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2010年5月16日 (日)

沈黙は金

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539571 『雄弁は銀、沈黙は金』 

雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。トーマス・カーライル

仲良し仲間・近所での井戸端会議・ボランティアでの共同作業などで5・6人の集団で、特に弁が立つ人がいる。雄弁に語り注目を集め、リーダー的存在となることがある。

しかし、話し方が上手だけで、その人の理念・信条など余り感じられない人が多い。笑顔・泣き顔・怒り顔・困り顔など感情だけであり、話を盛り上げるだけで残るものがない。話しを聞いていると何故か疲れを感じてしまう。いわゆる場持ち人ということだけの人間である。

話すことは、人と人とがコミュニケーションする上で重要なことである。間違えれば争いにまで発展しかねない。また、会話が弾めば、楽しいものであるし、自分にはない知識や考え方を他者から得ることが出来る。

一方、話すことは己の外に向けられるもので、沈黙は己の内に向けられるものとしても理解できる。要するに、雄弁は外的なもの、沈黙は内的なもの、として捉えることが出来る。

スピーチ(SPEECH) を己以外との人との会話。とするならば、スピーチは己の内面に向けられたもので、良心、精神、魂への問い。このような考え方も出来る。

「言葉もまた偉大ではある。偉大ではあるが、最も偉大なものではない。スイスの銘にあるように、《雄弁は銀、沈黙は金》あるいはこういい直した方がより適切だろう《言葉は束の間のもの、沈黙は永遠のもの》と。 モーリス メーテルリンク  

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