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2010年5月12日 (水)

「悟る」ということ

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Hiroshima101 今朝目が覚めるとき、「悟る」ということは・・・どういうものか漠然と頭に浮んだ。ちょっと考えをまとめてみたが・・・

「悟る」と言うことは、物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。(仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。)=と辞書にある。

凡夫は悟り得ないのだから大いなるものに一心不乱に祈り続けることによってのみ安心立命(人力を尽くしてその身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと)が得られるものである。しかし、自己暗示の中で独り満足しているだけのような気がしてならない。

「生きていられることは有難いのだから、感謝しなさい」と、突然言われても今苦しみの真っ只中にある人にとってみれば、それどどころではなく、かえって心の扉を閉ざしてしまう人もいるだろう。

そもそも悟りの境地の「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じられないのが人間の姿であることを考えてみれば、煩悩を滅却できないことを前提に、自分自身を考えざるを得ないのではないだろうか?・・・。

結論は、己の煩悩に正面に向き合って決して逃げずに、今のあるがままの己を表現して“苦しみ、そして喜び“力強く生き抜くこともその大きな目的の一つである。

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