五月の高尾山からの眺望
私はよく、高尾山には出かける。見晴台の広場から、木々をかすめて見る東の方角に武蔵野の平野が五月の太陽に輝いて見える。それを右へとって行くと、相模野と続き、山梨の四大僻地と言われている同志・秋山辺りがうかがえる。
更に丹波・小菅と続き、奥多摩の御岳山と360度の景色が楽しめる。同志・秋山・丹波・小菅はよくドライブに出かける。素朴な人柄と人情深い人柄が心地よく受け入れられる。だからそこに暮らす人と話すのが楽しみだ。
中里介山の「大菩薩峠」(二〇)禹門三級の巻に書かれた、高尾山からの眺めた描写に心打たれたので記してみた。(npo.fuji3776.netより)
詮方(せんかた)なく米友は、代々木の原を立ち出でました。林のはずれを見ると、天気がいいものだから丹沢や秩父あたりの山々が見えるし、富士の山は、くっきり姿をあらわしていました。米友も久しく見なかった広い原と、高い山の景色に触れると、胸膈(きょうかく)がすっと開くようにいい心持になりました。
ここに立って東を望むと、高尾の本山の頂をかすめて、遠く武蔵野の平野であります。東に向ってやや右へ寄ると、武蔵野の平野から相模野がつづいて、相模川の岸から徐々として丹沢の山脈が起りはじめます。それをなおずっと右へとって行けば甲州に連なる山また山で、その山々の上には富士の根が高くのぞいているのを、晴れた時は鮮かに見ることができます。それを元へ返して丹沢の山つづきを見ると、その尽くるところに突兀(とっこつ)として高きが大山の阿夫利山(あふりさん)です。更に相模野を遠く雲煙縹渺(ひょうびょう)の間(かん)にながめる時には、海上微(かす)かに江の島が黒く浮んでいるのを見ることができます。
人跡(じんせき)の容易に到らない道志谷(どうしだに)を上って行くと、丹沢から焼山を経て赤石連山になって、その裏に鳥も通わぬ白根(しらね)の峰つづきが見える。富士の現われるのは、その赤石連山と焼山岳の間であります。空気のかげんによっては、道志谷の山のひだが驚くばかりハッキリして、そこを這う蟻の群までが見えるような心持がする。
小仏の背後に高いのが景信山(かげのぶやま)で、小仏と景信の間に、遠くその額を現わしているのが大菩薩峠の嶺であります。転じて景信の背後には金刀羅山(こんぴらやま)、大岳山(おおたけさん)、御岳山(みたけさん)の山々が続きます。それから山は再び武蔵野の平野へと崩れて行くのだが、小仏の肩を辷(すべ)って真一文字に甲州路をながめると、またしても山また山で、街道第一の難所、笹子の嶺を貫いて、その奥に甲信の境なる八ケ岳の雄姿を認める。富士をのぞいてすべての山がまだ黒い時分に、まず雪をかぶるのは八ケ岳です。
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