正しい子育は・・・
昨日は大安で、生まれて一ヶ月の“おびやあげ”?で赤ちゃんを見た。そこで、「人間の価値とは」考えて見た。
人間の子育ては他の生き物とかなり違っている。親が子を育てることは、他の生きものは、自分の子が自活して生きていくことができて、子孫を残せる能力がつくまででいい。むしろ、親は強制的に自分から、邪魔になり追い立ててる。
ところが人間の場合は、親は子に「立派な人間になりなさい」とか「世の中に役立つ人になりなさい」などと言い続けて育てる。そして「つまらない人間」であるとか「役に立たない人」になってほしくないと教える。
「立派な人間になりなさい」と言われても、立派な人間とはどういう人なのか、その人物像が親も子もはっきりとしていない。けれども、学力が優れていなければということで、学力の向上のために、しっかりと勉強しなさいと親は子に言う。
「世の中に役立つ人」になることを願うのならば、ことの善悪が判断できる能力が必要であるが、人間社会に必要なルール(善悪)は「躾」であるが、家庭での子育てで、やかましく教える親は少ない。学力向上だけを考えている。
有名な大学を目指し小学校から、学習塾に通わせて本人の個性など無視し、親の理想のイメージに合うように親は一生懸命努力する。それには経済的に大きな負担がかかる。
今、世間で言われている「有名大学は金次第」である。多くの子供達は小学生・中学生でその子の個性が出て、得意の能力が現れるものである。しかし、親は勿論・子ども自身それがなんだか分からない。
親の見得で無理して有名大学に受験させても落ちてしまい、浪人生活してしまい、落ちこぼれてしまう子がいる。人が成長していく過程において、進学の勉強ばかりで「立派な人間」とは何か、生きる意味を学ぶことがない。
人間として成長する上で、子は、何を求めてなんのために学ぶのか、深く考えることもなく、わからないままに「いい子」ぶって親の安心を得るために進学用の学びをしている。
親も学校も生きる意味とはの問いかけを子にしないから、子供は「立派な人間像」を画くことなく漠然とした進学用の勉学のみ励むことになる。
「立派な人間になりなさい」と親はいうが、進学時は学力向上のみが関心事となり、生きる意味を家庭でも学校でも教えないので、子は精神的にひ弱であり、強靱な生きる力が具わっていないから、世の波にのまれてしまうのである。
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