

相撲社会の金銭感覚

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Iwao1702c1 大相撲の問題が毎日マスコミで大きく取り上げている。昨日、テレビ朝日昼の番組「テレビスクランブル」に出演した、お兄ちゃんの元横綱若乃花が出演した。

印象に残ったことは、「利益優先の相撲社会」になっていると指摘したことだ。一般社会に出て10年以上という。相撲社会では、味わえない厳しい現実。子供の頃から相撲社会の厚い塀の中に育った人間の差は大きいという。

要は、「井に中の蛙、大海をしらず」である。興行のという「経営」は利益優先の考えが昔か根強く、お客様あっての相撲協会の精神が風化してしまったのだろう。公益法人という隠れ蓑に覆われて、一般社会と常識が大きく乖離していたことは必然的なことだ。

白鵬の年収は1億円以上だそうで、こんな高給取りがいるプロスポーツの団体が、税金の優遇を受ける公益法人であることが不可解である。部屋や関取は谷町から現金でごっつあん、収入として申告していない?
不明瞭な会計の個人や親方を持つ団体が公益法人であることも分からない。他のプロスポーツ同様、娯楽を提供する興行団体に過ぎない。国技がどうも唯一の理由で、実態はJリーグやプロ野球の団体より不透明だ。

不明瞭な金銭のやりとりが暴力団につけいられる隙ができる。相撲部屋自体の改革が急務だ。そして、学校を出ていきなり相撲社会に入り、その隔離した社会で偏った教育だけで、当たり前の考えで育った。一般社会ので通用する教育を徹底すべきである。

2010年7月 7日 (水)

NHK相撲放送中止

800pxcherry_tree_with_early_leaves1 「甘い汁に群がる泥蜂」の暴力団を解散させて!!

NHKが、大相撲生中継を取りやめた。隣の老夫婦は大の相撲フアンだ。このところ足が悪くなり殆んど外にでない。相撲の取り組みをテレビで見るのが唯一の楽しみだ。最近は衛星放送などで午後1時ごろから見られるので楽しみにしていたのだが・・・。

3年前に亡くなった義母は、相撲観戦が好きで、好きなお相撲さんが出ると手たたいて喜んでいた。相撲ファンはテレビなくしてはあり得ない。しかし、野球賭博問題などで大相撲のあり方が根本から問い直されている今、中継の取りやめは妥当な判断だ。

相撲界はこの重い決定を、再生への厳しい試練と受け止め、根本的な改革に取り組まなければならない。 100億円という協会の年間収入の内NHKが放送権料25億という大きな金額だ。これが放送権料は元をたどれば視聴者の受信料だ。これが力士の給与の一部となり、賭博の賭け金として使われ暴力団に流れていたとしたら、見逃せない。

警察の取調べは、今日から阿武松部屋など、本格的に捜査が入るという。暴力団の関与が疑われている段階では、中継を心待ちにするファンの楽しみよりも公共放送としての立場を優先させたのは妥当だ。

問題は相撲協会の体質にあると思う。武蔵川理事長ですら、罪の意識が一般社会の常識と大分差異が感じられる。興行には裏社会に付け入る隙があり、暴力団との馴れ合いがあるのは今いま始まったことではない。

正面の特別席で観戦していた暴力団関係者の姿が放送されたり、維持員席の券が暴力団関係者にわたった問題でも分かるように、ある親方の関与が疑われても仕方がない。

警察の捜査で、暴力団の資金源といわれている賭博や不正行為がどこまで透かして見えるようになり、暴力団の組織を壊滅させることができるか注目したい。

 

七夕に願い

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Sira61 七夕や 願いを込めた メッセージ

昨日、いつも見かける知り合いの老夫婦が、3~4メートルもする竹を担いで、湯殿川の橋の上で会った。たぶんお孫さんにせがまれて山から切り出してきたのだろう。

願い事を書いて軒先に立てかけるのだろう。今は殆んど見られない三世代家族の和やかな様子がうかがえる。曇り空であったが、星も見える空に幸せを願う一家の笑顔が見えるようだ。

関東地方は、場所によっては大雨で、一昨日は東京の北区・練馬区では猛烈な豪雨となったようだ。私も虎ノ門病院にお見舞いの帰り(夕方5時)にちょうど降りだした雨で駆け足で地下鉄虎ノ門駅に駆けこんだ。しかし、八王子についたら全く降っていなかった。

病院の待合いコーナーに小さな竹が置かれ、患者さん・ご家族の方の書かれたに短冊を見て、「早く病気が治りますように!」と書かれていて、短冊を思わず見てしまった。

そういえば、地球から約3億2000万Kmの遠い太陽系惑星「イトカワ」の石?を持ち帰ってきたという?「はやぶさ」のカプセルの中を慎重に調べているそうだが、短冊にしるして願いを込めて竹につけたが、「はやぶさ」は、60億キロの旅をして帰ってきたのだ。この方は人間の努力で夢が実現したのだ。

七夕と言うと仙台の七夕が有名であるが、子供の頃、背戸の竹林から切り出し兄弟で飾った思い出がある。そして歌った。

   ♪笹の葉サラサラ 
      
軒端に揺れる 
       お星様キラキラ 
      
   金銀すなご♪

世界の平和とこの地球の星に住んでいる人々に幸せであれ!そして患者さんの一日でも早い回復を願う。

2010年7月 6日 (火)

人間と動物達の違い

Goldenchery1 最近雀が少なくなったように思えて仕方がない。雀に限らず野生の鳥の見る機会が少なくなった。そう言えば、野生の鳥や動物達の死骸を見ることがない。雀の寿命は1年半ぐらいだという。我が家で飼っているゴールデン・チェリーという鳥は10年以上の寿命があるそうだ。

一年前に生後半年と言われている雄・雌のつがいを飼って、1年で三回の孵化しさせた。一回で5個の卵から一羽しか孵化できなかったが、野生では何羽孵化させることができるか?そして野生での寿命は、おそらく1年か2年だろう?

そんな事を考えてみたら、大昔は、人間の寿命は30歳ぐらいだったころもあっただろう?家族に見守られながら看取られていく動物もいれば、人知れずひっそりと死んでいく動物と同じな死に方の人もいただろう。

野生の動物達の生存の確率が低い。人間も成長するまでになるまで、今では考えられない病気や事故などで亡くなっている。この子は何のために生まれてきたんだろう、生きてきた意味があったんだろうかと考えさせられる。場面もしばしばあったことだだろう。

「生命の価値」とは・・・価値観は相対的なものであり、人間社会の中でのみ成り立つもので、時代や地域により大きく変化する。人間は自分の存在を必然とするために絶対的な価値観を作り、そこに人間と自然を当てはめてきた。

人間の命は地球より重いという乱暴な理屈だ。人間が進化の中で偶然に生まれたものであるならば、その人間に自然を好きにする権利なんてないのだ。本人にとっての価値、人間社会にとっての価値、絶対的な価値がある。

誰にとっても今の生命はすべからく大切な物である。このことは人間においても動物においても、虫でさえも何ら変わりはない。そして、社会にとっての生命の価値はその時々によって大きく異なる。社会はもともとは人間がいかによりよく過ごせるかを追求しながら発展してきた。追求する物は「人間にとっての利益」である。

現在では環境を大切にしようと言う考えも大きくなってきているが、環境をなおざりにすることが結局は人間の不利益になるということに気がついてきたことが大きな原因だ。

気づいていると気づいていないにかかわらず、全ての生命の中に自然の摂理が息づいている。その摂理無くして存在する生命はない。全ての生命に尊さの上下はない。あるのは存在している物に意味づけをしようとする人間の物差しだけである。

強い心と自信がつく生き方

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07rose_ame21 現在の自分に満足出来ない人は自分を粉飾する。そして、心が傷ついている人ほど心に鎧で固める。いわゆる「こんなに努力している」に、気を使い、こだわっている。

そして、つねに相手が自分をどう見ているのかを気にする。だからいつも気を張っていなければならない。これこそがストレスの原因である。「私はこんなに人には出来ない素晴らしい事をしている」と誇示することは、自分がつまらない人間であることを人に隠すための手段にすぎない。

自分を素晴らしい事が出きる人間だと思わせることに執着する人は「どうしても人に自分がくだらない人間だと気づかれたくない」のである。また「私はこんなに素晴らしい人間だ」と誇示することで、漠然と世の中や人生に復讐したいのである。

人は自分に自信があれば傷つかない。人と親しいつきあいがある人と、ない人では、同じ状況でも親しいつきあいのある人のほうがストレスにうまく対処できる。人にかかわっている人のほうが、ストレスに対処できる。

また、自信のある人は、新しい出来事などに、そんなに抵抗なく素直に受け入れられる。こうして生きている人こそ、自分の人生を自分でコントロールできると思う。

2010年7月 5日 (月)

家庭教育はモノと心のバランス

Aaoooogaha1 戦前・戦後にかけて、仏教的思想と物不足から、モノを大切にするという、日本の家庭教のベース(基本)あった。いろいろ言わなくても『もったいない』の一言で通じた。モノがなく貧しくても生きていくシステムができていた。

親が、子供のちょっとした反論にさえ戸惑っている。何が「善」で何が「悪」かの規範が分からなくなってしまって、大人として振る舞えない。もはや個別の問題というより、日本全体として取り組むべき大変大きな課題だと思う。

生きていくということは、心の中に矛盾するものを抱えていることでもある。集団の中にあって他人の気持ちを察するといった古来の日本的特質もある。一方で、グローバル化に対応して個人ががんばることも必要だ。そんな相反するような状況をどうやって調和させていくか。よほど真剣に考えていかないと、子供も育てられない。

モノが豊かになったほどに心は豊かになっていないのではないか。要するにバランスの問題だ。心を豊かにしていく場面で文化の果たす役割がある。

日本は『欧米に追いつき、追い越せ』と一心不乱に先進国入りを目指してきた。その間に、江戸時代にはあったはずのユーモア精神が失われてしまった。もう十分に追いついたのだからユーモア精神を少しは取り戻し、心豊かな暮らし方を考えなければいけない。

このままでは、日本の悪いところと個人主義の悪いところだけになって、日本は世界の各国から取り残されてしまいそうである。こう言った議論する場をつくらねばならないと思うのだが・・・。

永住外国人の投票権のこと

3612 「永住外国人の地方選挙での投票権を認めるべきか、否か」問題となっている。現在では、はっきりしていないのが民主党で他、賛成は公明党・社民党・共産党で、反対は自民党・国民新党・たちあがれ日本・みんなの党である。

民主党は、たしか鳩山政権のときは、早く検討を進めるべきだと言っていたようだが、連立政権に反対の国民新党に配慮したのか?・・・。

外国人登録者は220万人を超え、永住資格を持つ人は91万人という。日本はすでに多様なルーツを持つ人で構成されている。地域社会に根付いた人に、問題解決や街づくりの責任を分かち合い、人口減少・グローバル化した国際社会など日本を取り巻く環境は大きく変わろうとしている等で必然であると思う。

今朝の朝日新聞社説では(1部抜粋)・・・政府の新成長戦略では、海外人材の受け入れ制度を検討するという。開かれた国に向け、外国人の住みやすい環境づくりは避けて通れない課題だ。

朝日新聞の4~5月の調査では賛成49%、反対43%。世論は割れている。であればこそ、議論を提起した民主党は、旗を出したり引っ込めたりせず、粘り強く説得を続けるべきだろう。

自民党などは、夫婦別姓と並び「国のかたちを壊す」政策だと、批判を強める。「保守対リベラル」の対立軸に位置づける狙いもありそうだ。

「離島が乗っ取られる」「安全保障に悪影響を及ぼす」といった反対論がある。だが、こうした見方は外国人の敵視や排斥を助長しかねない。内向きの防御論にしか聞こえない。

興行はヤクザと係わりが多い?

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Galleryplayer14_caravaggio 芸能界やプロレス業界など、「興行とか水商売」というと昔からヤクザと係わりあったのは一般市民ですら常識?である。ヤクザ(裏社会)の仕事は、麻薬の売買とか、違法賭博の胴元とか、最近ではいわゆるオレオレ詐欺を裏で仕切ってるのはやくざだそうだ。ヤミ金なんかもやくざが裏にいるといわれている。ちょっとした暴力沙汰は日常茶飯事だ。

ヤクザの法の隙間というか、法には触れないがギリギリのラインのグレーの仕事が一杯であるという。これはもう挙げたらきりがない。企業恐喝や株の仕手筋とか競売物件の占拠・風俗店や水商売の店からの「みかじめ(用心棒)料」など・・・。

警察は事件が発生すれば(法に触れる出来事が起これば)動くが、事件にならない、あるいは法に触れていない出来事にはてがだせない。

暴力団の本質は犯罪集団である。やくざって、恐ろしいほどしつこくまとわりついてくるそうだ。昔から、「やくざと関わるとケツの毛まで抜かれる」っていうのは本当のようである

そもそも大相撲は国技というが、国技に隠れ蓑のヤクザの立ち入る興行と言う人もいる。興行にヤクザは付きもの?表向きはビジネスを装っているが、演歌歌手の地方巡業も地元のヤクザに一札を入れないと成り立たないと言われているらしい。

そういう相撲界社会で長く生きてきた大嶽親方・琴光喜などが「解雇」処分などが決まった。大嶽親方は野球賭博がヤクザに関係していたとは知らなかったと言っているが、親方の言動をテレビで証言していて信じられない。テレビを見て感じたのは私だけではないだろう。

今後は警察の捜査で、どこまで野球賭博に限らず、ヤクザと係わりがある捜査の結果を注目したい。しかし、ヤクザ(裏社会)は絶対無くらないだろう。

2010年7月 4日 (日)

国内関心の二つのスポーツ

Galleryplayer12_rome 参院選真っ最中の日本である。サミット初出場の菅直人首相の、財政再建・景気浮揚策の両輪の評価は良かったのか悪かったのか、何故か国の内外がG8・G20と続いて行なわれたが、淡々としていた印象であった。

国内の関心が二つのスポーツの話題に集中したせいもある。サッカー・ワールドカップ(W杯)。もう一つは度重なる不祥事に続く野球賭博問題で、多くのファンを失望させた大相撲である。

新聞各紙は、まず角界で、毎日、読売、朝日、産経は、日本相撲協会が名古屋場所開催を決めた翌日の29日付社説で、一斉に自浄能力のなさを非難した。

私も思ったのだが一般社会の常識と相撲界の常識の大きな隔たりだ。協会は今日、に開く理事会で処分などを決定するが、抜本的な体質改善の意思があるのかどうか、海外のファンも含め大勢の目が見つめていることに認識不足だ。

一方、閉塞感が続く日本を大いに沸かせたのはW杯だ。日経を除く各紙は複数回、社説で取り上げたが、「夢」「可能性」「誇り」といったないようであった。8強に進めず敗れたが、敗退の向こうに新たな可能性が見え希望がでた。そして、日本中が一体感を感じるような出来事であった。

グローバル競技であるサッカーの世界で、可能性を信じ強豪に挑む日本人の姿が輝いただけに、「国技」の座に安住し、内輪のみ通じる特殊言語以外、受け付けてこなかった相撲界の閉鎖性が際立った。相撲界も日本国民をを驚かせるような高い目標を掲げて、自己変革できるだろうか?

幸・不幸の判定

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Galleryplayer22_moon 古希を過ぎ、音信不通の同級生が亡くなった話を聞くたびに、今までの自分の人生をふり返って、自分は最高の人生であったとか、最悪なものであったとか、考えることがある。どんなに苦しく、辛らく、死を考えたこともあったが、簡単に良し悪しの判定が下せない。

むろん人生が終わっていないのだから、これからどのような展開になるのか、最後の最後まで分からない。

だれでも気持ちが落ち込んでくると、私は価値のない人間だと思うようになり、むなしさや絶望感に陥ってしまう。自分のことを価値のない人間だと思うようなこともある。だとすると不幸にして若くてこの世を去ってしまった人もいる。その人たちに比べて良かったか悪かったの判断も出来ない。

人間の迷いの世界に堂々巡りするばかりで、いつまでたっても迷路にはまって方向が見えてこない。地球の歴史は46億年から始まったという。その大宇宙の歴史にから見ると人間の寿命は100年としても、一瞬の生命期間である。

人より長く生き、人よりお金を持ち幸せだったなど思っても仕方がない。それより不幸な人に心を配り、優しさと、愛情を持って喜ばれる人間でありたい。そして世の中の在りのまま、すべてを受け入れ、自分に出きることは他人に与える。

どうも最近、「自分さえ良ければ」の人が多くなったように思える。この地球のも寿命あるのだ。人間は地球を環境破壊で寿命を縮めている。その重大な罪も分からないで、そういう人こそ人生最悪な人間だと思う。

2010年7月 3日 (土)

トウモロコシ畑を見て

Yuu0031009_m1 空青し とうきびの風 髭白し

昨日、野道を散歩しながら、トウモロコシ畑の農道に出た、蒸し暑い梅雨の晴れ間に、焼け付くような陽射しだった。一面広がるトウモロコシの実に真っ白い髭が印象に残った。髭の本数だけ実(種)が付くという。

後何日経てば食べられるのかなぁーなど思いながら通り過ぎると、茄子・きゅうりなど夏野菜が耕作されていた。そして夕方から曇りだし、雷がなって雨が降り出した。変わりやすい天気であった。

就活の今と昔

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Hiland051 私の勤めた頃(昭和32年)の会社は始業が8時からであったが、30分早く来て、お湯を沸かし、先輩・上司にお茶を入れることから始まるのである。そして終業の5時になると上司の自転車のふき掃除を済ませておくことであった。この仕来たり?は、何十年も前から続いていた?ようだ。

1958年の頃は就職難であったこともあり、臨時採用で2ヶ月ごとの契約を交わし4年経ってようやっと上司の評価で本採用された。食堂は正規社員と臨時社員と区別され、メニューも違っていた。今では考えられないことばかりであった。

仕事が続けられるように、そして盆・暮れの付け届けをして、「可愛がられる」ことを考えていた。そういう会社の風土を素直に従っていた。日本社会は、丁稚奉公の名残りがあったようで、その何年ごから集団就職就職時代となった。

それから、50年以上経ったいま、職場では成果主義や自己責任を重視するようになった。いつリストラされるかわからない不安、3年で退職してしまう若者、そしてニートを長く続けてしまう若者が増えているようだ。

非正規雇用の増加、職場の人間関係の絆の弱化、社内でのいじめ、20代30代に鬱病と長期休暇が増え、過労自殺も多くなった。また、社会では他人のことに思いを馳せる余裕がなくなり、自分のことばかりで、異常犯罪が増え、安心・安全が失われている。

競争社会においては人のために立ち止まっていたら、自分が蹴落とされて負け組になる。他者のことなど考えずに自分のことのみを考える。そうしなければ生きのびられないという風潮がある。競争社会の成功者は言う「頑張れば夢は叶う、向上心さえあればすべては変わる」と、「自己啓発して頑張れば前に進める、ちょっとした心がけですべてが変わる」というが・・・

人生に最高も最悪もない、自分とちがう生き方、考え方の人を排除せず受け入れるゆとりも必要である。人並みの生活ができて、普通の幸せが感じられれば、それでいい。なにごとにもこだわらず、自分のペースで生きられれば、それなりの幸せがある。

2010年7月 2日 (金)

モンスターペアレント

07bonchi_asayake_kumo11 最近、高学歴の主婦達がモンスターペアレントが多くなって教師を悩ましているという。事だが幾つかの事例がwebにあったので拾い上げてみた。親の鏡が子である。親の言動は子供に写される。末恐ろしい。これらの考えをストップかけるには時間と根気必要だ。しかしこのまま放置することは日本を破滅に追い込んでしまう。

「子供と親の分、保育所で朝食を用意して欲しい。」

「仕事で忙しい親が多く、特に朝は出勤や保育所へ登所する子供の準備で忙しいので、子供の朝食と大人の朝食を用意して欲しい。食べた人が実費を支払えばいいのではないだろうか。ぜひ検討して欲しい。」
「また、保育所で汚した衣類は保育所で洗濯して元通りにして返して欲しい。保育料も税金も払っているのだから当然ではないだろうかと投書箱に意見として入っていた。」

保育料も、教材費も、遠足のバス代も払わない

;生活に困っている様子もないのに、1年近く、遠足のバス代や、教材費の集金・保護者会費・保育料などを支払わず、お金にルーズな保護者に、しびれを切らした担任が、「集金をお願いします」と支払いを促すと、感情的になり「あの先生嫌いだ、換えて欲しい」と所長に訴えてきた。

会社に遅刻するからオムツ替えは保育所でやって

生後9カ月の子供が、保育所に向かう車の中で大便をした。車の中でのオムツの交換は危険。保育所に着いてから母親自身が取り換えると会社に遅刻しかねない。「保育士がいるのに、なぜ保護者がオムツを交換しなくてはならないのか」

さらに、「ある朝、時間がないことを保育士に伝えたら、みなさん、オムツ換えをしていかれるんですけど・・・と言われた。オムツの取換えのために会社を遅刻し、処分を受けた場合には、市や保育所に賠償をもとめることができるのか、また、遅刻証明書など法的に効力を持つ証明書の発行ができるのか」と連絡帳に書かれていた。

今が幸せであればいい

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24351 昨日、小学生同窓会に参加した。小学生当時37名?中17名の参加であった。70+αの年を重ねて、みな夫々の人生を歩んで来た者ばかりで、谷あり、山ありの“すざましい”人生を経験し人格形成された人間は心に鎧を着けて生き、これからも未知の世界を進もうとしている。

子供の心にかえり鎧を外し、童心にかえって話し合える、同い年で有意義なひと時をしたと感謝している。現況を聞いているうちに、人はものごころつくころから成長する過程で悩み、全てを解決出来ずそのまま悩みを引きづってしまうことになる人もいる。

なぜこの世に生まれてきたのか、なんのために生きているのか、何を求めて生きていけばいいのか、生き死について若い時には悩んだが・・・。今でも、生き死にについて悩んで見ることがあるが、未だに答えが見つけることはできない。一生かかっても結論はでないだろう。

でも、悩むことに意味がある、若い時に悩みの経験を持つことがその後の生き方に大きく影響していく。深い悩みの経験があるものと、悩むことを避けてきたものとは、難局に直面したときに、生きぬく力がちがう。

今人生経験70+αの年重ね、若者に言えることは、何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか?このことが理解できなくても、答えが見つからなくてもよいから、多くの本を読んだり、友と語り合ったりすればよい。そして、先輩や先生、身近にいる大人に悩みを語るのもいいだろう。

いま、この判断、あるいは行動をすると、後にはどういう流れになるのかといった、時系列的な認識や、この行動によって他にどういう影響をあたえるのか、などといった判断をすることなく「今が幸せであればいい」ということで、衝動的な行動をしている人が多い。そのために、いろんな悩みが後追いで来ることも知らない。そのリスクは計り知れないのだが・・・。

2010年7月 1日 (木)

富士山の開き

Img_97161   雪解けて 富士の高嶺も 夏すがた

富士山の今年は、残雪が多く、7月1日の山開きの山頂登山が危ぶまれていた。富士山の登山道について、関係者の方ので整備し1日に山頂まで全面開通することを決めた。山開き日に山頂までの登山道が開通するのは2年ぶりだそうだ。

今日は富士山をはじめ多くの山で山開きが行われる。歳時記によるとむかし山に登るのは修行であり信仰行事であったため、一般の人は山に登るのは禁止されていた。が、夏の一定期間だけは許されていたのでその名残だという。

山は神聖な場所として崇められていた。現代はスポーツやレジャーとして登山をするが、昔は信仰のために山に登った。今でも 山の中には霊山と呼ばれる山が日本にはたくさんあり、有名なところでは 熊野・富士山・日光山・大峰・出羽三山などがある。現在でも それらの山は信仰の対象となり修行の場となっている。

山岳信仰 は、天と地の間にある山は、神霊の住む所であり、人間界と神霊界の境界であると考え、人は死ぬとその霊魂は肉体から離れて近くの山へ登り、年月を経るとケガレが清まって神になると信じていた。

修験道は、日本古来の山岳信仰や、自然観を基底とし、仏教・神道・道教・陰陽道の思想や理念を取り入れた、日本独特の宗教といわれている。

景気二番底の恐れ

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Hiroshima101 サッカーで世界中が勝った負けたと大騒ぎしている最中、カナダトロントではG8に次G20の首脳が集まって世界経済対策を話し合った。そして、財政再建を主に考えているEU諸国とアメリカの成長戦略とが対立した。

G20宣言の中に、こうかいている。先進国は, 2013年までに少なくとも赤字を半減させ,2016年までに政府債務の対GDP比を安定化又は低下させる財政計画にコミットした。

日本の状況を認識し,我々は,成長戦略とともに最近発表された日本政府の財政健全化計画を歓迎する。深刻な財政課題がある国は,健全化のペースを加速する必要がある。

財政健全化計画は,信頼に足る,明確に説明され,国の状況に即して差別化され,経済成長を促進する措置に焦点を当てる。

ニューヨーク市況10000ドルを切った。そして、一夜明けた東京株式市場は、7ヶ月ぶり安値・円高や不透明感を嫌気売りとなった。

30日の東京株式市場は、世界経済の先行き不透明感が再び強まったことから日経平均株価が4日続落し、年初来安値を更新。昨年11月30日以来、7カ月ぶりに9300円台の安値水準で引けた。

日経平均の終値は前日比188円03銭安の9382円64銭、東証1部全銘柄の値動きを示す東証株価指数(TOPIX)は10・77ポイント安の841・42。前週末の20カ国・地域(G20)首脳会議で日本を除く先進国が財政赤字削減に合意したものの、市場では、『二番底』懸念も再燃しかねない。

東京市場では外国為替相場が1ドル=88円台、1ユーロ=108円台と円高に触れ、投資家心理を冷やした。自動車、電機など輸出銘柄のほか、不動産、サービスなど内需関連も低迷し、全面安となった。

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