市民協働と人間の心理
近年、個人の専守化?が進んで、人と人の触れ合いが少なくなった。そこで『協働』「市民協働」などの言葉が耳に入るようになった。まちづくりにおける「協働」の主体は、市民である。一般的には行政と市民という表現もなされることも多いのだが・・・。
そこで人と人の「絆」「家族の絆」から、「地域の絆」のありかたが問われている。人間十人十色の性格がある。一つの目標を立て協働作業をすることに当たって、考えておかなければならないことであるが、「誰でも。長所・欠点はある」ものである。
加藤諦三(かとうたいぞう)さんの『言葉』の「“甘え”の要求に隠れた本当の気持ち」を見て、協働作業を企画する上で参考にしたい。
甘えの要求が満たされている人は、相手の欠点をはっきりと認識するが、同時に相手の長所も認識している。相手を全体として見られる。だからこそ相手とのつきあいを楽しめる。非現実的なほど理想的な人間像を相手に押しつけたりはしない。
人間である以上、誰でも欠点はあるし長所もある。そして基本的に満たされている人は、相手の欠点が自分に耐えられないと感じれば別れる。そこが甘えの欲求が満たされないで、それを無意識へと追いやっている人とは違う。無意識に甘えの不満を持っている人は、不平をいいつつ別れない。
もちろんそれにはもっともらし理屈がつく。あなたのためにとか、友情だからとか、いろいろ立派な理屈をつけるが、それらは皆本当ではない。別れないということの隠された真の動機は、依存心である。そのような人は、自分から楽しめない。
相手から楽しませてもらおうとする。いつも受け身である。相手に誉めてもらいたいし、感謝されたいし、世話をしてもらおうとする。問題は相手の欠点にあるのではなく、このような心理が満たされないということにある。
つまり相手の人柄とか、企画の性質とかに因縁をつけているにすぎない。このような人を満足させることはできない。満足させようとすれば、企画の場合なら、それは不公平なほど特別にその人を扱うしかない。人の場合なら友人ではなく、友人の顔をして母親の役割をするしかない。
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